Visits: 24
2023年 チャペルの歩み |
196
195
194
193
192 キリスト者よこの日を刻め ルカによる福音書 2:1-14
キリストの誕生祭・クリスマスの物語を、ルカ福音書は、辺境の地で羊の群れを飼う、羊飼いの信仰に焦点を当て、牧歌的雰囲気で包んでいる。それはイエスの先祖ダビデが少年時代に牧童をしていた話をとうして、先祖に繋がり、羊の群れを養うような牧師の名前が取られた。
また、その年が、紀元元年とされ、ローマ皇帝がアウグストゥスが支配する地域の人口調査の時であったことから、比較的平穏で、豊かな時代であったことが想像される。
これらの一切を知らない幼子イエスは32年ばかりの年月を生き、その最後の1年半ばかりを世に出て12弟子を中心に濃密な共同生活をし、教え、病を癒やした。「その他何もしなかった」とバッハは歌わせている。
191 今こそ来ませ異邦人の救い主
今日は、イエスの「エルサレム入城」の話です。
ロバの子に乗って、住民に迎えられた。受難物語の序章です。
クリスマスなのに、なぜ受難の話なの?という疑問についても話します。
190 起きよと呼ぶ声
189 「心と口と行いと命で」
マリアは、天使が、男の子が生まれると言う「受胎告知」を聞いて、2ヶ月ほど経って、親戚のエリサベトを訪ねて数日を過ごした、この「エリサベト訪問」が、今日の話になっています。
エリサベトは、預言者ヨハネになる子を身ごもったが、すでに高齢になっていて、その意味であり得ない体験をしていたわけで、そのあり得ないことにこだわった夫ザカリアは口を封じられて、生まれてくるまでまだ物言えぬ状態になり、世間の話題になっていたユダヤ教の教師でした。マリアはこのエリサベトに会いたい。聞いてみたい。その一心で山里に向かったのです。マリア訪問の祝日です。
このところをとらえて、1725年5月31日、「マリア訪問の祝日」に作曲したBWV147番は、おそらく最も有名な旋律を持つ曲であるだけでなく、その時のマリアの心境をストレートに表している点で、最も受け入れられ、好まれてきた曲と言えます。冒頭の合唱 「心と口と行いと命で」神を賛美しようと呼びかける。
マリアは、エリサベトと数日を過ごして、心が「決まった」、大事な瞬間、そう、「心で信じ、口で言い表して、行い、命もて」心身統一と言いますか、不安を払拭して、信仰を告白して生きていこう。
その最も美しい時をバッハがとらえている。マリアとともに、私たちも次の後半の言葉を、会衆賛歌・コラールの曲に乗せて、「キリストを証しよう。キリストが神であり救い主であると」歌います
188 神の時は最良の時
今日は葬儀の時に演奏されたカンタータです。教会暦に定められた聖句ではなく、自分で選んで歌詞にした聖句が三つ選ばれて、親しい友の追悼音楽となっています。
この世での時を終わり、亡くなられた方の死を「神が定められた死を迎える臨終の時」とし、仮に、この世で人生最大の苦しみの時であったとしても、どんな不幸な生涯であったとしても、定められたみ国に向かう旅立ちであり、人生で最良の時と言っています。
この世で辛酸を舐めたラザロが、祖父アブラハムの懐に安らいでいるところを、玄関先で物乞いするラザロを嫌っていた金持ちが、地獄の底から、見上げて、この悲運に納得したと言うイメージで語られてきました。
そのような観点に立つまで、何のことを言っているのだろうかと、人は思いますが、美しいメロディを浮かべて、音符に日本語の歌詞を当てて完成し、何度も暗記するほど聞いていくうちに、バッハが描いた人の「死ぬ瞬間」がくっきり浮かんできました。
187 宗教改革記念礼拝
宗教改革記念 1517年 M.ルターは、ローマ教会に対して95項目の提題をヴィッテンベルク城教会の入り口に貼りつけた。中には献金をたくさんしたら天国に行けると言う贖宥状に何の根拠があるのかと提起された問題があった。
これに対してローマ教会は1521年ルターを破門した。 ルターを支持する領主たちの助けを得て、改革運動は全国に広がった。
M.ルターの著作を読んだのは大学闘争でバリケード封鎖をした神学館の自治会図書室、わたしもその仲間に入れてもらって、図書室を居場所にして、本を読み始めた時だった。農民戦争について述べた箇所で、ルターの宗教改革を激しく妨害したミュンツアーたち。彼らを、殺せ、突き刺せ、焼き尽くせと、学生運動のアジテーションさながらに、ルターは激しく言っていた。
最近、バッハのカンタータの歌詞に、同じような言葉が出てきて、またびっくりした。 あれから200年過ぎたバッハの時代は、ルターは忘られて、形だけのルター正統派とそこから自由になりたい人たちが、せめぎ合っていたように、色褪せていました。バッハは独学で神学を学び、とりわけルターの真髄を汲み取って、音楽に表していました。そういう意味で、バッハの音楽・カンタータは100%強烈なメッセージ音楽といえます。宗教改革記念の讃美歌は、その意味で改革精神を呼び戻していたのだと思われます。
186 深い渕から
185 主を仰ぎ望む 詩編150
BWV150 「主を仰ぎ臨む]の直筆楽譜 「バッハカンタータweb」より
パブリックドメインで国際的には版権フリーになったとはいえ、各国での版権事情はあるので、その点は自己責任で扱ってください。版権のなかった時代の直筆楽譜も一定の権利があって、商業利用は法的手続きをしてください。非営利で使ってくださいと注意書き付き。
184
183 曼珠沙華
今年は曼珠沙華を写したい。
と思っている間に、テレビであちこちの開花のお知らせを見た。
うちのUR団地の垣根に黄色の花を見つけて、写そうと思っている間に第一バージョンが枯れはじめた。
しまったと思って、駐車場の屋上庭園をのぞいたら黄色がちょっと入った白の花が大切に咲いていた。この花を今週のホームページにした。
草原や畑に群生しているのは古典的な花で懐かしいが、狭い土地に植える花は芸術的珍品のようです。
その後、西鉄大橋のロータリーで見つけた赤い花は、車が行き交う通りにいっぱい咲いているが、見落としやすく、目に入った人はラッキーだ。
花いっぱい運動を展開している福岡市は通行人の心に花を咲かせて、喜ばれている。今年から団地の花園にも「花いっぱい」のカードが付けられている。
ミニチャペル 182 生きるに値しない命とは
中央 画像が小さくてすみません。
「生きるに値しない命とは誰のことか」 K.ビンディング , A.ホッヘ , 森下 直貴 佐野 誠訳 窓社 (2001)
本書は、1920年にドイツの著名な刑法学者カール・
左 「ディアコニー」
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史
エーリッヒ・バイロイター著、山城順訳
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史を、イエスの教えにさかのぼり、現代までを叙述している。 とくにルターの全信徒祭司の思想を外国伝道に対する、国内の福祉諸課題を教会の任務としてとらえた内国伝道の歴史。
安楽死作戦に対して患者を守ろうとした人たちの抵抗運動も、施設長ポーデルシユヴインクの立場から、詳しく記している。
右ナチスドイツと障害者「安楽死」計画
ヒュー・グレゴリー・ギャラファー、 長瀬 修 中西 喜久司 文理閣 2002
ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
ミニチャペル 181 カンタータを和訳で聞く
カンタータ BWV2 「ああ、神よ 天から見て」
バッハのカンタータの歌詞を和訳で聞くと、意味がわかって、
さあ これからどうする。
1.
2.成立順にするか、
3.
一つに決めると単調になるとつまらなくなるかもしれないと、
全6曲が出来上がったので、
・バッハは単旋律の通奏低音をつけたかが、新musescore4はpiano reductionをつけているという。これってなんだ?となって、和音を付けてピアノ系のチェンバロやハープも許容して、通奏低音の拡張をしている。確かに低音部がにぎやかになったが、どうなんだろうか?
BWV2 (第2,3,4曲)を聞いていただいて感想をいただければありがたいです。
ミニチャペル 180 表紙 法隆寺と中宮寺
法隆寺と中宮寺
木の脇先生を奈良の生駒市に訪ねて一泊したことがある。
ミニチャペル 179 愛する神わたしはいつ死ぬのでしょうか 表紙解説
もう9月になるのに、暑いですね。
さて、「愛する神わたしはいつ死ぬのでしょうか」 BWV8の第1曲合唱の解説で、12分の16と書いて、8分の12拍子に訂正しましたが、yotubeでは別途に訂正しています。この8分の12拍子は、分子の12を3連符で4拍扱いにし、4分の4拍子と計算するそうで、現在ジャズやブルースで多用されているそうです。
ミニチャペル 178 思いわずらうな 表紙解説
1984年ハイジの里 「アルプスの少女・ハイジ」
当時、日本キリスト教団とスイスの宣教師交換プログラムで、
5枚描いて、駅前の食堂で辛いと評判の食事をした。
上:バート・ラガッツ駅 クララはここの温泉で前泊し、翌日ハイジの里にむかった。 下:中腹 |
上:ハイジの里 登り口 下:かなり登って |
ミニチャペル 177 来ませ甘き死の時 表紙解説
表紙左図 「なぜわたしが」危機に対処する8段階 について
事故や病気などの災難にあい「なぜわたしが」という自問自答、克服できた人と出来なかった事例を8段階で記している。
1.初期段階 1.わからない、2.状況の確認、3.周囲への攻撃
2,通過段階 1.交渉・取引、2.うつ状態
3.目標段階 1.受容、2.活動、3.連帯
「八つの段階(phase-フェイズ)」について
段階といえば一段ずつ上り、下りするイメージがある。
本書で、局面とも訳されるphaseはつかみどころのない「変容」の意味がある。近年、コロナ感染状況を伝える専門医によって「フェイズ」ということばがたびたび聞かれた。実際につかみどころがない面をあらわしている。
キユブラーロスは、死を受容するまでを「5段階」に定式化することによって広く読まれた。「死の医学の序章」のなかで当事者となった西川医師は、自分は行きつ戻りしてロス理論のようではないと、異論をのべていたが、このような意味で、本書のphaseは、わかりやすい。このような議論を踏まえて「段階」と訳しかつより正確に、変容していく「局面」と二通りにしています。
表紙右図、危機に直面した人の世界の記録
著者シューハートは危機を体験した人の記録を6千冊集めた・そのなかの2千冊を本書に反映したという。その本の世界的分布図です。
日本は2冊となっている。一冊は大江健三郎の脳に障害をもって生まれた長男をめぐる「個人的な体験」、もう一冊はだれのものか不明です。この文献目録は、英語またはドイツ語に翻訳されたものであって、外国語訳されていない日本の本はたくさんあります。私がちょっと調べた日本の記録では少なくとも2000冊はあり、もちろん数知れぬ記録があるのでしょう。例えば広島・長崎原爆の記録、公害被害者の記録、差別事件等。本になっていない記録も。
人生の旅路を理解する上で役に立つでしょうと、著者がいうように、
過去・現在・未来の私を見る視点を与えています。