BWV 楽器 ボーカル構成表

Visits: 0

http://piqua-1.la.coocan.jp/Cantata.html バッハカンタータ楽器 ボーカル構成表

カンタータ未登録=======

fl  管 ob obd obdac fg   弦 v vl vc vdg vdam

Vocal coro satb  solo s a t b  choral satb

7 satb  οm 2vn va vl      ヨハネの祝日 イエスの洗礼

12 atb   Ch  ob tp 2v 2vl vc

13, satb C  2fl  ob  Oc 2v 2vl  vc

 

16,

17/

22,

23,

24,

25/

28,

29,

30

32,

33,

34,

35,

37,

38/

40,

41,42,43,44,46,48/53,54,56,58,59,61,64,66,67,70/72/73,74,75,76,77,78/81,84,85,87/90,93,95,96,97,98,100/102,103,105,107,108,106/113,115,116,117,118/120,121,122,123,124126,127,128,129/132,133,134,135,136,138,139/141,142,143,144,145,146,148,153,154,155,160/162,164,166,167,168,169/171,174,175,176,177,178,179/181,182,183,184,185,186,187,188,189,190,/192,194,195,196,197,198,200/201

 

 

 

ーーーーー

カンタータ未登録=======
7/12,13,14/16,17/22,23,24,25/28,29,30/32,33,34,35,37,38/40,41,42,43,44,46,48/53,54,56,58,59,61,64,66,67,70/72/73,74,75,76,77,78/81,84,85,87/90,93,95,96,97,98,100/102,103,105,107,108,106/113,115,116,117,118/120,121,122,123,124126,127,128,129/132,133,134,135,136,138,139/141,142,143,144,145,146,148,153,154,155,160/162,164,166,167,168,169/171,174,175,176,177,178,179/181,182,183,184,185,186,187,188,189,190,/192,194,195,196,197,198,200/201

チャペルの歩み 2023年

Visits: 23

 

 

   2023年 チャペルの歩み

196

195

194

193

 

192 キリスト者よこの日を刻め ルカによる福音書 2:1-14

キリストの誕生祭・クリスマスの物語を、ルカ福音書は、辺境の地で羊の群れを飼う、羊飼いの信仰に焦点を当て、牧歌的雰囲気で包んでいる。それはイエスの先祖ダビデが少年時代に牧童をしていた話をとうして、先祖に繋がり、羊の群れを養うような牧師の名前が取られた。
また、その年が、紀元元年とされ、ローマ皇帝がアウグストゥスが支配する地域の人口調査の時であったことから、比較的平穏で、豊かな時代であったことが想像される。
これらの一切を知らない幼子イエスは32年ばかりの年月を生き、その最後の1年半ばかりを世に出て12弟子を中心に濃密な共同生活をし、教え、病を癒やした。「その他何もしなかった」とバッハは歌わせている。


191 今こそ来ませ異邦人の救い主

今日は、イエスの「エルサレム入城」の話です。
ロバの子に乗って、住民に迎えられた。受難物語の序章です。
クリスマスなのに、なぜ受難の話なの?という疑問についても話します。

190 起きよと呼ぶ声

 

 

189  「心と口と行いと命で」

マリアは、天使が、男の子が生まれると言う「受胎告知」を聞いて、2ヶ月ほど経って、親戚のエリサベトを訪ねて数日を過ごした、この「エリサベト訪問」が、今日の話になっています。
エリサベトは、預言者ヨハネになる子を身ごもったが、すでに高齢になっていて、その意味であり得ない体験をしていたわけで、そのあり得ないことにこだわった夫ザカリアは口を封じられて、生まれてくるまでまだ物言えぬ状態になり、世間の話題になっていたユダヤ教の教師でした。マリアはこのエリサベトに会いたい。聞いてみたい。その一心で山里に向かったのです。マリア訪問の祝日です。

このところをとらえて、1725年5月31日、「マリア訪問の祝日」に作曲したBWV147番は、おそらく最も有名な旋律を持つ曲であるだけでなく、その時のマリアの心境をストレートに表している点で、最も受け入れられ、好まれてきた曲と言えます。冒頭の合唱 「心と口と行いと命で」神を賛美しようと呼びかける。
マリアは、エリサベトと数日を過ごして、心が「決まった」、大事な瞬間、そう、「心で信じ、口で言い表して、行い、命もて」心身統一と言いますか、不安を払拭して、信仰を告白して生きていこう。
その最も美しい時をバッハがとらえている。マリアとともに、私たちも次の後半の言葉を、会衆賛歌・コラールの曲に乗せて、「キリストを証しよう。キリストが神であり救い主であると」歌います

188 神の時は最良の時

今日は葬儀の時に演奏されたカンタータです。教会暦に定められた聖句ではなく、自分で選んで歌詞にした聖句が三つ選ばれて、親しい友の追悼音楽となっています。
この世での時を終わり、亡くなられた方の死を「神が定められた死を迎える臨終の時」とし、仮に、この世で人生最大の苦しみの時であったとしても、どんな不幸な生涯であったとしても、定められたみ国に向かう旅立ちであり、人生で最良の時と言っています。
この世で辛酸を舐めたラザロが、祖父アブラハムの懐に安らいでいるところを、玄関先で物乞いするラザロを嫌っていた金持ちが、地獄の底から、見上げて、この悲運に納得したと言うイメージで語られてきました。
そのような観点に立つまで、何のことを言っているのだろうかと、人は思いますが、美しいメロディを浮かべて、音符に日本語の歌詞を当てて完成し、何度も暗記するほど聞いていくうちに、バッハが描いた人の「死ぬ瞬間」がくっきり浮かんできました。

 

187 宗教改革記念礼拝

宗教改革記念  1517年 M.ルターは、ローマ教会に対して95項目の提題をヴィッテンベルク城教会の入り口に貼りつけた。中には献金をたくさんしたら天国に行けると言う贖宥状に何の根拠があるのかと提起された問題があった。
これに対してローマ教会は1521年ルターを破門した。 ルターを支持する領主たちの助けを得て、改革運動は全国に広がった。
M.ルターの著作を読んだのは大学闘争でバリケード封鎖をした神学館の自治会図書室、わたしもその仲間に入れてもらって、図書室を居場所にして、本を読み始めた時だった。農民戦争について述べた箇所で、ルターの宗教改革を激しく妨害したミュンツアーたち。彼らを、殺せ、突き刺せ、焼き尽くせと、学生運動のアジテーションさながらに、ルターは激しく言っていた。
最近、バッハのカンタータの歌詞に、同じような言葉が出てきて、またびっくりした。 あれから200年過ぎたバッハの時代は、ルターは忘られて、形だけのルター正統派とそこから自由になりたい人たちが、せめぎ合っていたように、色褪せていました。バッハは独学で神学を学び、とりわけルターの真髄を汲み取って、音楽に表していました。そういう意味で、バッハの音楽・カンタータは100%強烈なメッセージ音楽といえます。宗教改革記念の讃美歌は、その意味で改革精神を呼び戻していたのだと思われます。


186 深い渕から


185  主を仰ぎ望む 詩編150


BWV150 「主を仰ぎ臨む]の直筆楽譜 「バッハカンタータweb」より
パブリックドメインで国際的には版権フリーになったとはいえ、各国での版権事情はあるので、その点は自己責任で扱ってください。版権のなかった時代の直筆楽譜も一定の権利があって、商業利用は法的手続きをしてください。非営利で使ってくださいと注意書き付き。


184


183 曼珠沙華

183

今年は曼珠沙華を写したい。
と思っている間に、テレビであちこちの開花のお知らせを見た。
うちのUR団地の垣根に黄色の花を見つけて、写そうと思っている間に第一バージョンが枯れはじめた。
しまったと思って、駐車場の屋上庭園をのぞいたら黄色がちょっと入った白の花が大切に咲いていた。この花を今週のホームページにした。
草原や畑に群生しているのは古典的な花で懐かしいが、狭い土地に植える花は芸術的珍品のようです。
その後、西鉄大橋のロータリーで見つけた赤い花は、車が行き交う通りにいっぱい咲いているが、見落としやすく、目に入った人はラッキーだ。

花いっぱい運動を展開している福岡市は通行人の心に花を咲かせて、喜ばれている。今年から団地の花園にも「花いっぱい」のカードが付けられている。


ミニチャペル 182  生きるに値しない命とは

中央 画像が小さくてすみません。
「生きるに値しない命とは誰のことか」 K.ビンディング , A.ホッヘ , 森下 直貴 佐野 誠訳 窓社 (2001)

本書は、1920年にドイツの著名な刑法学者カール・ビンディングと精神医学者アルフレート・ホッヘによって書かれたナチス安楽死政策や、優生学運動・優生思想、安楽死問題・安楽死思想の研究と思索を一歩でも前進させるために編まれたものである。封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。 第1編 テキスト(法律家の見解医師による論評) 第2編 批判的評注(それはいかにして生まれ、利用されたか―法思想史的・歴史的観点から「生きている価値」とは何か―倫理学的考察)

左 「ディアコニー」
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史
エーリッヒ・バイロイター著、山城順訳
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史を、イエスの教えにさかのぼり、現代までを叙述している。 とくにルターの全信徒祭司の思想を外国伝道に対する、国内の福祉諸課題を教会の任務としてとらえた内国伝道の歴史。

安楽死作戦に対して患者を守ろうとした人たちの抵抗運動も、施設長ポーデルシユヴインクの立場から、詳しく記している。

右ナチスドイツと障害者「安楽死」計画
ヒュー・グレゴリー・ギャラファー、 長瀬 修 中西 喜久司 文理閣 2002
ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。


ミニチャペル 181 カンタータを和訳で聞く

カンタータ BWV2 「ああ、神よ 天から見て」
バッハのカンタータの歌詞を和訳で聞くと、意味がわかって、バッハに親しむ最短近道と思い、取り組んで5年になる。200曲の60曲を終えて、
さあ これからどうする。
1.BWVの順番通りにするか、
2.成立順にするか、
3.教会暦順にするか。
一つに決めると単調になるとつまらなくなるかもしれないと、不安にもなる。 まず、BWV順に2番と決めて、いざ開くと楽譜が欠落だった。探していると、ミューズスコアの作品投稿欄から、整理したバッハカンタータ一覧にあった。どのようにして作ったのかはまだわからないが、6曲の楽譜をダウンロードして、
全6曲が出来上がったので、そのメモを書いておきたいと思った。
・バッハは単旋律の通奏低音をつけたかが、新musescore4はpiano reductionをつけているという。これってなんだ?となって、和音を付けてピアノ系のチェンバロやハープも許容して、通奏低音の拡張をしている。確かに低音部がにぎやかになったが、どうなんだろうか?
BWV2 (第2,3,4曲)を聞いていただいて感想をいただければありがたいです。


ミニチャペル 180 表紙 法隆寺と中宮寺

法隆寺と中宮寺

木の脇先生を奈良の生駒市に訪ねて一泊したことがある。時間の合間に、法隆寺で両側の仁王像がストップと言っているようなスケッチをし、法隆寺とペアになっている中宮寺で何だかホッとするような光景を描いた。袴姿で日傘を指して歩く女性。男子の学校に対する女子の学校だったそうで、法隆寺はこのペアで見るのがいいのではないかと思った。1400年も昔に人を育てる教育・修道機関の跡が見れるなんてラッキーだと思った。


ミニチャペル 179 愛する神わたしはいつ死ぬのでしょうか 表紙解説

もう9月になるのに、暑いですね。今回はテーマに関連したカンタータの画像を 予定していましたが、わたしの画像アルバムを開くとクリスマスに使ったなつかしい あれこれが目に飛び込んで、引きづられました。イエス誕生の美しい光景。それは、 貧しい馬小屋との対比で比較を絶するものになっています。貧しい親子と、ロバと羊 、3人の博士がはるかな旅のはてにたどり着いた開放感、または達成感。 どれも私たちの人生に深く寄り添っていますね。ミニチャペル合唱団とオーケストラの図です。
さて、「愛する神わたしはいつ死ぬのでしょうか」 BWV8の第1曲合唱の解説で、12分の16と書いて、8分の12拍子に訂正しましたが、yotubeでは別途に訂正しています。この8分の12拍子は、分子の12を3連符で4拍扱いにし、4分の4拍子と計算するそうで、現在ジャズやブルースで多用されているそうです。


ミニチャペル 178  思いわずらうな  表紙解説

1984年ハイジの里 「アルプスの少女・ハイジ」
    子どものテレビ番組を3人の子が見るたびに一緒に見た。 ハイジが大都会のフランクフルトの富豪の娘クララの相手をするために住み込み、塔に登って生まれ育ったアルプスの景色を探し、心を病んで、ふるさとに帰ってくる。その後を追って、クララがマイエンフェルト駅で降りて、ハイジの山小屋にたどり着いた。その山小屋のモデルになった小屋をスケッチした。 車イスのクララは山の起伏で、転んだが、不意に立ち上がる。物語の圧巻をなすこの場面で何度も感動した。山が与えてくれる自然の力を誰でも感じたことでしょう。家庭教師ロッテンマイアーの規則づくめの教育なんか吹っ飛んでしまっている。作者ヨハンナ・スピリは書き上げるまで、この地に住んだ。
当時、日本キリスト教団とスイスの宣教師交換プログラムで、スイスのベツイコンにいた藤原一二三先輩を訪ねて、そこで聞いたハイジ情報では当地のテレビの物語はとても暗いそうで、日本のアニメは評判だとか、いうことでした。
5枚描いて、駅前の食堂で辛いと評判の食事をした。店員さんに見せると「あなたが描いたの?すばらしい」と言ってくれた。その中の一枚クララが前日一泊したバート ラガッツ、温泉が出る保養地でわたしも一泊して、クララの想いに浸った。

上:バート・ラガッツ駅  クララはここの温泉で前泊し、翌日ハイジの里にむかった。
下:中腹
上:ハイジの里
登り口
下:かなり登って

 


ミニチャペル 177 来ませ甘き死の時  表紙解説

表紙左図 なぜわたしが」危機に対処する8段階 について
事故や病気などの災難にあい「なぜわたしが」という自問自答、克服できた人と出来なかった事例を8段階で記している。
1.初期段階 1.わからない、2.状況の確認、3.周囲への攻撃
2,通過段階 1.交渉・取引、2.うつ状態
3.目標段階 1.受容、2.活動、3.連帯

「八つの段階(phase-フェイズ)」について
段階といえば一段ずつ上り、下りするイメージがある。
本書で、局面とも訳されるphaseはつかみどころのない「変容」の意味がある。近年、コロナ感染状況を伝える専門医によって「フェイズ」ということばがたびたび聞かれた。実際につかみどころがない面をあらわしている。
キユブラーロスは、死を受容するまでを「5段階」に定式化することによって広く読まれた。「死の医学の序章」のなかで当事者となった西川医師は、自分は行きつ戻りしてロス理論のようではないと、異論をのべていたが、このような意味で、本書のphaseは、わかりやすい。このような議論を踏まえて「段階」と訳しかつより正確に、変容していく「局面」と二通りにしています。

表紙右図、危機に直面した人の世界の記録
著者シューハートは危機を体験した人の記録を6千冊集めた・そのなかの2千冊を本書に反映したという。その本の世界的分布図です。
日本は2冊となっている。一冊は大江健三郎の脳に障害をもって生まれた長男をめぐる「個人的な体験」、もう一冊はだれのものか不明です。この文献目録は、英語またはドイツ語に翻訳されたものであって、外国語訳されていない日本の本はたくさんあります。私がちょっと調べた日本の記録では少なくとも2000冊はあり、もちろん数知れぬ記録があるのでしょう。例えば広島・長崎原爆の記録、公害被害者の記録、差別事件等。本になっていない記録も。

人生の旅路を理解する上で役に立つでしょうと、著者がいうように、
過去・現在・未来の私を見る視点を与えています。

 

 

このホームページについて

Visits: 74

h1.entry-title{  line-height}

 

   

           ホームページ

    ミニチャップ・ドットコム (minichap.com)

          成り立ちと目標について

 

これからの目標

1.ミニチャペル プログラムを

・ユーチューブ・フエイスブツク・ホームページー に掲載しています。

讃美歌、聖書、今日のことば、讃美歌、祝祷 (15~20分)を最善にする。

2.JSバッハのカンタータ(讃美歌)をわたしの日本語訳で視聴できるようにする。(現在60曲/200)

3.ミニチャペルでは,病気など重荷を背負っている人となんらかのつながりを表していきたい。

コロナ緊急事態宣言よりはじめた「ミニチャペル」が200回となり、振り返って、週の、より初めに投稿したら視聴する人が多いことがわかったので、木曜日に投稿し、日曜日までに視聴頂ければと思っています。見れなかった時は、

youtubeチャンネルから見ることができます

 

これまで・・・

経験した三つのサイトを連携しています。

1.1980年代からホームページビルダーで作り教会や学校で活用してきた

ミニチャペル、この古い殻から脱皮をはかり、

 

2.2022年8月から、ワードプレスのβ版で実験した草の花く

chapblog  —–わたしにもできそうだったので、

 

3.正式に、この新
ミニチャップ・ドットコム(minichap.com)を一年半かけて完成させました。

出来あがれば三つのサイトを一つにするつもりだったが、

もったいなくて、三つを相互に役立つように考えて、

総合的なサイトマップ(全目次)にしています。

何かのお役に立てれば嬉しいです。

 

 

Profile

Visits: 50

h1.entry-title{line-height}

      プロフィル  自己紹介                     

山城 順 (やましろ じゅん)
1944年12月4日 島原市生
沖戦縄で最も激しい爆撃にあった父の里・今の糸満市米須から、
父母と兄は疎開船で九州に渡り、島原教会に赴任。そこで私は生まれた。
佐賀県嬉野で小学2年まですごし、福岡県飯塚市・飯塚教会へ。
高校1年の時、父が沖縄に転勤し、私は長崎県諫早市鎮西学院高等学校に転校、
そののち関西学院神学部で6年学び、1969年 福岡県春日市の教会に赴任した。
・専攻は新約聖書神学「聖餐論」
・春日東教会での31年を終え、2000年に母校鎮西学院・
長崎ウエスレヤン大学の宗教主事に就任。
・2012年「ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)分泌低下症」と診断された。
・退職後、2018年、福岡市南区に転居し現在にいたる。
・日本キリスト教団隠退牧師
・春日東教会に属し、自宅でwebサイト「わたしたちのミニチャペル」を開設。

20190517/20230715記

 

 

 

   このホームページについて

 

ようこそ!「ミニチャップ ドットコム」と呼んでください。

新型コロナ緊急事態宣言からwebチャペルを初めて200回になりました。

日曜日に間に合うように準備していましたが、水曜,木曜によく読まれているようで、木曜から日曜まで掲載しています.

 

三つのページを連携しています。
1980年代からホームページビルダーで作り教会や学校で活用してきた1.「ようこそパルーシア」→「ミニチャペル」、この古い殻から脱皮をはかり、2.昨年8月から、最新のワードプレスに挑戦しβ版で実験して、わたしにもできそうだったので、3.正式にFC2.comレンタルサーバー(500円×12ヶ月)に申し込み、新「ミニチャップ・ドットコム(minichap.com)」を一年かけて思い通りに完成させました。出来あがれば一つにするつもりだった。が、もったいなくて、三つを相互に役立つようにと考えて、三つの各サイトのサイトマップと
また総合的な「サイトマップ(全目次)」から読めるようにしています。

みなさんの関心と興味に少しでも寄り添えればとおもっています。

これからの目標
1.ミニチャペルプログラム(讃美歌、聖書、話し、讃美歌、祝祷 15分)を最善のものにする。
2.JSバッハの27年間のカンタータ(讃美歌)を日本で視聴できるようにする。(現在60曲/200)
3.病気など重荷を背負っている人を念頭に、ささやかなつながりを表していきたい。

コロナ緊急事態宣言の三密を控える指針よりはじめた「ミニチャペル」が180回となり、振り返って、水曜に投稿したら視聴する人が多いことがわかったので、できれば火曜日に準備にかかって、水曜に投稿し、日曜日までに視聴頂ければと思っています。見れなかった時は、「youtubeチャンネル」に記録を残しています。

問い合わせ欄をつけています。この窓口からわたしのメールに届きます。

 

音楽な人たち

Visits: 65

top

h1.entry-title{line-height}

音楽なひとたち 

 

揮者
1.指揮者たち 2.合唱 3..オーケストラ 4.ソリスト 
  YouTubeで素晴らしい演奏が視聴できるようになって、ありがたいことです。他にも鈴木雅明氏やたくさんの方がいらっしゃいますが、トマス教会新音楽監督のような若い方にも斬新な、コロナ禍の時代、またウクライナ戦争で旧態然が崩れて、新しいものに変わっていく時代を導いていく音楽を期待しています。

A.ライゼ
A.ライゼ (Andreas Reise 1975・5・19 スイス生)

チューリヒ、ベルリンなどで教会音楽を修め、カトリック教会の少年合唱団、また声楽、オルガンの演奏家。2021年からトマス教会第18代カントルに就任。コロナ禍の中で、これまでになかったwebサイトを活用し、800年の歴史をもつ合唱団に新しい風を呼んでいる。


 ビラー
ビラー (G.C.Biller ドイツ、エルフルト生、1955-2015)

東西ドイツ統一の地、1992年トマス教会第16代カントール(音楽監督)に就任。主にバッハの作品の再興に努めた。私が、1886年、まだ東ドイツ時代にトマス教会を訪ねた時、共産主義の圧政のなかで、教会堂は国の管理下にあったが、パイプオルガンはすすけた音がして、保守管理にお金をかけていなかったようだ。が、かえって素朴な印象を受けたが、礼拝に参加している0名ばかりの多くは高齢女性で、厳しい統制の時代だったとおもう。その時代を超えて、トマーナコアも復活し、取り組むべき課題は多くあったと思われた。情熱的な指揮に子どもたちが答えている姿は大変好ましく思えた。


J.サヴァール
J.サヴァール(J.Savall スペイン生 1941- )

古楽器のヴィオラダ ガンバの演奏法発掘から手がけ、古典作品の再興につくした。これにより、大劇場での興行としての音楽の流れは、中規模から小規模の教会や小グループの演奏の流れに変わった感がする。バッハの二つのラテン語歌詞の「ロ短調ミサ」と「マニフィカート」(マリアの賛歌)は、彼らの母語を取り戻したかのような、喜びに満ちた演奏が記憶に残る。


 P.ヘレヴェー
P.ヘレヴェーヘ(P.Herrewegh ベルギー生 1941-)

父が医者で医学を勉強していた学生時代に音楽活動をはじめた。バッハの作品を手掛け、その解釈と澄明な演奏が評価され、活動の巾がひろがった。
来日した時、名前はHerr=主の、wehg=道を行くという意味でお気に入りとのインタヴューがあった。
マタイ受難曲の指揮


E.アイム
E.アイム(Emanuelle Haim フランス生 1962- )

ドイツのフランクフルト放送交響楽団指揮者。精力的で人気上昇中!マタイ受難曲の指揮


H.リリング
H.リリング(Helmuth Riling ドイツ生  1933・5・29-)

リリングが指揮するクリスマスオラトリオをYoutubeでみた。下の欄の書き込み評を読んでいた時、「いやだ ミリタリー音楽のようだ」という言葉に、何だろうと思ったことがある。教会音楽、特にバッハの大家H.リリングが指揮する本曲の第1曲の評だった。
最初に太鼓の連打で気を引きつけるところを言ったのかなぁと思った。 しかし、リリンクの指揮そのものが、 かくあるべし みたいなところが気にかかったのかもしれない。

  命令形の言葉をどう表したらよいか、考えていたので、音楽における命令形って何だろう?とも思った。そこで、「いざ 歌え」ーこれは1968年に神戸栄光教会聖歌隊でクリスマスオラトリオ第1曲を歌った時の指揮者清水さんの訳である。平和な時代の命令形と戦争へ向かう命令とは意味が違うだろう。

わたしは「さあ うたおう」(let’s sing) というように、命令形を呼びかけの言葉にすることにした。ミリタリー(軍隊)音楽は わたしも嫌だ。
*

ちなみに、武田又彦先生にどんなCDがおすすめですかと尋ねたら、H.リリンクの名前を教えてもらった。リリンクのカンタータCD全集は大変教えられた。なんども聞いた。

リリンクは昨年指揮者を引退した。が、トビアス,ショーコルフの新聞にシートミュージックについて巻頭の言葉を書いていた。こういう方面にも関心を寄せているのだなぁおもった。

なお、わたしが使っているmusescore3 (ミューズスコア・フリー)は世界で2千数百万人が使って、多くの人が作品を投稿している。

 

 合 唱                                                           
1指揮者たち 3.合唱 5.オーケストラ  4.ソリスト 

聖トマス教会少年合唱団  ドイツ・ライプツィヒ   https://www.thomanerchor.de1212年アウグスチノ会トマス修道院附属学校を起源とする。

 1517年マルチンルターによって始まった宗教改革で成立したプロテスタント派のトマス教会となった。

 合唱団現在団員は100名でトマーナー(Thomaner)と呼ばれ、この教会とライプツィヒ市によって受け継がれてきた。

 トマナコアの来日は198 年、福岡公演には福岡の少年が募集されて、知り合いの木の脇道元さんも参加し、(わたしは当日は行けなかったが、)記憶に残る一件でした。

その時、ヨアヒム・ロッチェがカントールで日本に来ていたが、彼は福岡まで来ないで代理の指揮者が立った。その後、東ドイツが崩壊し、東西ドイツの統合がなされ、共存の難しさを克服したドイツは目覚ましい進展を遂げている。統一時、ソ連時代の密告告発(シュタージ)でヨアヒム・ロッチェが告発されたというニュースを紀伊國屋書店の音楽雑誌立ち読みで見つけて大変驚いた。  東ドイツ共産党時代のキリスト教冷遇と共に心が痛んだ。旧ゲヴァントハウス楽団ホールで、そこは共産党の歴史展示室になっていて、共産党の偉業をあれこれと展示している中にヨアヒム・ロッチェとトマナコアの日本公演の写真があった。

  係のおばちゃんにこの人日本公演に来ていたというと、よう言ってくれたと言わんばかりに、ソーメン流しのように何事かをしゃべり始めたが、わたしには一言もわからなかった。

こういうこともあって、統一後の第16代カントールはビラー(ヨアヒム・ゲオルク・ビラー )さん。失われたものを取り戻すかのように、バッハに対する敬意と愛情を子供たちに丁寧に熱心に伝えていた。わたしの最も心惹かれる人物でした。、そしてコロナ禍の渦中にスイス出身のアンドレアス・ライゼが第18代カントールに就任した。教会音楽を修め、少年合唱団を指揮していた若き俊才。トマナコアは新時代を先駆けているように思われる。

 

    コロナ禍のトマーナコアと未来

 「創立以来800年の中で、クリスマスの讃美歌を歌わなかったという記録はない」こと自体、衝撃を持って体験された。

 (https://www.thomanerchor.de 思い出と歴史

コロナ禍で世界規模でキリスト教会が礼拝を停止した。しかし、webを用いて世界各地との合唱の試みがなされたり、観客のいない、出演者が密を避けて、少人数で距離をとっての演奏など。工夫が見られた。観客が多ければ成功という評価は減少し、心に残る演奏が評価されるようになる。
こうしたことから、歌う力も減少したわたしは、ますますPCに向かって音の創生に情熱を注ぐことが出来ると喜んでいる。
今年のバッハマラソンでは、トマーナコアのライゼ新監督の指揮でマタイ受難曲が演奏された。ベルリンの少年合唱団も参加していた。 楽器はこれまでゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーが演奏してきたが、積極的に若手を起用していた。受難曲の劇的要素が強調され、テンポも一段と速く感じられた。特に、各部分の話を締めくくるコラールは会衆賛歌のゆったりした、テンポ60くらいの心に染みて共有する音楽が伝統的であったが、さらっと終わって肩透かしのような気分がした。コロナ禍はまだしばらく続くようだが、この流れは音楽を寛容にしたと思う。新しい何かが生まれつつあるようだ。


トマス教会聖歌隊
 ドレスデン聖十字架合唱団

その歴史は13世紀にさかのぼる。少年たちは附属の寄宿舎つき学校に通い、卒業後は全寮制の学校に就職する。著名な卒業生はカール・リヒター、テオ・アダムス、ペーター・シュライアーなどがいる。1976,1988年日本公演。

 ウィーン少年合唱団  オーストリア ウィーン

1498年に神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の宮廷礼拝堂少年聖歌隊として設立された。モーツァルト、サリエリ、フルーツクナーが共演し、シューベルトは合唱団員だった。(wikipedia)

 
テルツ少年合唱団
 (Tolzer Knabenchore)南ドイツのアルプスの温泉地バートテルツにG・S・ガーデンによつてモーツァルト生誕20年の年1656年に組織され、少年200人が4つのグループに分かれて活動している。(wikipedia)1986年初来日。「バイエルンの天使」たらさわみちの漫画。

 

オーケストラ奏者たち 
 1.指揮者たち  2..合唱 3.ソリスト 4.オーケストラ
オールオブバッハ  https://www.bachvereniging.nl

バッハ大好きオランダの楽団。Youtubeでいくらか見るようになって、自分に一番あってるかもと思っている。パイオリンの佐藤俊介氏は、コンサートマスターをしているし、他にも日本人が居場所を見つけている。日本のバッハ演奏の第一人者である鈴木雅明氏も招かれて指揮をしたことがあるそうで、また、日本公演もしたそうである。

隠れ屋のアンネ・フランクの一家を助けていたミープ・ヒースさんの話の中に、ナチスに抵抗するオランダの人たちの地下組織のことがあって、オランダの人は市民意識が強く高い人たちっていう印象を持っているが、

  バッハの全てを演奏すると言う果てしない目標を100年続けているって崇高な人たちだなあ、ロマンだ、市民組織って思う。一人一人がしっかり演奏して音楽が出来上がっている。指揮者の独断指導のような団体はたくさんある。オランダは市民的だと思う。

ちょっと蛇足的に言えば、教会の会場が暗い。暗闇の中で演奏しているようで、印象が強い。フランスもドイツもスペインも教会は暗い。LEDは電量を消費しないので、明るくしたらいいと思う。

 

ソリスト独唱者 
 

 

 

ai 歌声

アニメ文化の中で生まれ発展しているai 歌声で、讃美歌やバッハのコラール200曲(各6曲組曲)を歌えるか?合唱できるか?相当悩んだが、5年やってみて、人工知能の学習能力は奥深く、崇高なものがある。ある特定の人の声をベースに作っている歌声は特色があって個別には好き嫌いがあるかもしれないが、合唱は個性を生かして美しい一つの声にし、その4声を一つの美しい声に仕上げていく。その過程を人工知能CeViO aiも十分取り組んでくれて、美しい曲を醸し出している。さらに、わたしの印象では、出来上がった音楽ファイルmp3 もなんだか時と共に進化しているように思えるのは錯覚なのかもしれないが、時間を置いて聴いても、よくなって、感動を呼んでいる。なによりも、肉体は老化しても、精神は若くなりうるという感触を受けている。

 ソリスト ドロテー・ミルズ (1971年、ドイツ生) ソプラノ歌手

日本にも来られたようです。その時のインタビューで、ベルギーの指揮者ヘレヴェーへと出会って考え方が変わった話をしていた。喉を震わせて歌うビブラートをしない、ノンビブラート発声についてだった。わたしが最近使っているaiによるチエビオキャラクターの発声の多くはビブラートの音域を電子的にカットしているように思っている。そして、ノンビブラートのその声に慣れてくると、ビブラートに対する違和感を感じるようになってきた。

最近高音域を歌う男性のカウンターテノールが増えているが、彼らはビブラートしない。また変声前の少年合唱団のソプラノたちはビブラートをしない。
おそらく、音楽が興行化し大きなホールで演奏されるようになり、大音量を求められるようになって、ビブラートを使って発声するようになったのではないか、とわたしは推測している。

バッハをはじめとする音楽は、初演された当時の楽器を使うようになり、教会や中規模の会場で演奏する流れができつつある。そして、あっという間に楽器もピリオド楽器=古楽器に変わってしまった。そのようなわけで、ドロテー・ミルズさんは新しい道を見つけて歩んでいる。

 

 

 

音楽との出会い

Visits: 49

 
 

h1.entry-title{line-height}

音楽との出会い
1.鎮西学院コーラス部

 1961年の春、鎮西学院の2年B組に転校生としてのスタートを切った。
父が日本キリスト教団の宣教師として沖縄に派遣されることになったので、兄がお世話になった鎮西に転校ということになった。飯塚市から布団と着物をチッキで送り、360円の切符を手に汽車に乗った。

 兄がコーラス部の後輩に、弟をよろしくと頼んでいたようで、3年になる先輩が色々と声をかけてくれて、自動的にコーラス部に入った。

 発声練習のコールユーブンゲンで声慣らしをし、詩篇98「新しき歌もて」と「進めわが同胞よ」のニ曲を練習して、長崎の平和記念公園にある会館でのコンクールに参加した。大村湾沿いを走る列車の最後尾に乗って、山側の黄金色のみかんばたけの中を長崎に行った。私の音楽体験の一歩だった。

 

 新しき歌もて   進めわが同胞よ

2.関西学院グリークラブ

 校内にある神学部成全寮に入つた。入学式の歓迎演奏で、関学のグリークラブが、高校で覚えた「進めわが同胞よ(ウボイ)」を歌つたのでー驚き,感動した。

 戦時中、チェコの軍艦が神戸で修理をしていたとき、兵士たちと関学グリーの交歓会が催され、チェコの兵士たちが歌ったその曲は、以来、関学の大事な持ち歌となった。国難から国を救う戦いの歌でチェコの歌と思われてきたが、

 後で、クロアチアの愛国歌だとわかった。YouTubeでクロアチアの人たちが熱烈な思いで歌っているのを見ることができる。

 

 ウボイ 進めわが同胞よ
関西学院グリー   本場クロアチアの合唱 

 

3. ドイツミサ

 さて、寮の新入生歓迎会は庭に畑をつくり芋を植え付ける作業をした。その時、窓際のラジオから聞こえるすばらしい少年の合唱に釘づけなった。「これなんの歌ですか?」と聞くと木田さんがシューベルトの「ドイツミサ」と答えてくれた。都会には賢い人がいるもんだと思った。

 ドイツ・ドレスデンの聖十字架少年合唱団だった。お金を貯めて大阪日本橋の電気店街で小さなコンポを買い、また神戸三宮で、このレコードを買って何度も聞いた

 

 
ドイツミサ
                                 ドイツミサ スイスブラスアンサンブル


 楽譜は讃美歌二篇にあり田中彰寛訳で載っている。

 田中先生は文学部教授で、独書講読で神学生に教えるのが楽しみな、後で知ったのだが、父親が神学部の一回目の卒業生で牧師となり、先生は東大を出て関学の教師となった人で、神学部をこよなく愛していた。 また、先生はアルバート・シユヴァヴィッアーの「原生林のはざまで」をテキストにドイツ語講読を教えていただいた。シユヴァヴィッアー熱烈なファンで、アフリカのランバレネまで行かれたんだといううわさも聞いた。その「ドイツミサ」はレコードが擦り切れるほど聞いて、私の好きな歌になった。

4.神戸栄光教会聖歌隊

 大学院の最終年度は、派遣神学生の行き先を神戸栄光教会に志願した。宮崎明治牧師は戦後鎮西学院宗教主事であった。その後、神戸栄光教会牧師となられた。先生は忙しそうで一度だけ、神学生を牧師館に招いて食事する時があった。私の仕事は教会学校の高等科の担当で、土曜日の週報箱に600ばかりの通信物を入れる仕事で、終わると三宮に繰り出してミンミンの餃子を食べるのが定番だった

 水曜は祈祷会。聖歌隊の練習はいつだったか忘れたが、バッハの「クリスマスオラトリオ」の第一曲合唱の練習が始まり、指揮者の清水さんが日本語訳をカタカナで音符の下に書いて、「いざ歌え」と歌った。まだ楽器の準備はなく、電気オルガンの伴奏だった。

 この年は春から大学の建物を封鎖した大学闘争が最高潮の時期だった。学生自治会が主催したもので、院生は卒業した身であったが、クラス会で二週間、寮の集会室で対応を議論した。それぞれに任地が決まっていることもあって、クラス会の結論は出さないことにして、解散した。

 それから、私は学生会のバリケードの中に入れてもらって、寮から通い始めた。10時30分にチャペルで詩篇を読んで祈祷会をした。祭壇でなく、立って集まれる後ろの空間に十字架を移動して。続けた。自治会室は社会学部など他学部の学生も出入りして、セクトの活動をしている学生には、どんな運動理論なのかと尋ねて、勉強になった。被害者意識に立つよりも、毛沢東のわれらは資本主義に勝利しているという積極理論の方が、魅力的だった。

 春の入試はなく、警察が入って、バリケードが解放された時、ブレイ宣教師が「暴力学生が、十字架を祭壇から引き摺り下ろしている」といっていたということを耳にした。わたしにはアルバイトもあって、あの時の記憶は混乱と不安いっぱいだった。そこをどうして福岡の春日東教会に赴任したのか、説明することは難しい。

 

           トマス教会合唱団

マタイ受難曲

5.1969年 春日東教会

春日市(当時、筑紫郡春日町小倉字地蔵子) 現春日東教会に信徒伝道師として着任した。
現在、温暖化対策が急がれているが50年前はとても寒かった。なんだか鼻の具合が悪く、教会の表医師の紹介で春日原の末永耳鼻科に入院して,イカの骨のような鼻茸(鼻たけ)を鼻の穴からピンセットで引っ掛けて取り出す手術をした。次々に取り出され、12枚になった。びっくりしたが、その後空気が通って、ありがたかった。
しかし、鼻の状態はずっと蓄膿状態で、評判を聞いては耳鼻科で診てもらったがなんでもないと言われた。しかし、依然として蓄膿状態に苦しみ、とても歌を歌える状態ではなかった。

40代の中頃、春日原の女医さんのところで、レントゲンをとると白い影があって、次の診察のとき、九州中央病院の先生を紹介していただいた。MRIで見るとうずらの卵の黄身の大きさのポリープが見られた。手術をお願いした。上顎洞篩骨洞というところ。部分麻酔が切れてとても痛かったが、緩やかに何年もかかって回復していった。

こういうことがあったあと、福岡バッハコレギウムに入れてもらって10年、歌いながらバッハに触れることができた。年に2回の演奏会のために、カンタータを2曲練習する。ゆったり感が良かった。金曜18時30分からの練習のために、日曜日の礼拝の準備を全て終わらせる習慣を身につけた。
楽譜を見てその音を出せないので、鎌田さんにお願いして、カセットテープにバスパートをピアノで弾いて録音してもらい、車を運転するときに聞きながら覚えた。
その初期に出会った曲がBWW6番「泊まりませ、うちに」。エマオの2弟子に伴い歩く、復活のイエスを歌う曲で、夕日がだんだん沈んでいく、下降音型が印象的な曲です。それから10年間、カンタータ20曲あまりを練習した。一音をながーく歌うメリスマはなんとかできるが、どうしてもできない箇所が1~2箇所はあって、というのがバッハの魅力だと思う。追いかけ合うフーガの流れに入っていく、最初のタイミングなど。そばで上手く歌える人に感心していた。指揮者の武田又彦先生は、自転車で10分くらいの春日原に住んでいて、彼の演奏会の後、たびたびチェンバロ運びを手伝っていた、チェンバロはエレベーターの寸法に合わせて作られていた。風呂に入ってくつろいでいると電話がかかって手伝っていた。こういうふうに音楽に触れていた。

後に、鎮西学院長崎ウエスレヤン大学宗教主事をしていた時のクリスマスに、福岡バツハコレギウムに出演願って、再会を感謝した。

  復活祭カンタータ

   BWV6 泊まりませ

 

6.鎮西学院 200年〜2017年

55才になって、子供の学齢期が終わり、65才の定年まで、
わたしの母校鎮西学院の宗教主事になった。その後、定年後のわりかしフリーな年に、一年かぎりの聖歌隊を計画し、教授会で発表した。するとコミュニティサービスという授業にしたらという助言を得て、3月の入学者の面接の時に大学で何がしたいですか?と聞いて、三人ばかりスカウトし、学生3人、中国人留学生3人、フィリピン人1人、社会人学生3人、12人ばかり、コミュニティサービスの単位登録をし、諫早市民2人、教職員数人でスタートした。金曜日4限、4時30分から6時と、水曜の昼休みに練習した。一人くらいピアノ弾ける人がいるかもと思っていたら、いなかったので、あわてて、PCのピアノ音ソフトをさがし、クレッシェンドを使った。四つの声部をmp3 でつくり、メールで送り、自己練習を基本とした。集まって、四つのパートをそれぞれ歌い。ソプラノとアルトを合わせて、というように、最後に全体を合わせる。ここまでで90分たっぷりかかり、ひと月4回練習すると、結構満足な合唱になった。チャペルの時間に一曲歌った。

最後にクリスマスに出演し、わたしの高校時代に出会った「新しき歌もて」詩篇98と「進めわが同胞よ(ウボイ)」を合唱できた。Youtubeにこの時の合唱を載せている。新しき歌もて900回、進めわが同胞よ1322回視聴があり、楽譜はどちらも男声合唱曲集1に収められている。

これで音楽な人たちと、その中の私について、音楽と私の関わりについて記した。
なお、私の未来についてももう少し展望をのべておきたい。

 

7. 福岡市南区大橋

さて、定年後2年を諫早で過ごしたが、福岡からくる子供たちが忙しい年齢になって、近くに住んで欲しいという事で、大家不動産の指導のもと、引っ越しの段取りと注意点を聞いて、家を売って、そのお金を賃貸の資金にと考え、福岡の家探しをはじめた。なかなか難しく、毎日iPadで家を探し、UR公団の空家も毎日見て、南区の大橋の団地が4階建てを平地にして、そこに14階建ての3棟、600戸ばかりのアーベインルネス(都市再生)に立て替えた、その2号棟を見学した。

思ったより、西鉄の駅に近く、車はやめて、那珂川沿いに建つここに引っ越してきた。2DKと極端に狭いので、本や趣味的なものは、廃棄する仕事の人に頼んで、やってきた。ベットが二つ入る部屋の足元の2畳たらずの空間に、アングルを立てPCをおき、机を置いて、仕事場を作り、これまで殆ど活用していなかったデロンギのオイルヒーターを置いて、冬もなんとか快適に、江戸の職人のように、この空間をわが世界としてスタートし、5年になった。

これからさらに進むためには、仕事のプラットホームをしっかり作らなければと思った。webの作業に時間と労力を使いたくないが、この際、サイトを根本から組み立て直し、いくつかのテキストファイルを流し込めば、きれいに整形されて出来上がる仕組みを作った。3月から3ヶ月もかかった。いや,それが一年半になった。

これから、さらにバッハのカンタータ残り150曲に時間と力を注いで、aiの助けによって、新しいバッハの音楽を表現していこうと胸を膨らませている。そして、バッハが教会暦を拠り所に、毎日曜日の礼拝音楽15〜20分のために骨身を削ったように、私はバッハの作品に共鳴して日曜礼拝webを通して数人の人たちとの交流を励みにしています。

これで音楽な人たちの一人、わたしの新しいスタートを祝したいと思います。皆さん期待と声援のほどをよろしくお願いいたします。
最後に、今一番いい曲はこれです。

150 主を慕い仰ぐ 詩編25