チャペルアワー

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     215  5月19日           チャペルアワー

 

天地一体

   マタイ福音書6:9-15 

 

「天におけるように地の上にも。」


主の祈りの第四に、天で行われていることが地でなされますように。
こう祈るようにと主の祈りは、教えています。
天と地という対比、また矛盾、水と油のように合わない分断、このような世界をつなぎ、
一体と見る見方があります。この祈りについてお話ししたいと思います。

一、天と地
□イエスの教えは、全て一つのことを語っています。
「天」(御国、神の国)です。
見たことも、経験したこともない「天」は、種まきの話のような「譬え話」で語られました。
まく時、育て、成長する時、そして実りの収穫の喜びによって教えられます。 神の国は即ち、種蒔く畑に似ていると教えます。

天で行われていることが地でなされるように祈りつつ、この祈りを実現する。それがイエスの道であり、私たちの道、人生です。

□アフリカ・ガボン共和国ランバレネで黒人医療に一生を献げたA・シュバイッツアーの本「イエスの生涯」の中で、イエスは自分が「救い主メシヤであるという意識」を持っていたかどうかという「イエスのメシヤ意識」を論じています。
聖書には二通りの記述があるからです。
一つはイエスは自分が救い主だという自意識をもっていたと思われる記事です。
反対にイエスは人の姿をとり、人としての苦しみを担い、どこまでも己を低くして人に仕える、僕の道を歩まれた。十字架の死はその証拠だ。人と同じように感じ、受け止める。そこに余計な救い主.メシア意識はなかったという理解です。
まず、イエスは自分をメシヤだと思っていた。イエスは「この杯を取り除いてください」とゲッセマネで祈った時、メシヤである私がまさか、十字架につけられるのですか、ほんとですか?という驚きがある。神は、メシヤである私を「十字架につけるがままにして、何もしないで、見捨てられるのですか」と叫んでいます。自分を救い主メシヤだと思っていたから、十字架は不本意だ。裏切られた。こういうイエスが記されています。

 牧師でもあったシュバイッツアーが医療奉仕に身を捧げる時、あらゆる病を癒す救世主・メシアという自意識で行くのか、または、どこまでも己を低くして主の僕の道を行くのか、これはシュバイッツアーにとって根本問題だったに違いありません。さらに、かつてのフランス領ガボン共和国での医療活動はその贖罪意識も根底にあったのではないかと思われます。
シュバイッツアーに大きな影響を受けた岩村昇医師が、近代医学の知識と技術を持ってネパールで20年働いて、最終的に自己批判して、間違っていたと言われたのは、先生自身が病気で力をなくした時、ネパールの人たちが現地の伝統的な看病によって回復した時のことでした。それから、東南アジア一帯の青年を日本に迎えて、農業、漁業、福祉分野の研修を一年して地元に返し、国際交流する。PHD(Peace ・Helth ・HumanDevelopment)運動を提唱され、神学部の寮で過ごしたことのある故草地賢一氏に受け継がれたPHDの研修旅行で、私たちの教会によってもらい、教会員のうちに分散して泊まってもらうプログラムを持ったことがあります。
岩村先生は自分のいわばメシア意識の問題は、先生自身の被爆体験を含めて、大きな視野での交流によって克服された、といえます。

主の祈りは本来一体である天と地を、二つに分けて対立、矛盾、分断し,どちらかを否定して、争い、戦い、酷い世界になる。私たちの近未来、すでに現在がそうなっていて、「もしトラ」になったらどうしようと、トランプがアメリカ大統領になったらどうなるかと、盛んに分断慣れを呼びかけているように思われます。
「天におけるように地の上にも。」という主の祈りは天地を一体に見る心の目を必要とします。
分断のユダヤ教社会、ローマ帝国と周辺に立ち向かうには、天地一体の交流の目が必要であったことは、私たちの時代でも同じです。

「天におけるように地の上にも」と祈りつつ日々を過ごしましょう。

 

今日の祈り

恵み深い天の神、春の薄寒い時候の中で、陽の温もりを感じる日々を過ごしています。
歪んでしまった世界は、ウクライナとイスラエル戦争で振り上げた拳が着地点を探しても見出せないまま、長引く危機に立ちすくんでいるように見えます。その中で巨大な利権分配機構を作り上げてきた政権が、一人歩きをして、支持を失い、まもなく崩壊の時を迎えるにあたって、国民の運命を考えている真の保守政党の出現が期待されています。戦後アメリカ支配のとらわれから抜け出る時が近まるように祈りつつ、待ち望みたいものです。 願いと祈りを主イエスキリストのみなによって祈ります。アーメン

 


 


季節のカンタータ

BWV71 神はわが王

第2曲 わたしは今や80歳

ダビデは40才になった息子アブサロムの裏切りにあい、亡命生活をしていた頃、ダビデを匿ってくれた富裕なバルジライに助けられた。やがてアブサロムが戦死し、エルサレムに帰還する時が来た。ダビデは大変世話になったバルジライを連れて帰り一緒に住もうと言った。しかし、「バルシライはわたしはもう80歳になります。父母の墓のそばで暮らしたいのです。自分の代わりに息子をを連れ行ってくださいと言って固辞した。」
サムエル記下 19:33-38

このエピソードをバッハは本曲BWV 71「神はわが王」の第2曲に取り入れた。バッハは、1702年、22才の12月に、ミュールハウゼン市ブラウジス教会オルガニストの任命を受けた。ところが、その三日後に400軒が被災する大火が起こり、しかも市長宅のモルタル塗りの屋根から出火した。三つある教会の二つも被害を受けた。その渦中にバッハは結婚したばかりの妻と引っ越してきた。大変な年明けとなり、2月4日に市の新参事会員の就任式が行われた。このために「神はわが王」BWV 71を作曲、演奏した。初仕事でした。
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 そういえば私も今年12月で80歳になるところです。
バッハは22歳でこの逸話を引用し、年老いた議員たちの
労苦をおもっていたことにしばし、感銘を受けています。