⭕️ チャペルアワー

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     224   7月7日    チャペルアワー

今日の言葉
天にあるものの写し
読みあげ音声クリック↑ 約9分

キリストは天にあるものの写しにすぎない、
人間の手で造られた聖所にではなく、
天そのものに入り、
今や私たちのために神の御前に現れてくださった。ヘブライ人への手紙9章22-23節
↓ クリック




良寛詩集の中に「指によって月を見る」という詩があります。
指の導きによって、満月の美しさに感動する。
この指と月とは同じではないが、全く異なるとも言えない。
如実に知り得たならば、指もなく月もない。
良寛和尚のことを、私はあまり知りませんが、 この一つの詩で、良寛の生い立ちや業績について何も知らなくても  すごい人物だと感じさせるものがあると思いませんか.

如実に知る。というところです.
この知るは自分が世界の中に溶け込んでその一員になりきっている、
そのような知、世界全体の知といえる。

□  天にあるものの写し  ヘブライ人への手紙でキリストは「天にあるものの写し」、
24節に、「キリストはまことのものの写しにすぎない」とあります。
この「すぎない」とはどんな意味を表す訳なのかわかりませんが、
写しとは「まことのものをあらわす」一例とか、印・サインというならばわかりますが、  ヘブル書では「かげ」とも言いました。
言いかえると、良寛が詩に歌った、指差す「指」であり、
キリストは神を指差す指である。
その導きによって私たちは神に出会う。出会いによって如実に知る。
そこに喜びがある。感動がある。人生の新しい出発があります。
如実に知り得た神と共なる歩みが始まります。
さらに、この詩は三段階をなして、弁証法を踏んでいます。
同じものではない。異なるとも言えない。西洋の人たちが言う無,否定的な虚無とは違う。
有るものを否定して無とするものではない。
全体の中に私が溶け込んで無となるような無です。
「私が」という自己主張をやめて、むしろ己を無にして、
全体の和合に生きる美しい無です。

□  さて、復活したイエスがエマオのニ弟子と出会う話があります。
イエスに出会っているのに、3日前に十字架で死んだ姿が頭から離れないのです。
話している相手がイエスだと分かったとたんに、イエスの姿が無くなる。
「あの時、私たちの心が燃えたではないか」という結論は凄いです。
心燃える体験だけが残り、新しい人生の出発を記しています。(ルカ24:13以下)
イエスは肉の姿であると同時に肉に宿った神が生きている。
それまでは肉のイエスにまどわされ、指差す指を見て、月を見ないがごとくでした。  イエスを如実に知ったので、イエスの肉の姿の代わりに、弟子たちの燃える喜びが残った。
イエスの復活は弟子たちに担われてこそ、復活と言える。
この世にあらわれたイエスの肉の姿は、まことを指差す指、神を指差す指にすぎない。  仲を取り持つ仲人が、話がまとまって、二人は意気投合しているというのに、
適当なところで姿を消してあげないといけません。
そのように、イエスはエマオの弟子たちに心燃える人生の出発を祝し、支援して、離れるのです。

アウグスチヌスは、如実に知る「知」を深く考察した、キリスト教の古代教父です。
父なる神・子なるキリスト・聖霊の交わり、この三つは一体である。
三位一体の教えを基礎としたとき、アウグスチヌスは如実に知る知の中心にいました。
その「告白録」で「知ること」についてずいぶん頁数をさいています。
知ることは神に知られている自分を知ることだ。自分一人で自分を研究しても、
解剖した細部を知ることはできても、如実に知る人の真実には到達できない。
神に知られている内容は、コリント第一の書13章の「愛の讃歌」の最後に、
「はっきり知られているようにはっきり知ることになる」とあります。
愛がこの知ることを実現する。愛とは一つになること。知ることは一つになることです。
イエスに現れた神の愛、それは自分を捧げる犠牲的な愛、
それによってふたつのものが一つになる、そのような愛であり、
私が知った神は私に宿ることになる。私は神と一体になり、
神が私の中に生きて働く主体となる。イエスが神を父と呼ぶ子の近さで父を知った。
父なる神はイエスに宿り、イエスの中に働いて、如実に神の力を知るというように、
知ることで、父と子が一体になるということ、神の働きである聖霊が宿り、
父と子と聖霊の三つのものが一つになるという。


このように如実に知るという知と反対を行った、キリスト教の一派があります。
イエスは人であるか、それとも神であるか。この「神人論争」が交点を失なって迷走し、
分裂を繰り返す時代がありました。イエスが人であるか神であるかという議論が交わる接点は、
今申しました「如実に知る」という接点です。如実に知るということを抜きにすると、
議論はまとまらずに分裂します。
イエスは人だ、人間だと言い張った人たちは、ネストリウスという指導者のもとで、
正統派になった人たちから排除され、その流れは日本まできています。
イエスは人であって神ではない。ネストリウス派は、中国で景教となって百年つづき、
日本に太秦教(うずまさきよう)として入ってきます。
教えは、健康で長生きをする秘訣十ヶ条というような養生訓の形になって今に至っています。
そこには、キリストの十字架はありません。罪を贖う贖罪愛もない。
如実に知るというような、ことも ありません。
神の創造になる人間が神性を宿すとか、
神と人、人と世界と一体性とか、調和は考えられないのです。
しかし、パウロが言うように知ることは信じること、
信じるは愛する聖霊の働きによって、3段論法の飛躍を認めている。
そして愛することは希望を生みだす。
忍耐や練達が信じることや希望と結びついて、人間性の深いところへと導いていく。
神を指差すキリストによって導かれる道であります。

産声をあげて、この世に生まれ、今を生きている。
世界の中の被造物の一つ、私たちは 草の花の一本を見てくださる神のまなざしを受け継いでいく。
そのような私たちです。
神を知り神と一つになる。神のまなざしを我がまなざしとし、
神の御心を我が心とし、神の思いを我が思いとする。
私たちの孤独と寂しさを癒すものは、神を知ることであります。
天にあるものの写しであるキリスト、まことのものの写しであるキリストに導かれ、
天地一体を生きる。神と一体となる道を自分を無にして、開いていかなければなりません。


おすすめのカンタータ

 BWV71神はわが王 第2曲 わたしは今や80歳

ダビデは40才になった息子アブサロムの裏切りにあい、亡命生活をしていた頃、ダビデを匿ってくれた富裕なバルジライに助けられた。やがてアブサロムが戦死し、エルサレムに帰還する時が来た。ダビデは大変世話になったバルジライを連れて帰り一緒に住もうと言った。

  しかし、「バルシライはわたしはもう80歳になります。父母の墓のそばで暮らしたいのです。自分の代わりに息子を連れ行ってくださいと言って固辞した。」     サムエル記下 19:33-38

   このエピソードをバッハは本曲BWV 71「神はわが王」の第2曲に取り入れた。バッハは、1702年、22才の12月に、ミュールハウゼン市ブラウジス教会オルガニストの任命を受けた。ところが、その三日後に400軒が被災する大火が起こり、しかも市長宅のモルタル塗りの屋根から出火した。三つある教会の二つも被害を受けた。その渦中にバッハは結婚したばかりの妻と引っ越してきた。

大変な年明けとなり、2月4日に市の新参事会員の就任式が行われた。

このために「神はわが王」BWV 71を作曲、演奏した。この第2曲でバルジライのエピソードを引き、大変な苦労をして引退する参議会議員に感謝し、慰労している。

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今日の言葉
天にあるものの写し
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キリストは天にあるものの写しにすぎない、
人間の手で造られた聖所にではなく、
天そのものに入り、
今や私たちのために神の御前に現れてくださった。ヘブライ人への手紙9章22-23節
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良寛詩集の中に「指によって月を見る」という詩があります。
指の導きによって、満月の美しさに感動する。
この指と月とは同じではないが、全く異なるとも言えない。
如実に知り得たならば、指もなく月もない。
良寛和尚のことを、私はあまり知りませんが、 この一つの詩で、良寛の生い立ちや業績について何も知らなくても  すごい人物だと感じさせるものがあると思いませんか.

如実に知る。というところです.
この知るは自分が世界の中に溶け込んでその一員になりきっている、
そのような知、世界全体の知といえる。

□  天にあるものの写し  ヘブライ人への手紙でキリストは「天にあるものの写し」、
24節に、「キリストはまことのものの写しにすぎない」とあります。
この「すぎない」とはどんな意味を表す訳なのかわかりませんが、
写しとは「まことのものをあらわす」一例とか、印・サインというならばわかりますが、  ヘブル書では「かげ」とも言いました。
言いかえると、良寛が詩に歌った、指差す「指」であり、
キリストは神を指差す指である。
その導きによって私たちは神に出会う。出会いによって如実に知る。
そこに喜びがある。感動がある。人生の新しい出発があります。
如実に知り得た神と共なる歩みが始まります。
さらに、この詩は三段階をなして、弁証法を踏んでいます。
同じものではない。異なるとも言えない。西洋の人たちが言う無,否定的な虚無とは違う。
有るものを否定して無とするものではない。
全体の中に私が溶け込んで無となるような無です。
「私が」という自己主張をやめて、むしろ己を無にして、
全体の和合に生きる美しい無です。

□  さて、復活したイエスがエマオのニ弟子と出会う話があります。
イエスに出会っているのに、3日前に十字架で死んだ姿が頭から離れないのです。
話している相手がイエスだと分かったとたんに、イエスの姿が無くなる。
「あの時、私たちの心が燃えたではないか」という結論は凄いです。
心燃える体験だけが残り、新しい人生の出発を記しています。(ルカ24:13以下)
イエスは肉の姿であると同時に肉に宿った神が生きている。
それまでは肉のイエスにまどわされ、指差す指を見て、月を見ないがごとくでした。  イエスを如実に知ったので、イエスの肉の姿の代わりに、弟子たちの燃える喜びが残った。
イエスの復活は弟子たちに担われてこそ、復活と言える。
この世にあらわれたイエスの肉の姿は、まことを指差す指、神を指差す指にすぎない。  仲を取り持つ仲人が、話がまとまって、二人は意気投合しているというのに、
適当なところで姿を消してあげないといけません。
そのように、イエスはエマオの弟子たちに心燃える人生の出発を祝し、支援して、離れるのです。

アウグスチヌスは、如実に知る「知」を深く考察した、キリスト教の古代教父です。
父なる神・子なるキリスト・聖霊の交わり、この三つは一体である。
三位一体の教えを基礎としたとき、アウグスチヌスは如実に知る知の中心にいました。
その「告白録」で「知ること」についてずいぶん頁数をさいています。
知ることは神に知られている自分を知ることだ。自分一人で自分を研究しても、
解剖した細部を知ることはできても、如実に知る人の真実には到達できない。
神に知られている内容は、コリント第一の書13章の「愛の讃歌」の最後に、
「はっきり知られているようにはっきり知ることになる」とあります。
愛がこの知ることを実現する。愛とは一つになること。知ることは一つになることです。
イエスに現れた神の愛、それは自分を捧げる犠牲的な愛、
それによってふたつのものが一つになる、そのような愛であり、
私が知った神は私に宿ることになる。私は神と一体になり、
神が私の中に生きて働く主体となる。イエスが神を父と呼ぶ子の近さで父を知った。
父なる神はイエスに宿り、イエスの中に働いて、如実に神の力を知るというように、
知ることで、父と子が一体になるということ、神の働きである聖霊が宿り、
父と子と聖霊の三つのものが一つになるという。


このように如実に知るという知と反対を行った、キリスト教の一派があります。
イエスは人であるか、それとも神であるか。この「神人論争」が交点を失なって迷走し、
分裂を繰り返す時代がありました。イエスが人であるか神であるかという議論が交わる接点は、
今申しました「如実に知る」という接点です。如実に知るということを抜きにすると、
議論はまとまらずに分裂します。
イエスは人だ、人間だと言い張った人たちは、ネストリウスという指導者のもとで、
正統派になった人たちから排除され、その流れは日本まできています。
イエスは人であって神ではない。ネストリウス派は、中国で景教となって百年つづき、
日本に太秦教(うずまさきよう)として入ってきます。
教えは、健康で長生きをする秘訣十ヶ条というような養生訓の形になって今に至っています。
そこには、キリストの十字架はありません。罪を贖う贖罪愛もない。
如実に知るというような、ことも ありません。
神の創造になる人間が神性を宿すとか、
神と人、人と世界と一体性とか、調和は考えられないのです。
しかし、パウロが言うように知ることは信じること、
信じるは愛する聖霊の働きによって、3段論法の飛躍を認めている。
そして愛することは希望を生みだす。
忍耐や練達が信じることや希望と結びついて、人間性の深いところへと導いていく。
神を指差すキリストによって導かれる道であります。

産声をあげて、この世に生まれ、今を生きている。
世界の中の被造物の一つ、私たちは 草の花の一本を見てくださる神のまなざしを受け継いでいく。
そのような私たちです。
神を知り神と一つになる。神のまなざしを我がまなざしとし、
神の御心を我が心とし、神の思いを我が思いとする。
私たちの孤独と寂しさを癒すものは、神を知ることであります。
天にあるものの写しであるキリスト、まことのものの写しであるキリストに導かれ、
天地一体を生きる。神と一体となる道を自分を無にして、開いていかなければなりません。


おすすめのカンタータ

 BWV71神はわが王 第2曲 わたしは今や80歳

ダビデは40才になった息子アブサロムの裏切りにあい、亡命生活をしていた頃、ダビデを匿ってくれた富裕なバルジライに助けられた。やがてアブサロムが戦死し、エルサレムに帰還する時が来た。ダビデは大変世話になったバルジライを連れて帰り一緒に住もうと言った。

  しかし、「バルシライはわたしはもう80歳になります。父母の墓のそばで暮らしたいのです。自分の代わりに息子を連れ行ってくださいと言って固辞した。」     サムエル記下 19:33-38

   このエピソードをバッハは本曲BWV 71「神はわが王」の第2曲に取り入れた。バッハは、1702年、22才の12月に、ミュールハウゼン市ブラウジス教会オルガニストの任命を受けた。ところが、その三日後に400軒が被災する大火が起こり、しかも市長宅のモルタル塗りの屋根から出火した。三つある教会の二つも被害を受けた。その渦中にバッハは結婚したばかりの妻と引っ越してきた。

大変な年明けとなり、2月4日に市の新参事会員の就任式が行われた。

このために「神はわが王」BWV 71を作曲、演奏した。この第2曲でバルジライのエピソードを引き、大変な苦労をして引退する参議会議員に感謝し、慰労している。

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カンタータ一覧

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JSバッハ カンタータ一覧

      BWW  曲   名  曲数 教会暦 投稿年
  01 輝きいでる明けの星   6 2020 
  02 ああ、神よ天からみて  6 三15 2023 
  03 ああ、神よ多くの思い煩いが  6 参事 2023 
  04 キリストは死の縄目に  8  復 2020   
  05 どこにわたしは逃れるべきか  7 三19 2023 
  06 泊りませ  6 2020 
  07 われらの主キリストはヨルダン川に 7 ヨハネ 2024 
  08 愛する神私はいつ死ぬのでしょうか 6  三16 2021
  09 わたしに来た救いは  7 三6 2024 
 10 わがこころ主をあがめ 7 マリア  2023 
 11 神をほめよ 11  昇  2020
 13 ため息も涙も数えきれない 6 顕2 2024 
 15 あなたは私の魂を 10  降3 2020 
 18 天から雪降り、雨下り 5 復8 2023 
 19 かくて戦いが起こり 7  ミカエル 2023 
 20 おお永遠 雷の言葉  11 三1 2023 
  21わたしは心に多くの悩みあり 11  復前8 2022 
  26 人の命は儚くむなしいもの  8  2020
  27 誰が知る終わりの時を  6 三一16 2023 
  29 われら神に感謝し 8   参  2024 
  31 天は笑い地は歓喜する  9 復1  2023
 36 喜び 高く舞いあがれ  8  待 2020 
 36a 喜び空に舞いあがれ  9 結婚 2024
 36b 喜びがわきあがり  8 誕生 2024
 36c 喜び高く舞いあがれ  9  誕生祝 2024
 39 パンを飢えた人に  7 三1 202
 45 人よなにが善いことか 7 三8 202
 47 自分を高くする者は低くされる 5 三17 202
 49 行ってあなたを慕い求める  6 三20 2024 
 50 今やわれらの神の救いと 1  ミカエル 2021 
 51 全地で神をほめたたえよ  5 三15  2021
 52 私は偽りの世を信じない  6  三23  2021
 55 私は哀れな罪の僕  5 三22  2021
 57 試練に耐える者はさいわい  8  降2  202
 60 おお永遠 汝 雷のことば 5 三 24  2023
 62 今こそ来ませ異邦の救い主  6 待1 2023 
 63 キリスト者よこの日を刻め  7  降1 2022 
 65 シバの人々はみな来たり  7  顕 2021  
 68 神はかくまで世を愛し  5  聖2  202
 69 わが魂よ主をたたえよ  6 2023
 71 神はわが王  7  参事会  202
 79 主なる神は太陽また盾  6  宗教改革  202
 80 神はわが高き櫓(やぐら  8 宗教改革 2023 
 82 わたしは満ち足りている  5 マリア   2023
 83 喜び満ちる契約の時  5  マリア 2023 
 84 私はわが幸に満足しています  5 マリア 2024 
 86 まことにあなたに言う  6  復5  202
 88 見よ、わたしは漁師をおくる  7 三5  2021
  89 エフライムをいかにすべきか  6 三21 2024 
 91 ほめたたえよイエスキリストを  6 三25  202
 92 神のみ心によって  9  復前9 2023 
 94 この世がなんなのか 8 三9  202
 99 神のなされることは  5 三15 2021  
 101 われらから去り去りたまえ 7  三  2023
 104 イスラエルの羊飼いよ  8 三9 2021  
 106 神の時はいと良き時  4 葬儀  202
 110 われらの口は笑いがあふれ  7 降1  2021
 111 み心がいつもなされますように  6  公3 2023 
 112 主は善き羊飼い 5 復2  202
 114 愛するキリスト者よ雄々しくあれ   7 三17 2024 
 119 エルサレムよ主をほめよ 参事会員 2023
120 神よ、あなたはシオンの静けさの中で 6 参事会員 2024
 125 平和に喜んで馳せゆく  6 マリア 2023 
  162 私は婚礼に出る今    
 130 主なる神をたたえ  6 ミカエル  2023
 131 深い淵から  5 不明  202
 137 力の君 主のみ名をほめよう 5 三12  202
 140 起きよとよぶ声 7 聖27  2021
 147 心と口と行いと命で マリア訪問 10 マリア訪  2021
 149 勝利の喜びが歌われる  7  ミカエル  2023
 150 主を 仰ぎ望む  6 不明  2021
 151 甘きなぐさめイエス来まし  5 降3 2023 
 152 信仰の道を歩め 6 降1 2023 
 156 わが片足墓穴につき  6 顕3  202
 161 来ませ甘き死の時よ  6 三16 2021 
 162 私は婚礼に出る今   6  三20   2024 
 163 人はそれぞれ分に応じて  6 三23 2024 
 165 おお聖霊と洗礼よ 6  三 2023 
 170 満ち足りた安らぎ  5 三6 2023 
 172 響け汝がうたよ 6 2021 
 173 高められた血と肉よ  6 2023 
 180 魂よ自分を飾れ 7  復前8 2023 
 182 天の王よようこそ来ませ  8 2021 
 186 魂よ怒ることなかれ  11 三一7 2024 
 191 いと高き所では神に栄光あれ  3 不明 2021 
 193 シオンの門よ、ヤコブの住まいを喜べ  6 2023 
197 神はわれらのよりどころ 10 結婚式 2024
 199 わが心 血の海を泳ぐ  8 三一11  2024 
 202 しりぞけ物悲しい陰よ  9 結婚 2021 
 

 

🍅 カンタータ 2024年

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      🍅 カンタータ 2024年バッハカンタータ楽器 ボーカル構成表
http://piqua-1.la.coocan.jp/Cantata.html
  17 120 神よ、あなたはシオンの静けさの中で  ラ イプツィヒ市参事会議員交替式 20240514
  16 29 われら神に感謝し 20240510
15 036 よろこび高く まいあがれ 202405
14 36a 喜び空に舞いあがれ 202405
13 36b 喜びがわきあがり 20240503
12 36c 喜び高く舞いあがれ 20240422
11 195正しい人に光さし出で         結婚式カンタータ
10 84  わたしはわが幸に満ち足りている  20240330
9 007  われらの主キリストはヨルダン川に来たり  洗礼者ヨハネ記念日  20240326
8 013  ため息も涙も数えきれない 20240319
7 049 行ってあなたを慕いあえぐ  20240308
6 009 私にきた救いは 20240308
5 186  魂よ怒ることなかれ 20240224
4 199  わが心 血の海を泳ぐ 20240208
3 163  人はそれぞれ分に応じて 20240127
2 114  ああ愛するキリスト者よ雄々しくあれ 20240121
1 089  いかにすべきかエフライムを 20240114
備考 2023年末
BWV05  どこにわたしは逃れるべきか 20231229
BWV18  魂よ自分を飾れ 20231215
BWV83  喜び満ちる契約の時 20231212
BWV82  わたしは満ち足りている 20231203

🌸🌺🌼🌝🌿🪴🎋🔥🌈🍎🍇🍅🥕🥯