旅のあし跡

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姨捨駅から見渡す

  寝観音とよばれる阿蘇連山
外輪山のこっちから見ると
観音様が寝ているように見えることから
「寝観音と呼ばれている。





    阿蘇の街並み
ホテルから見た阿蘇の街並み。
その中にネズミ講詐欺の大事件があって、
そのお金で建てた巨大なピラミッドのような建物が
廃墟となっているのが虚しく恥ずかしい感じがしたので描かなかった。

 

 

 

大淀川 宮崎




    門司港レトロ
門司港レトロ かつて賑やかだった北九州の門司。
近代日本の象徴八幡製鉄が役目を終えて、
廃墟に近い経過を辿る国策とはなんなのか。
大量の炭鉱労働者も道連れにして。
日本の歴史は本質的に「棄民」の歴史を表している。
この政治に抗い、勝ち取る人権思想がまだ熟していない。





    朝から噴火中の桜島

若い時に教会の年配者に

「桜島にスケッチにいきませんか?」
と誘われて、AさんとBさんと三人で出かけた。
噴煙が立ち上り、風向きによっては灰も降ってくる。
生まれ育って長年暮らしている人たちのことを思った。
誰もいない山と、こんなにして故郷を離れたりしない人たちがいて、
桜島大根を育てている人達がいる山と、違うよねー。
帰って、桜島大根収穫や、噴煙のニュースを見るたびに思う。
避難しても戻ってくるんだなぁと。
その後、鹿児島加治屋町教会が無牧となり、
日曜礼拝の応援に行った時、
宿舎から見た桜島が神々しくみえた。





本 土




    関西学院図書館
関西学院中央芝生の周りを囲む校舎の一つ神学部。
こんな小さな一棟に5教室? チャペル、学部図書館、
自治会室、部長室、事務室と満載だった。
今は、授業棟を他学部と共有している。






 関西学院神学部







  姨捨駅から見渡す信州松本近郊。
東京で疲れ果てた女性が電車に乗って、姨捨駅で下りて、
その風景に癒されて・・・と旅の足跡の解説をつけ、
本の紹介のページの薄い灰色と同じ背景にするというテレビを見て、
しんみりした。映画「楢山節考」で60才になった母を背負って
山を登っていく子役の緒方拳の最後のセリフ。
別れ際に「おっかあゆきが降ったぞー。よかったなぁ」
と禁を破って声を出すところが忘れられない。
確かに、物語性に富んだ場所なのに、
駅には観光客向けにいろんな説明が墨書きして貼り付けてあったのには
興ざめしました。
この時、戦死した若手画家の作品をあつめた「無名館」も訪ねた。
建設を呼びかけた人の中の野見山暁治さんの妹さんが
教会員だったこともあって、また、野見山さんが嘉穂高校(中学)卒であって、
わたしも一年間嘉穂高校に通ったーいわば同窓生もどきーの感覚で、
勝手に親しみを覚えているが、優秀な若手が戦争に駆り出され、
無念な人生を覚えて遺作を通して、襟を正す機会を与えてくれている。 




             
  御所の朝
  京都大学で日本キリスト教学会があり、
私学共済会館に泊まって、翌早朝に隣の御所を歩いた   



               



 阿吽の仁王揃像に守られて 法隆寺








中宮寺

法隆寺が男子校ならば中宮寺は女子高だったと

考えれば、わかったような気がする。







ド イ ツ





 ドイツ国鉄






 車中の中学生
ミュンヘンから東ドイツ時代のベルリンに向かう電車。
夜が明けて、自転車でベルリンに向かう三人が色々はなしかけて、
日本から何時間かかったのかという質問の意味がわからずこまった。
時間はstundenシュトゥンデンって、後からわかったのだが、
そんなことがたびたびあった。





  現在人口800人のメットリンゲン村の教会
 メットリンゲン村の教会 
評伝「ブルームハルト父子」井上良雄著を読んで、訪ねた。
教会員のコットリービン・ディトゥスの心の病が癒された話に
興味をもって・・・。




  ヴァィルデァシュタット駅




  山の中の古城




バートラガッツ
  バート ラガッツ
フランクフルトの町の生活になじめなかったハイジは心を病んで、
山にもどった。クララはその山を訪ねた。
ひと駅前のここ温泉地ラガッツで一休みして、
翌朝ハイジの里についた。



   ハイジハイジの里 1
ハイジの里 ハイジホフ
アルプスの少女の作者ヨハンナ、スピリは
物語が出来上がるまで、この地に住んで書いた。




   

ハイジの里2



   

ハイジの里3
ハイジの里  ハイジホフ
登ってきて、また右のほうに登っていく。




   ハイジの里4
 
 ハイジホフ
ハイジの物語にでてくる山小屋。こんなイメージだったのでしょう。二階に窓かある部屋にハイジは住んでいたようですが。

 



   ライプツィヒの門 
城壁で囲まれた門は各都市にあるそうで、
「メンデルスゾーンの3代」音楽の友社の中に、
初代モーゼスメンデルスゾーンが田舎からベルリンにやってきた時、
門の脇にある動物の通用門から入れと言われた話を思い出した。
貧困と栄養不良でカリエスを病んだ彼は「何しに来た」と門衛から言われて、なんと言い返したかは忘れたが、呉服屋の店員から番頭、会計係になって、
信頼されていた。
また数か国語を身につけて、豊富な知識を求めて外地から
来る人たちのサロンをなした。
孫がライプツィヒのゲバントハウスの指揮者となり、
バッハのマタイ受難曲100年を記念した演奏が評判となり、
バッハをよみがえらせたというように三代続いた。


 

   聖トマス教会 ライプツィヒ
バッハが働いた教会、その少年合唱団の本拠地。
東ドイツ時代の圧政下、建物は黒ずんで、
メンテナンスがなされていないパイプオルガンの
おとはかすかにすすけた感じだったが、
近代の金きらきんよりはいいかなぁという印象をうけました。



 
 


 
 

  現在人口800人の
メットリンゲン村の教会
 
 
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