本の広場

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ほんの広場    42冊
1.最近読んだ本 8冊
a,小説 a1,クララとおひさま 
     2,1984年 3,1984年に生まれて 

     4,わたしを離さないで 5,ホモ・デウス 
b,童話 1,星の王子さま 2,モモ
c,翻訳 2冊  1,なぜわたしが   2,ディアコニー

2,命を科学する 8冊
1,子宮の記憶、2,胎児は学ぶ、3,誕生の記憶、4,記憶する心臓、
5,死ぬ瞬間 6,人生は廻る輪のように 7,「死の医学」への序章、
8,犠牲

3,戦 争 4冊
1,アドルフに告ぐ、2,杉原千畝 6000枚のビザ、
3,生きるに値しない命か  
4,第三帝国と安楽死ー生きるに値しない生命の抹殺
5,ナチスドイツの聴覚障害者ー断種と「安楽死」政策を検証する

4,なぜ?考察 12冊
1,夜と霧、2,それでも人生にイエスという、3, 戦争と罪責、
4, 第二の罪、
5, 荒野の40年、6,戦争・ナチズム・教会、
7,子どもたちのホロコースト、
8,失われた祖国、9,精神の遍歴、10,自然・人間・宗教、11,ユングの生涯、
12,精神病院の起源、 11ユング以下二つ訂正

5,人生・道  8冊
1,なぜわたしだけ苦しむのか、2,人は成熟するにつれて成長する、
3,庭仕事の愉しみ、4,人間の大地、5,人生の短さについて、
6.平和学入門、
7,変装、8,絶対音感

 
 

3


1.最近読んだ本

1a_0 「ホモ・デウス」       
 ユバル・ノア・ハラリ

ホモ デウス」 YNハラリ 河出書房新書 2022
YNハラリ イエラエルの哲学、歴史学者 1976年生まれ オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻、2002年に博士号取得。ヘブライ大学で歴史学を教えている。
 2月にウクライナ戦争が始まって、テレビでハラリさんの発言を聞いた。明確にウクライナは勝つと言っているところが印象的だった。国民の生存をかけた意思がはっきりしている防衛戦争であることなどを挙げていた。分かっている人なんだなぁと思った。
10月末に福岡南図書館がリニューアルオープンしたので、本を借りようとして検索したら、ハラリさんの本10冊くらい、どれも貸し出し中で、他の11の図書館も同様だった。2回、3回とアクセスしたが、同じだった。
ふとアマゾンをのぞいたら文庫本二冊で1980円だった、クーポンが600円残っていて使えるので、1380円になり、バス一区間往復すると、とか考えるとと、こっちがいいかもと思って、文庫本を購入した。来るまでKindlの見本一覧で50ページくらいは読めたので、いい導入になった。





1a_1 「クララとお日さま」       
1-1 
カズオ・イシグロ 主人公AF(人工友達)のクララはもう1人のローザと、AFを販売する店のショーショーウィンドウで、パートナーとなる買い主を待っている。彼らは太陽光のような光を身に受けて生きている。ちょうど太陽電池で走る車に充電するように、高層ビルの谷間にさしてくる短時間の光でも身に浴びなければ生きていけない。店内のショーウインドウからみえる表通りには、すでにパートナーとなったAFと歩く人の姿が散見される。  母親と店を訪れたジヨジーは主人公クララを気に入ってくれたが、親との話がつくまで待っていてねと言って分かれたきり、現れない。その間、一緒に店に来たローザはパートナーとして引き取られていった

1a_2 小説「1984」       



ジョージ・オウエル 
若者に読まれているベストスセラー小説「1984年」に、真理省につとめ、歴史改ざんを仕事にする主人公が出てくる。気分悪くなるような話だった。1949年にジョージ オウエルが書いた未来が日本で現実となっている。ナチスに倣えといった首脳も最後の時を迎えている。するりと逃げられないように、屈服させられている司法も元気に活躍してほしい。お願いしたい。2018/03/06




1a_3 「1984年に生まれて 」
文化革命を生きた祖父、開放経済の混乱を生きる父と母の間に1984年に生まれた主人公が大学を卒業し進路を決める、大変な時、同級生との交流と別れ。主人公は大学を卒業する年に、会合で友人たちが北京大学やアメリカの大学に決まっていく話を聞きながら取り残される感を強く持っている。わたしも高校転校時、また卒業学年で周りが決まって、おおっぴらには言わないが、沖縄にいた親と相談しようと思う気持ちにはならなかった、沈んだ気持ちは良くわかった。
2002年の中国は開放経済路線が始まったばかりだ、国営企業から社長に権限が集中する自己責任に委ねられ、失敗した人も多かったが、チャンスを生かそうとする人たちがチャレンジし、そうでない人たちは取り残され、使われる側に分かれていった。
この変革の時に、主人王さんは事態の流れについていけない側に残り、はざまにいる。というか、間から両方を見つめている

1a_4 「私を離さないで」       



カズオ・イシグロ ハヤカワ文庫 2008
カズオ イシグロ ノーベル文学賞!
長崎の気象台勤務の父親の転勤でイギリスに渡り、そのまま、日本の記憶をもとに小説を書いてきたという。
「わたしを 離さないで」は、人里離れた林の中の施設に集められたクローンの子どもたち。話はしんしんと進んで行く。
その先に、臓器提供の順番が待っているという子どもたちのこわーい話でした。もう読みたくないと思うほど、現実の奥深いところを描いていました。2017/10/05


1b-1 星の王子さま       

サン・テグジュペリ 岩波書店
異界からこの世にやってきた少年-星の王子さまはバラの花と会話する。「心の目で見なきゃ見えないんだよ」という。私たちがこの世に生まれて、外から押し込まれた価値観や生き方をして、ちっとも自由になれないで、小さく固まっている。少年の目に映るのは、現代の問題を身にまとって汲々としている私たちの姿ではないだろか。山口のザビエル教会プロット宣教師は、星の王子さまは、天から来たイエスを解釈していると示唆されたことがある。

1b-2 モモ       


ミヒャエル エンデ  岩波書店
町外れの遺跡に現れた異界からの少女モモは、町の人たちの話をきいてもらうと気持ちがスーッとする。モモは失われた時間を時間泥棒から取り戻そうとする戦いをしているのだった。朝から夕方まで、道路掃除をしているベツポ爺さんを、人は耐え難い労働を課せられていると同情するが、彼はなあにひと掃きに心を込めて掃くうちに1日が終わると教えてくれる。


1c-1 なぜわたしが?       

エリカ・シューハート著
 人生の危機を経験した人が書き記した2千冊の本を研究し、八つのらせん局面を上り下して、克服できた人、あるいはできなかった人の危機対処について論じている。
九州ディアコニー研究会で招いたE.シューハートの著書を翻訳した。

1c-2 ディアコニー       


ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史 
   エーリッヒ・バイロイター著
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史を、イエスの教えにさかのぼり、現代までを叙述している。 とくにルターの全信徒祭司の思想を外国伝道に対する、国内の福祉諸課題を教会の任務としてとらえた内国伝道の歴史



2.命を科学する  

2_1 「子宮の記憶」 


春秋社編集部  春秋社 1992
アメリカのある臨床心理学者が心身に問題のある患者に催眠療法を行ううち、自分の生まれたときこのことを語る患者に出会った。心理学者はそれまで人にそうした記憶が残っているとは考えていなかったが、患者たちがあまりたびたび口にするのに興味をもった。記憶を取り戻した患者は、どうやら治癒に向かうらしかった。 


2_2 「胎児は学ぶ」       


 エンゲル 大修館  19931120 26週から40週にかけて胎児が成熟していくのにともない、聴覚の刺激に対して胎児が反応するのは、「胎児の中枢神経系の機能が完成すること」を示す。(ガグノン他、1987)。
すなわち、人間の知覚・感覚は、お腹の中で発育している時期に形成されるのである。・・・新生児を二人の女性の間に顔を見られないようにして置き、同時に二人の女性が話しかけると、その子は母親の方を向く。つまり、新生児は明らかに母親の声を認識している。それは生まれる前から聞きなれた声だからである。 

2_3 「誕生の記憶」       



春秋社編集部  春秋社  19921120
アメリカのある臨床心理学者が心身に問題のある患者に催眠療法を行ううち、自分の生まれたときこのことを語る患者に出会った。心理学者はそれまで人にそうした記憶が残っているとは考えていなかったが、患者たちがあまりたびたび口にするのに興味をもった。記憶を取り戻した患者は、どうやら治癒に向かうらしかった。催眠下の患者たちは自分の誕生についてじつにこまごまと語った。 
 
2_4 「記憶する心臓」       


ある心臓移植患者の手記 
クレア・シルヴィア著
心臓移植後におこった数々の不思議な体験。生命の奥深い神秘に迫る衝撃のノンフィクション。
原発性肺高血圧症という難病におかされ、心肺同時移植手術を受けたクレアは、手術後、自分の中に別の誰かが存在していると感じ始めた。


2_5 「死ぬ瞬間」       
 死にゆく人々との対話


エリザベス・キューブラー・ロス  読売新聞社  1971年
死ぬ前に人間はなにを考えるか
死ぬ直前の心理は、恐怖か、迷いか、悔恨か。
死病にとりつかれた200人の絶望的人々に直接面接した「死に至る」深層心理の衝撃の記録。石、看護婦、宗教家、近親者など必読の書 
 

2_6 「人生は廻る輪のように」       



エリザベス・キューブラー・ロス  角川書店 1998年
 本書は、キューブラー・ロスという たぐいまれな女性が20世紀を生きた稀有な愛とたたかいの記録である。すなわち、臓器移植、遺伝子治療、肉体の再生をもくるむ死体や脳の冷凍保存など、ひたすら「神への挑戦」に邁進する「人間の傲慢と愚劣の極み」とたたかいつづけた闘士の記録であり、侵略戦争、ナチズム、偏見、差別による犠牲者に身を挺して援助の子をミしのべた国際的ボランティアの記録であり、超一流の精神科医の臨床記録であり、科学技術と物質文明の時代から溝性の時代への移行期に生ミた科学者の観察記録であり、神秘家の修行の記録である。

2_7「死の医学」への序章          



柳田邦男  新潮社 1986
自らがんによって死んでいった医師の手記を、柳田邦男が編集して生まれた「死の医学」。患者の立場から、病気を見つめ、患者中心の医療を訴える。ちょうど、エリザペス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」が発行された時代でもあり、自分の場合は、死に至る人がたどる心の五段階が、順番どおりでなく入り混じるといって批判したりする。かけがえのない人生の終末の瞬間は、病院の一室に閉じ込められ、「死」は日常から切り離されようとしている。より深き生の充実のためにもっと「死」を思いたい。命の刻む音を聴きながら自らの死をみつめ、記録して逝った精神科医西川喜作の模索のあとを辿りつつ思考する「死の医学」表紙扉より。  

2_8 「犠牲」(サクリファイス)       
―わが息子・脳死の11日



「脳が死んでも体で話しかけてくる」。
自ら命を絶った25歳の息子の脳死から腎提供に至る最後の11日を克明に綴った感動の手記
冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。
生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。

戦 争         
3_1 「アドルフに告ぐ」       


手塚 治虫 、文藝春秋社、1958年 
アドルフと呼ばれた三人の男を描く手塚治虫のまんがである。一人は在日ドイツ領事の息子 アドルフ・カウフマン、その友人でパン屋を父に持つユダヤ人アドルフ・カミル、二人は神戸で幼なじみであった。もう一人はナチスを率いたアドルフ・ヒトラー。この三人である。ヒトラーが政権をとり、ベルリンでオリンピックが開催された頃、数枚の秘密文書が日本に渡った。ユダヤ人を絶滅しようとしているヒトラー自身にユダヤ人の血が混じっていることを証明する文書だという。ヒトラーは1889年4月20日に生まれたが、その出生証明書には税関の検査官であるアロイス・ヒトラーと三度目の夫人であるクララとの間に生まれたことが記されている。また、ヒトラーの父方の祖父はフランケン・ベルガーと名乗る金持ちのユダヤ人であった。その息子は、召し使いとして働きにきた女性との間に子供を作った。マリア・アンナ・シックルグルーバーは42才の時に私生児アロイス・シックルグルーバーを生んだ。ヒトラーの父親がこの人である。「あなたの血のはいったアドルフに一度あいに来てやって」と書かれた手紙は、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人の孫に当たることを証明する書類として、ナチスが隠密裏に探していたものである。

3_2 「杉原千畝」6000枚のビザ       

「アドルフに告ぐ」の中に挿入された話、ユダヤ難民が日本にたどり着き、日本から上海を経由してアメリカ・カナダへと通過したという話はフィクションではない。1941年7月から翌年5月まで、約11月の間に、4664人のユダヤ人難民がシベリア経由で日本にやってきた。横浜、神戸の在日ユダヤ人が中心となり、救援活動に奔走した。とくに、中田重治を中心とした東洋宣教会ホーリネス教会の関係者はユダヤ難民を親身に世話した。当時、外交官としてリトアニアで任務に就いていた杉原千畝(すぎはらちうね)は六千枚の通過ビザを書いたという。ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人難民のために、迫り来る危機のなか、領事館が閉鎖される直前まで、力をふりしぼってビザを書き続けた。また、リトアニアを去るときも、駅で汽車に乗ったあとからも懇願するユダヤ人のために書き続け、汽車の窓から手渡したという。そのビザはアメリカの南、メキシコ湾にある小さい島、オランダ領キュラソー島を目的地とする通過ビザであったので、「キュラソー・ビザ」と呼ばれる。キュラソー島は税関がなくビザを必要としない島である。窮余の一策を思いついて、このようなビザを発行した。杉原千畝氏は六千はビザを書いたという。このビザによって、そのなかの4664人が日本に来たということは、驚くべき奇跡といえる 。

3_3 iki-ru「生きるに値しない命」とは誰のことか       
―ナチス安楽死思想の原典を読む

K.ビンディング , A.ホッヘ , 森下 直貴 佐野 誠訳 窓社 (2001)
本書は、ナチス安楽死政策や、優生学運動・優生思想、安楽死問題・安楽死思想の研究と思索を一歩でも前進させるために編まれたものである。封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。
第1編 テキスト(法律家の見解医師による論評)
第2編 批判的評注(それはいかにして生まれ、利用されたか―法思想史的・歴史的観点から「生きている価値」とは何か―倫理学的考察) 

3_4 第三帝国と安楽死」       
生きるに値しない生命の抹殺

エルンスト クレー 松下正明 批評社 1999
 病人の治療を使命としなければならない医者が、自らの職務として患者を殺害、それも治療の場としての精神病院でそれらが行われたという悲劇を論じる、ナチスによる安楽死問題の原典。ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。


3_5 「ナチスドイツと聴覚障害者」       
   ー断種と「安楽死」政策を検証する

ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

中西 喜久司 文理閣 2002
ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。 


4.なぜ 考察       

4_1 「夜と霧」       
―ドイツ強制収容所の体験記録ー

V.E.フランクル 霜山 徳爾 みすず書房 ,1985
ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。 

4_2 「それでも人生にイエスと言う」       


V.E. フランクル, 春秋社 1993 アウシュヴィッツ絶滅強制収容所から奇跡的に生還した著者が、解放直後の翌年に「それでも人生にイエスと言う」と話したことに私は衝撃を受けた。それが38年の年月を経て翻訳されたことも驚きであった。『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第2次大戦中、ナチス強制収容所を体験をした。その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。

4_3 「戦争と罪責」       


野田正彰 岩波書店 1998
著者からの内容紹介
戦争の時代,そして戦後を通じて,日本人は「悲しむ力」を失い続けてきた.自己の行為に直面し,責任を感じる能力を取り戻すには,どうしたらいいのか.『喪の途上にて』で鋭い社会分析を行った精神医学者が,中国で残虐行為を行った旧兵士への徹底した聞き取りを通じて解明する,われわれの心の中の,欠落と抑圧の問題.


4_4「第二の罪」       



ラルフ・ジョルダーノ 白水社 
ヒトラーのもとで行われた、ユダヤ人虐殺と、これをひきおこしたすべてを第一の罪とすれば、「第二の罪」とは第一の罪をごまかし否定することである。ラルフ・ジョルダーノは彼の著「第二の罪」の中で右のように言っている。そして第二の罪は、今日にいたる戦後西ドイツの政治文化の本質的特徴だという。(同書9頁)ユダヤ人を母として生まれたジョルダーノは多感な少年時代をナチスの暴虐の中に耐え抜いて生きた。解放の暁にはドイツを離れようと堅く決心していたが、解放されてみると、この地に踏みとどまることになった。


4_5 「荒れ野の40年」       
ウァイツゼッカー大統領演説全文



岩波ブックレット  1985
 1985年、ヒトラー・ドイツ降伏40周年記念に際して、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは「荒れ野の40年」と題して演説を行い、「救いの秘密は心に刻むことにこそある」といった。心に刻むことであって、「密封することではない」。この演説はドイツが進むべき方向を世界に示したもので、日本でも岩波ブックレットほかいくつかの翻訳出版がなされ、話題となった。荒れ野の40年とは旧約聖書の出エジプトの民がその不信仰と罪のゆえに、約束の地を目前にして、40年の間荒野を放浪した。ドイツの戦後40年を出エジプトの民にたとえたもので、歴史認識の基礎を解き明かしている。 

4_6 「戦争・ナチズム・教会」       



河島幸夫 1993、新教出版社
「人の生活に重大な影響を及ぼす」政治学を専攻する著者は、ドイツにおけるキリスト教、とりわけ戦時下の福音主義教会が歩んだ道を考察する。 特にヒトラーが「生きるに値しない命」として、20万人の障害者の「安楽死」抹殺を進めた時、患者を預かっていた福祉施設の指導者たちはどのように迎合したか、または抵抗したか。患者抹殺に手を貸したか、患者を守り抜いたか。施設「ベーテル」の抵抗の事例を詳細に検証している。

4_7 「子どもたちのホロコースト」       



ローレル ホリディ 横山 緝子   小学館 1997  
本書は、肉親と引き離された12歳から17歳の子どもたちが、ナチ占領下のチェコ、ハンガリー、ポーランド、リトアニアなどの強制収容所やゲットーなどで密かに記した日記を、編者が世界各国の資料館や図書館などから集めて編纂したものです。11人中5人の子どもたちはアウシュビィッツやポーランドの絶滅収容所で犠牲になりました。 子どもたちの日記には、ゲシュタポの絶え間ない嫌がらせに耐える毎日、生活必需品を手に入れる苦労、友だちや肉親が死の収容所に移されるのを目の当たりにする恐怖などが、生々しく率直に描かれています。 

4_8 「失われた祖国」       



ジョイ・コガワ 中公文庫 1988
はじめ「OBASAN」(おばさん)という本を出版した。1983年、その本は発売されるとたちまちベストセラーになり、「カナダ文学賞」「全米図書賞」を受賞した。カナダ文学賞を受賞したとき、次のように語った。「私はこの本で、私にとって、ひじょうになつかしく、忘れることのできない人びとをとりあげました。日系カナダ人です。 

4_9   「精神の遍歴」   


 竹下夢ニ 関谷定夫著 東洋書林 2000
大正ロマンを代表する放浪の抒情詩人画家・竹久夢二は、徹底した民衆派の美人画家として、今日、多くの人びとを魅了している。その彼が女性遍歴でいろどられた頽廃画家というそしりを受けている反面、若き日に平民社に出入りし、反権力、反戦的社会主義者としてたえず特高からつけねらわれていたという経歴の持ち主だったことも、今ではよく知られている。筆者はつい最近まで夢二についてはほとんど無知に等しかったのであるが、ふとした動機から急に、彼の波瀾にみちた人生の軌跡を追わざるをえなくなった。 
 
4_10 「自然・人生・宗教 」   



佐藤俊男 中川書店  1988
「昨年、1997年3月31日、佐藤牧師は半世紀にわたって奉仕された福岡社家町教会を退任された。生死を分ける戦場(中国の山奥・ニューギニャの密林)での極限状態を生きき抜き、人間と宗教の問題を根底から見直してこられた先生によって、私たちはいわゆる教会という枠内での制約から離れた自由な雰囲気の中でキリスト教の本質について学ぶことができた。
また一哲学徒としての立場を固執してこられた滝沢克己教授(主に西田幾多郎、カール・バルトの研究)が、ご夫妻で受洗されたのもこのような雰囲気のもとであった。


4_10 「ユングの生涯」    
グスタフ・ユング (1875-1961)



G.ユング レグルス文庫 1978
スイスの心理学者。精神病理学者。コンスタンツ湖畔に牧師の子として生まれた。バーゼル大学で医学を学ぶ。1906年以来フロイトと交流を深め、精神分析学会の初代会長となる。後にフロイトと別れ、分析的心理学派を作る。始めフロイトに共鳴したが、リビドーを性的なものに限定することに反対して広く心的エネルギーとみなし、性格を内向・外向の二型に分けたことは有名である。夢の解釈も過去の経験に限ることなく、未来を予告する働きを持つものとした。彼は無意識を、フロイトの個人的なものに対して元始よりの種族的な経験の集積とみなし、「集合的無意識」と名づけた。彼の深層心理学は神秘的な内容を含んで難解であるが、宗教心理学、牧会心理学にとって多くの有益な示唆を与えるものである。  


4_11  「精神病院の起源」   


 
小俣和一郎  講談社現代新書
ヒトラーに心酔したユング、ナチ党員だったハイデガー現代思想史上に輝かしい足跡を残した「知の巨人たち」の知られざる暗部かいま明される。「アーリア人」人ユングーーーフロイトはユングのオカルト現象や宗教への興味に危険性を感じ、ユングはフロイトの性欲説一点張りの頑固さに辟易していた。
 1913年、二人の対立は決定的となり、ユングはIPV会長を辞任する。ユングは「一種の心理的危機に落居の、第一世界大戦が終了するまでほとんど引きこもった生活を送っていた」と多くの評伝は伝えている。しかしながらまさにこの時期、永世中立国であるスイス国民のユングは、ドイツの敵国イギリス・フランス人捕虜収容所で衛生士官の軍務についていた。その時の写真には、生き生きとした表情のユングがはっきりと写し出されている。



5.人生・道


5_1 「なぜわたしだけが苦しむのか」   



H.S.クシュナー 岩波書店 2008
幼い息子が奇病にかかり十余年の命と宣告される。理不尽と思える不幸にみまわれたラビ(ユダヤ敦の教師)が絶望の淵で問う。神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは何か。
自らの悲痛の体験をもとに旧約聖書を読み直し、学びとったことを透徹した理論と澄み切った感性で綴る。人生の不幸を生き抜くための深い叡知と慰めに満ちた書。 

5_2  「人は成熟するにつれて若くなる」    


ヘルマン ヘッセ  草思社文庫 2011
 ナチスに反対して作家活動を攻撃され、スイスで過ごした。ノーベル賞を受けたが、心の病で苦しみ家庭的には幸福だったとは言えないが、今ヘッセが読まれているのは、心の苦しみを持つ人たちが、自分のことを分かってくれていると感じるからだ。人間の弱さと正直に向き合った、その生き方と文章は、今新たな光を浴びている。人はみな老いていく。夕日の暖かみのようなものが正当に評価されている。

5_3「庭仕事の愉しみ」   


H.ヘッセ  草思社文庫 2011
本書には、心温まるスケッチが10数点はいっている。
庭仕事は瞑想である。草花や樹木が教えてくれる生命の秘密。文豪ヘッセが庭仕事を通して学んだ「自然と人生」の叡知を詩とエッセイに綴る。自筆水彩画を多数挿入。
庭にて/9月/幼年時代の庭/青春時代の庭/外界の内界/弟に/ボーデン湖のほとりで/花のいのち/嵐のあとの花/花々にも〔ほか〕 

5-4 「人生の短さについて」   


 
セネカ 岩波文庫  茂手木 元蔵訳
セネカ(前5,4―後60年)はローマ帝政の初期というひどく剣呑な時代に生きた.事実,かつての教え子ネロ帝から謀反に加担したと疑われ,自殺を命じられるのである.良く生きれば人生は十分に長いと説く表題作,『心の平静について』『幸福な人生について』のいずれもが苦境にたちむかうストア哲学の英知に満ちている.人生の短さについて 心の平静について 幸福な人生について 



5_5 「人間の大地 」   
 


犬養道子  中央公論社 1983年 
国連の難民高等弁務官のスタッフとして長年難民問題に取り組んできたレポートである。
「難民」とは、犬養氏によると近代的意味でパスポートを持たない、政治的・経済的理由で、母国を離れた人である。聖書の主要人物も難民であったと指摘し、クリスチャンはとくに難民問題に理解を示してほしいと訴える。確かに、アブラハムもヤコブも、ヨセフもモーセも、そしてイエス・キリストも生まれてすぐエジプト逃避という難民体験をした。

  
5_6 「平和学入門 」   



ガルトゥンク 法律文化社 2003
ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」を提起してから、平和学の対象領域は広がり、貧困や開発、ジェンダーといった日常生活に関わるテーマも含むようになった。
わが国で平和学講座を開講している大学は国立26大学、私立58大学を数えている。平和記念館また資料館は全国49カ所に所在している。ノーベル平和賞受賞者は74人を数える。平和学はその取り組む課題と方法において、広く認知されてきている。


5_7 「変装」   



パット・ムーア 朝日新聞社 1988
著者は、3年間アメリカの老人を経験し小説「変装」を書いた。メーキャップ・アーティストの手を借りて、26歳の顔を85歳の老女に見せる扮装術を身につけた。喉のたるんだ肉、目尻の皺といった特殊メイクを彼女は買いこんだ。頭には白髪のかつらをかぶった。重い矯正靴を履き、白手袋をはめ、杖をつき、特殊なクレヨンで歯を汚した。田舎のストアで買った安物の部屋着とショールをまとった。老女であると実感できるように、関節炎を効果的にみせるために指にテープを巻き、膝の裏に副木を当てて動きを制限した。その変装は完璧だった。変装してアメリカ各地の街中を歩いた彼女は、いつも無視され、粗暴に扱われ、死ぬほどたたかれた。・・・・・ 


5_8「絶対音感」   



 最相葉月  新潮社 2006
「絶対音感」とは自分の中に基準音をもっていることをさす。それはドレミの「ラ」の音を覚えていて、これを基準にどんな音もいいあてる。救急車の警笛や飛行機の爆音を音階で聞いてしまうという。モーツアルトやベートーヴェンは絶対音感をもっていた。だから、小さいときからして訓練して、絶対音感を身につけるという教育が日本で行われてきた時代がある。ヤマハ音楽教室などで行われた。 ところが、そこから生じる問題は音階が分かるが、意味や情緒がかけていく。 「公文式」の算数の練習が技術的にはすばらしく熟達していくとして、その問題や意味を問わないという、問題と似ている。 絶対音(基準音)が、ドイツやアメリカなど国によって微妙に違う、その違いが気になって吐き気を催すような違和感を持ってしまうという。 絶対音感とはなにか、考えさせる。