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ほんの広場 42冊 1.最近読んだ本 8冊 a,小説 a1,クララとおひさま 2,1984年 3,1984年に生まれて 4,わたしを離さないで 5,ホモ・デウス b,童話 1,星の王子さま 2,モモ c,翻訳 2冊 1,なぜわたしが 2,ディアコニー
2,命を科学する 8冊 1,子宮の記憶、2,胎児は学ぶ、3,誕生の記憶、4,記憶する心臓、 5,死ぬ瞬間 6,人生は廻る輪のように 7,「死の医学」への序章、 8,犠牲
3,戦 争 4冊 1,アドルフに告ぐ、2,杉原千畝 6000枚のビザ、 3,生きるに値しない命か 4,第三帝国と安楽死ー生きるに値しない生命の抹殺 5,ナチスドイツの聴覚障害者ー断種と「安楽死」政策を検証する
4,なぜ?考察 12冊 1,夜と霧、2,それでも人生にイエスという、3, 戦争と罪責、 4, 第二の罪、5, 荒野の40年、6,戦争・ナチズム・教会、 7,子どもたちのホロコースト、8,失われた祖国、9,精神の遍歴、10,自然・人間・宗教、11,ユングの生涯、 12,精神病院の起源、 11ユング以下二つ訂正
5,人生・道 8冊 1,なぜわたしだけ苦しむのか、2,人は成熟するにつれて成長する、 3,庭仕事の愉しみ、4,人間の大地、5,人生の短さについて、 6.平和学入門、7,変装、8,絶対音感
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戦 争 3_1 「アドルフに告ぐ」
手塚 治虫 、文藝春秋社、1958年 アドルフと呼ばれた三人の男を描く手塚治虫のまんがである。一人は在日ドイツ領事の息子 アドルフ・カウフマン、その友人でパン屋を父に持つユダヤ人アドルフ・カミル、二人は神戸で幼なじみであった。もう一人はナチスを率いたアドルフ・ヒトラー。この三人である。ヒトラーが政権をとり、ベルリンでオリンピックが開催された頃、数枚の秘密文書が日本に渡った。ユダヤ人を絶滅しようとしているヒトラー自身にユダヤ人の血が混じっていることを証明する文書だという。ヒトラーは1889年4月20日に生まれたが、その出生証明書には税関の検査官であるアロイス・ヒトラーと三度目の夫人であるクララとの間に生まれたことが記されている。また、ヒトラーの父方の祖父はフランケン・ベルガーと名乗る金持ちのユダヤ人であった。その息子は、召し使いとして働きにきた女性との間に子供を作った。マリア・アンナ・シックルグルーバーは42才の時に私生児アロイス・シックルグルーバーを生んだ。ヒトラーの父親がこの人である。「あなたの血のはいったアドルフに一度あいに来てやって」と書かれた手紙は、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人の孫に当たることを証明する書類として、ナチスが隠密裏に探していたものである。 3_2 「杉原千畝」6000枚のビザ
「アドルフに告ぐ」の中に挿入された話、ユダヤ難民が日本にたどり着き、日本から上海を経由してアメリカ・カナダへと通過したという話はフィクションではない。1941年7月から翌年5月まで、約11月の間に、4664人のユダヤ人難民がシベリア経由で日本にやってきた。横浜、神戸の在日ユダヤ人が中心となり、救援活動に奔走した。とくに、中田重治を中心とした東洋宣教会ホーリネス教会の関係者はユダヤ難民を親身に世話した。当時、外交官としてリトアニアで任務に就いていた杉原千畝(すぎはらちうね)は六千枚の通過ビザを書いたという。ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人難民のために、迫り来る危機のなか、領事館が閉鎖される直前まで、力をふりしぼってビザを書き続けた。また、リトアニアを去るときも、駅で汽車に乗ったあとからも懇願するユダヤ人のために書き続け、汽車の窓から手渡したという。そのビザはアメリカの南、メキシコ湾にある小さい島、オランダ領キュラソー島を目的地とする通過ビザであったので、「キュラソー・ビザ」と呼ばれる。キュラソー島は税関がなくビザを必要としない島である。窮余の一策を思いついて、このようなビザを発行した。杉原千畝氏は六千はビザを書いたという。このビザによって、そのなかの4664人が日本に来たということは、驚くべき奇跡といえる 。
3_3 iki-ru「生きるに値しない命」とは誰のことか ―ナチス安楽死思想の原典を読む
K.ビンディング , A.ホッヘ , 森下 直貴 佐野 誠訳 窓社 (2001) 本書は、ナチス安楽死政策や、優生学運動・優生思想、安楽死問題・安楽死思想の研究と思索を一歩でも前進させるために編まれたものである。封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。 第1編 テキスト(法律家の見解医師による論評) 第2編 批判的評注(それはいかにして生まれ、利用されたか―法思想史的・歴史的観点から「生きている価値」とは何か―倫理学的考察)
3_4 第三帝国と安楽死」 生きるに値しない生命の抹殺
エルンスト クレー 松下正明 批評社 1999 病人の治療を使命としなければならない医者が、自らの職務として患者を殺害、それも治療の場としての精神病院でそれらが行われたという悲劇を論じる、ナチスによる安楽死問題の原典。ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
3_5 「ナチスドイツと聴覚障害者」 ー断種と「安楽死」政策を検証する
ナチスドイツと障害者「安楽死」計画
中西 喜久司 文理閣 2002 ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
4.なぜ 考察
4_1 「夜と霧」 ―ドイツ強制収容所の体験記録ー
V.E.フランクル 霜山 徳爾 みすず書房 ,1985 ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。
4_2 「それでも人生にイエスと言う」
V.E. フランクル, 春秋社 1993 アウシュヴィッツ絶滅強制収容所から奇跡的に生還した著者が、解放直後の翌年に「それでも人生にイエスと言う」と話したことに私は衝撃を受けた。それが38年の年月を経て翻訳されたことも驚きであった。『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第2次大戦中、ナチス強制収容所を体験をした。その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。
4_3 「戦争と罪責」
野田正彰 岩波書店 1998 著者からの内容紹介 戦争の時代,そして戦後を通じて,日本人は「悲しむ力」を失い続けてきた.自己の行為に直面し,責任を感じる能力を取り戻すには,どうしたらいいのか.『喪の途上にて』で鋭い社会分析を行った精神医学者が,中国で残虐行為を行った旧兵士への徹底した聞き取りを通じて解明する,われわれの心の中の,欠落と抑圧の問題.
4_4「第二の罪」
ラルフ・ジョルダーノ 白水社 ヒトラーのもとで行われた、ユダヤ人虐殺と、これをひきおこしたすべてを第一の罪とすれば、「第二の罪」とは第一の罪をごまかし否定することである。ラルフ・ジョルダーノは彼の著「第二の罪」の中で右のように言っている。そして第二の罪は、今日にいたる戦後西ドイツの政治文化の本質的特徴だという。(同書9頁)ユダヤ人を母として生まれたジョルダーノは多感な少年時代をナチスの暴虐の中に耐え抜いて生きた。解放の暁にはドイツを離れようと堅く決心していたが、解放されてみると、この地に踏みとどまることになった。
4_5 「荒れ野の40年」 ウァイツゼッカー大統領演説全文
岩波ブックレット 1985 1985年、ヒトラー・ドイツ降伏40周年記念に際して、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは「荒れ野の40年」と題して演説を行い、「救いの秘密は心に刻むことにこそある」といった。心に刻むことであって、「密封することではない」。この演説はドイツが進むべき方向を世界に示したもので、日本でも岩波ブックレットほかいくつかの翻訳出版がなされ、話題となった。荒れ野の40年とは旧約聖書の出エジプトの民がその不信仰と罪のゆえに、約束の地を目前にして、40年の間荒野を放浪した。ドイツの戦後40年を出エジプトの民にたとえたもので、歴史認識の基礎を解き明かしている。
4_6 「戦争・ナチズム・教会」
河島幸夫 1993、新教出版社 「人の生活に重大な影響を及ぼす」政治学を専攻する著者は、ドイツにおけるキリスト教、とりわけ戦時下の福音主義教会が歩んだ道を考察する。 特にヒトラーが「生きるに値しない命」として、20万人の障害者の「安楽死」抹殺を進めた時、患者を預かっていた福祉施設の指導者たちはどのように迎合したか、または抵抗したか。患者抹殺に手を貸したか、患者を守り抜いたか。施設「ベーテル」の抵抗の事例を詳細に検証している。
4_7 「子どもたちのホロコースト」
ローレル ホリディ 横山 緝子 小学館 1997 本書は、肉親と引き離された12歳から17歳の子どもたちが、ナチ占領下のチェコ、ハンガリー、ポーランド、リトアニアなどの強制収容所やゲットーなどで密かに記した日記を、編者が世界各国の資料館や図書館などから集めて編纂したものです。11人中5人の子どもたちはアウシュビィッツやポーランドの絶滅収容所で犠牲になりました。 子どもたちの日記には、ゲシュタポの絶え間ない嫌がらせに耐える毎日、生活必需品を手に入れる苦労、友だちや肉親が死の収容所に移されるのを目の当たりにする恐怖などが、生々しく率直に描かれています。
4_8 「失われた祖国」
ジョイ・コガワ 中公文庫 1988 はじめ「OBASAN」(おばさん)という本を出版した。1983年、その本は発売されるとたちまちベストセラーになり、「カナダ文学賞」「全米図書賞」を受賞した。カナダ文学賞を受賞したとき、次のように語った。「私はこの本で、私にとって、ひじょうになつかしく、忘れることのできない人びとをとりあげました。日系カナダ人です。
4_9 「精神の遍歴」
竹下夢ニ 関谷定夫著 東洋書林 2000 大正ロマンを代表する放浪の抒情詩人画家・竹久夢二は、徹底した民衆派の美人画家として、今日、多くの人びとを魅了している。その彼が女性遍歴でいろどられた頽廃画家というそしりを受けている反面、若き日に平民社に出入りし、反権力、反戦的社会主義者としてたえず特高からつけねらわれていたという経歴の持ち主だったことも、今ではよく知られている。筆者はつい最近まで夢二についてはほとんど無知に等しかったのであるが、ふとした動機から急に、彼の波瀾にみちた人生の軌跡を追わざるをえなくなった。 4_10 「自然・人生・宗教 」
佐藤俊男 中川書店 1988 「昨年、1997年3月31日、佐藤牧師は半世紀にわたって奉仕された福岡社家町教会を退任された。生死を分ける戦場(中国の山奥・ニューギニャの密林)での極限状態を生きき抜き、人間と宗教の問題を根底から見直してこられた先生によって、私たちはいわゆる教会という枠内での制約から離れた自由な雰囲気の中でキリスト教の本質について学ぶことができた。 また一哲学徒としての立場を固執してこられた滝沢克己教授(主に西田幾多郎、カール・バルトの研究)が、ご夫妻で受洗されたのもこのような雰囲気のもとであった。
4_10 「ユングの生涯」 グスタフ・ユング (1875-1961)
G.ユング レグルス文庫 1978 スイスの心理学者。精神病理学者。コンスタンツ湖畔に牧師の子として生まれた。バーゼル大学で医学を学ぶ。1906年以来フロイトと交流を深め、精神分析学会の初代会長となる。後にフロイトと別れ、分析的心理学派を作る。始めフロイトに共鳴したが、リビドーを性的なものに限定することに反対して広く心的エネルギーとみなし、性格を内向・外向の二型に分けたことは有名である。夢の解釈も過去の経験に限ることなく、未来を予告する働きを持つものとした。彼は無意識を、フロイトの個人的なものに対して元始よりの種族的な経験の集積とみなし、「集合的無意識」と名づけた。彼の深層心理学は神秘的な内容を含んで難解であるが、宗教心理学、牧会心理学にとって多くの有益な示唆を与えるものである。
4_11 「精神病院の起源」
小俣和一郎 講談社現代新書 ヒトラーに心酔したユング、ナチ党員だったハイデガー現代思想史上に輝かしい足跡を残した「知の巨人たち」の知られざる暗部かいま明される。「アーリア人」人ユングーーーフロイトはユングのオカルト現象や宗教への興味に危険性を感じ、ユングはフロイトの性欲説一点張りの頑固さに辟易していた。 1913年、二人の対立は決定的となり、ユングはIPV会長を辞任する。ユングは「一種の心理的危機に落居の、第一世界大戦が終了するまでほとんど引きこもった生活を送っていた」と多くの評伝は伝えている。しかしながらまさにこの時期、永世中立国であるスイス国民のユングは、ドイツの敵国イギリス・フランス人捕虜収容所で衛生士官の軍務についていた。その時の写真には、生き生きとした表情のユングがはっきりと写し出されている。
5.人生・道
5_1 「なぜわたしだけが苦しむのか」
H.S.クシュナー 岩波書店 2008 幼い息子が奇病にかかり十余年の命と宣告される。理不尽と思える不幸にみまわれたラビ(ユダヤ敦の教師)が絶望の淵で問う。神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは何か。 自らの悲痛の体験をもとに旧約聖書を読み直し、学びとったことを透徹した理論と澄み切った感性で綴る。人生の不幸を生き抜くための深い叡知と慰めに満ちた書。
5_2 「人は成熟するにつれて若くなる」
ヘルマン ヘッセ 草思社文庫 2011 ナチスに反対して作家活動を攻撃され、スイスで過ごした。ノーベル賞を受けたが、心の病で苦しみ家庭的には幸福だったとは言えないが、今ヘッセが読まれているのは、心の苦しみを持つ人たちが、自分のことを分かってくれていると感じるからだ。人間の弱さと正直に向き合った、その生き方と文章は、今新たな光を浴びている。人はみな老いていく。夕日の暖かみのようなものが正当に評価されている。
5_3「庭仕事の愉しみ」
H.ヘッセ 草思社文庫 2011 本書には、心温まるスケッチが10数点はいっている。 庭仕事は瞑想である。草花や樹木が教えてくれる生命の秘密。文豪ヘッセが庭仕事を通して学んだ「自然と人生」の叡知を詩とエッセイに綴る。自筆水彩画を多数挿入。 庭にて/9月/幼年時代の庭/青春時代の庭/外界の内界/弟に/ボーデン湖のほとりで/花のいのち/嵐のあとの花/花々にも〔ほか〕
5-4 「人生の短さについて」
セネカ 岩波文庫 茂手木 元蔵訳 セネカ(前5,4―後60年)はローマ帝政の初期というひどく剣呑な時代に生きた.事実,かつての教え子ネロ帝から謀反に加担したと疑われ,自殺を命じられるのである.良く生きれば人生は十分に長いと説く表題作,『心の平静について』『幸福な人生について』のいずれもが苦境にたちむかうストア哲学の英知に満ちている.人生の短さについて 心の平静について 幸福な人生について
5_5 「人間の大地 」
犬養道子 中央公論社 1983年 国連の難民高等弁務官のスタッフとして長年難民問題に取り組んできたレポートである。 「難民」とは、犬養氏によると近代的意味でパスポートを持たない、政治的・経済的理由で、母国を離れた人である。聖書の主要人物も難民であったと指摘し、クリスチャンはとくに難民問題に理解を示してほしいと訴える。確かに、アブラハムもヤコブも、ヨセフもモーセも、そしてイエス・キリストも生まれてすぐエジプト逃避という難民体験をした。
5_6 「平和学入門 」
ガルトゥンク 法律文化社 2003 ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」を提起してから、平和学の対象領域は広がり、貧困や開発、ジェンダーといった日常生活に関わるテーマも含むようになった。 わが国で平和学講座を開講している大学は国立26大学、私立58大学を数えている。平和記念館また資料館は全国49カ所に所在している。ノーベル平和賞受賞者は74人を数える。平和学はその取り組む課題と方法において、広く認知されてきている。
5_7 「変装」
パット・ムーア 朝日新聞社 1988 著者は、3年間アメリカの老人を経験し小説「変装」を書いた。メーキャップ・アーティストの手を借りて、26歳の顔を85歳の老女に見せる扮装術を身につけた。喉のたるんだ肉、目尻の皺といった特殊メイクを彼女は買いこんだ。頭には白髪のかつらをかぶった。重い矯正靴を履き、白手袋をはめ、杖をつき、特殊なクレヨンで歯を汚した。田舎のストアで買った安物の部屋着とショールをまとった。老女であると実感できるように、関節炎を効果的にみせるために指にテープを巻き、膝の裏に副木を当てて動きを制限した。その変装は完璧だった。変装してアメリカ各地の街中を歩いた彼女は、いつも無視され、粗暴に扱われ、死ぬほどたたかれた。・・・・・
5_8「絶対音感」
最相葉月 新潮社 2006 「絶対音感」とは自分の中に基準音をもっていることをさす。それはドレミの「ラ」の音を覚えていて、これを基準にどんな音もいいあてる。救急車の警笛や飛行機の爆音を音階で聞いてしまうという。モーツアルトやベートーヴェンは絶対音感をもっていた。だから、小さいときからして訓練して、絶対音感を身につけるという教育が日本で行われてきた時代がある。ヤマハ音楽教室などで行われた。 ところが、そこから生じる問題は音階が分かるが、意味や情緒がかけていく。 「公文式」の算数の練習が技術的にはすばらしく熟達していくとして、その問題や意味を問わないという、問題と似ている。 絶対音(基準音)が、ドイツやアメリカなど国によって微妙に違う、その違いが気になって吐き気を催すような違和感を持ってしまうという。 絶対音感とはなにか、考えさせる。
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