チャペルアワー

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242    11月17日

今日の言葉

 

捨て石 

ヨハネの手紙第1 3章16-18
 

 


  

イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。
そのこと によって、わたしたちは愛を知りました。
だからわたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。 

 

 

 

 

 

 
     

キリストが復活したという女達の知らせを聞いて、
急いで墓に向かう二人の弟子の絵があります。(下記)
一人はペテロですが、もう一人の老人はヨハネです。
ヨハネは五〇才から六〇才という年令だったと思われます。
そして今日のヨハネの手紙第一は
70年ばかりたった、紀元一世紀末に書かれたと言われています。
ヨハネはそのように長く生きたのでなく、
ヨハネの信仰を受け継いだ群れがいて、
「愛の教えと行動」を大事にするキリスト教のグループが育っていた。
あのイエスの死の三日間の出来事が、一〇年二〇年と重大な意味を広げ、
百年を迎える頃、キリスト教のこのグループは「愛の宗教」となって大きくなり、
ローマ帝国の世界に広がっていた。こう考えることができます。
さらに、バツハの洗礼名はヨハネでヨハン・セバスチャン・バツハです。
その作品番号BWV11はぺテロとヨハネがイエスを納めたお墓に行く場面を
歌っています。よろしければこちらも視聴してください。(#BWV11)

 

二、「子たちよ、言葉や口先だけでなく、
  行いをもって誠実に愛し合おう。」

□愛を言葉や口先だけで考えている人たちがいた。
それが教会の中で問題を起こしている。
愛という言葉は受け入れやすく、心地よいものです。
言葉や口先で愛を考えている間、そうなのです。
しかし、キリストに倣い、捨て石となって、
自分の命で人が助かるような愛を実践しなさいとなると、
難しい。
キリストの弟子となり、
キリストに倣う人生を歩む者は、自分の命を捨て石として献げ、
人の命を贖なうところまでいかなければならない。
ヨハネはこう説くのです。

□ところが、キリスト教がギリシャ・ローマの世界に広まった時、
愛は言葉や口先の世界でした。
その考えのもとには二元論という考え方があり、
アウグスチヌスか一時心酔していたマニ教は
二元論をもとにしていました。
わたしたちは本音とたて前を使い分けるといいます。
表で言う事と、裏で言う事とは違います。
寄って行きませんかと言われて、その気になると、
あの人は遠慮を知らないと批判されます。
挨拶言葉と本音とが全然違うという事があります。
世界は天と地からなっている。 
善と悪の戦いの場である。暗闇と光が支配する。
人間は霊と肉からなっている。こう考えます。
霊肉二元論は、肉体は滅んでも霊はいきるという。
こういう世界に、キリスト教は入っていった。

パウロが、善をしようとする意志はあるが
それを行う力がないと嘆くような、
自分がその善悪の両方を持つ、 
矛盾した存在とは考えがでて来ない。
あの人はいい人か悪い人か決めつける。
分断して差別社会を造ります。

ヨハネ福音書で
疑うトマスが十字架の傷跡に手を触れて見なければ、
私は信じないといつた時、
イエスは傷ついた胸の槍の跡、
両手の釘の跡を示して、
驚くトマスに、信じるものになりなさいと言われます。
イエスが復活したのは霊肉二元論によって
肉は滅んでも霊は生きるという。
そのような霊の不滅ではなく、からだのよみがえりだという。

私たちが使徒信条で告白する信仰は、
霊の永遠不滅ではなく、
キリストの「からだのよみがえりを信じる」。

私のからだのよみがえりを信じるのです。
神様がお造りになった世界は一つです。
神様は霊も肉体もお造りになり、
どちらも統御されている。
私たちが生きるのは神の創造世界です。

 

□問題は霊肉二元論が持っている、欠陥です。
言葉や口先だけではいけない。
行いをもって誠実に愛し合わなければなりません。

□愛は同情です。
スプランクというのはからだの中の「腸」「はらわた」という言葉から来ています。
はらわたが煮えくり返るといいます。そのような感受性です。
日本にキリスト教が入って、聖書を翻訳するとき
その時の日本語は聖書の思想を表す言葉を知りませんでした。
聖書の神、それは中国では「天帝「「天主」と訳され、
韓国では「一者」(ハナニム)と訳されました。
日本では神道の「神」という言葉に訳されました。

ですから、日本の宗教の「神」観念から離れる事は難しい。
聖書を日本語に訳す時、
神は愛です。独り子を賜った神の「愛」です。
イエス・キリストが私の罪を贖なうために、自分の命を差し出して
引換に、私を助けて下さった。捨て石となってくださった愛、
「愛」を日本では愛(かな)しいと読んできました。
その悲しい愛という言葉に、
キリスト教の「同情」また同情から出てくる行動が入りました。

 

しかし、愛はまだ日本では神の愛というより、
なお、人間の肉欲の愛、愛は惜しみなく奪うという小説のように、
愛欲のエゴイズムをむき出しにした争いの中にあります。

今回の衆議院選挙で自民党が過半数を大きく割って、
新しい動きが生まれています。財務省で働いた人たちから
国が蓄積してきた莫大な令和の埋蔵金を、
減税の費用に使える。163万円の壁を外せる、
消費税を下げて、経済を回す。
一体国は国民のためになることをしているのかという
財務批判が台頭していることです。
日本が本来の国を取り戻して世界に役立つ方向性を打ち出せ。
強力な意見に賛同します。

◻︎このような現実の中で、「必要な物に事欠くのを見て同情しない者」になるのでなく、
その苦しみ、悲しみ、その将来に、
自分に出来る、為すべきことを見いだす。
このような方向を見出したいものです。

今日の祈り 
恵み深い天の神 秋の季節を迎え、一度に四つの台風が発生するという
不安定な気象現象が話題となっています。
変化や崩壊の中に、新しい時代を見出そうとする、期待も高まります。
この機会に、抑圧された希望や知性が発揮され、
時代をより良いものに作り上げる。
新しい人たちの活躍が見られますように。
願いと祈り、主イエスキリストのみ名によって祈ります。アーメ