チャペルアワー

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233    9月15日

今日の言葉

 喪  失 

創世記3734~35

 

 

 

 

ヤコブは慰められることを拒んだ。
 「ああ、わたしもあの子のところへ、
 嘆きながら陰府へ下っていこう。」
 父はこう言って、ヨセフのために泣いた。

 

 

 

 

一、ヤコブの嘆き  
ヤコブは最愛の息子ヨセフを失った。 その嘆きと悲しみは、慰めを拒むほどのものでした。 自分も一緒に陰府に行こう。こう言っています。  ヨセフは17才の時に、ヨセフを憎んだ兄たちに、 エジプトの奴隷に売り渡されるという悲惨に巻き込まれた。 だれの慰めも受け入れられない悲しみだった。 その時の父ヤコブの心情がこのように語られています。

 

さて、 エジプトに奴隷として売られたヨセフが獄にいた時、 同じ獄に王の料理人と給仕人が投獄され、 彼らが見た夢を解いたことで、 悩まされていた王の夢を解くことになった。 王が見た夢は、7年の豊作の後、7年の飢饉がエジプトを襲うというもので、 ヨセフは夢を解くだけでなく、 豊作の間、飢饉に備えて備蓄しておくという農業政策を提言した。 ヨセフは農業担当の大臣になった。 この間に兄弟達が、飢饉のために、 食料を求めてエジプトに来ていることを  ヨセフは知った。こうして、 ヨセフは40数歳になっていた。 父ヤコブにとって、ヨセフの死は嘆きの時でした。 その嘆きがよろこびにかわる日が来た。  

 

二、喪失の悲しみ
悲しみの本質は何かと問えば、 今まであったものが失われることと言えます。  「陰府」は陰の府と書き、旧約聖書では、 ヘブル語のシェオルをこう訳して六五回でてきます。 そこは死者が住むむなしい」所。 もはや名前を呼ばれない、呼ばれても聞こえない、 聞こえても答えられない。虚無の場所であります。 新約聖書ではギリシャ語のハーデスを「黄泉」で11回でてきます。 その後に、この世での罪が罰せられると言う 刑罰思想が加えられたようです。 神様の手が届かない。 神と対立する悪魔が支配する「世界」と考えられるようになりました。

ところが、イエスが十字架で死に、 「陰府に下り」と信仰告白は唱えます。 そこも神様がお造りになった創造の世界であり、 神の創造の秩序のなかにある。 陰府の世界にイエスをおくり 眠っている人たちが ラッパのファンファーレによって目覚め、 最後の審きを受けて、 永遠の命によみがえる人と、永遠の死に定められる人が、裁かれる。 こういう教えが生まれたのです。 しかし、イエスの陰府下りは、そこも神様が創造された世界、 神の支配が満ちている世界であることを言おうとしています。

 ユダヤ人の言い伝えによると、 アブラハムが愛する一人子イサクを犠牲にささげるという、 謎めいた話があります。 アブラハムはイサクを失う。喪失を体験するのですが、 その喪失をアブラハムは神に求められ、 神にささげる「犠牲」とした。 神に献げるという意味を引き出しています。 喪失はマイナスの経験ですが、 犠牲または献げるは、同じ事のプラスの経験です。 同じ一つのことがらがマイナスとプラスの両面を持っている。 一方から見ると、慰められない悲しみですが、 他方から光を当てると、悲しみが持つ積極的な意味が表れてくる。

 

 ジャーナリストの柳田邦男が最愛の息子の自死と向かい合い 臓器移植を申し出るに至る過程を「犠牲」という本に書きました。(1999文春文庫)  また、アメリカでは交通事故で亡くなった少年の臓器を提供された クレア・シルビアという女性の話が読まれました。(「記憶する心臓」1998)  死の悲しみの中で死の意味を求めた時代でした。

 

私たちの主イエスの人生には、この二面性があります。
イエス自身は十字架に挙げられ、命と人生を奪われた、 そこに失った全ては、慰められない悲しみと言えます。 ゲッセマネで「このさかずきを取り除いて下さい」と祈った。 ここには嘆きの母マリアがいます。我が子を失う悲しみを味わった。

この喪失に見出されたもう一つの面は、 イエスの犠牲の精神です。「自ら進んで」という、「意志」が加わります。 そして、イエスはおん自らを神様に献げた。そうすることによって、 この人生が無前提に「私のもの」ではなく、 神様から与えられた「賜物」であることをあらわしています。 失ったものが、実は神様から与えられたものであること。 賜ったものであることを、覚えて、神様にお返しする。 神様にささげるという信仰へと変えられる。 こうして自分のものとする我欲とその死から救われるのです。

 N姉妹は子供を亡くして、悲しみに暮れていたとき、 讃美歌458番の言葉によって救われたと言われました。 その言葉はつぎの通りです。 「ふたたび主イエスのくだります日、召さる幼児 み国にて、 みそらの星とかがやきつつ、主の御冠の玉とならん」  失われた子は空の星となって輝き、私たちを照らしている。 こう思うことによって救われていると言われたのです。

 

 ヨセフは死んで 御国にて、みそらの星とは輝きませんでした。 ヨセフは、この世にあって輝いていました。
 ヨセフが生きていることを知らないヤコブは嘆き悲しみ、 この世のシェオル・陰府の国にいたわけです。
   嘆きと悲しみ、その本質は「喪失」にある。 喪失にあるとすれば、失われたものを、もう一つの面から光を当て、 それは与えられたもの、お返しすべきものと考えて見ればどうでしょう。 このように私たちの人生を考えれば、 私たちは我欲から解放されます。 与えられたものを主の御栄えのためにささげて用いるならば、 そこには大きな喜びがあふれるのではないでしょうか。

 

 

今日の祈り  恵み深き天の神 ヨセフを失った父ヤコブの悲しみを通して 悲しみの二面性を思いました。賜っているものを生かしたり お返し捧げることによって、自分から解放されるものとしてください。 猛暑の日々が続く中で、健康が守られますように。 主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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