BWV106 神の時は最良の時
「神の時は最良の時」
「皆さんのうちのある詩人たちも、
「我らは神の中に生き、動き、存在する』
「我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。」 使徒言行録17,28
バッハは、BWV106 「神の時は最良の時」を作曲、演奏した。
1716年から1718年の間に作った3曲を元に5曲組曲のカンタータを作りました。
歌詞は今日の、我ら神のうちにあって生きる。
その人生の終わりの時は「最良の時」と言います。
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第1曲 シンフォニー ソナタ風のソナチネ
第2曲 神の時はいと良き時である アリオーソ,
使徒言行録17,28 合唱
「神の時はいと良き時である。
神が望めば、我らは神の中で生き、働く。
神の中で、我らは時にかなって死ぬ。
来ませ主よ、来ませイエスよ」
第3曲 ソロ、 アルト
「あなたのみ手に、わが霊をゆだねん。
あなたは私を贖ったまことの神、
あなたのみ手にわが霊を委ねん」
第4曲 詩篇31,6
「父なる神と、御子と聖霊に
栄光と賛美と誉 聖霊の御名において
神の力は勝たしめたもう。
イエス・キリストによりアーメン」
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「神の時は最良の時」か
神が人の臨終を定める時。
それは最良の時であるというテーマで
4つの曲がそれぞれ聖書の言葉を歌詞にしてつくられた。
1707〜1708年とされていて、バッハはまだ22才と若い。
トマス教会音楽監督に就任した1723年より
15年も前であり、
礼拝で使われた記録はない。
礼拝では、説教の前後に、25分ばかりの持ち時間で6曲構成、と言うバッハのカンタータの形式が確立していった。
その意味で、教会暦によらない自由な形式がかえって
美しい合唱曲を生み出したとも言えるかもしれません。
「神の時は最良の時」、その意味について私は、
本曲に向き合って、また歌に使われている
聖書の箇所を丁寧に読んで、初めて知りました。
寿命を全うして、定めの時を迎える。
その時が最良の時と言える。
旧約聖書創世記の父祖列伝に100歳を超えたアプラハム、イサク、ヤコブと父祖たちの祝福された死に、
人は自分の理想の姿を描いて、
憧れと畏敬の念さえ覚えてきた。
バッハは苦難また死について、4つの受難曲をはじめ、
カンタータで4,57,94,106,156番など、多く作曲している。
また、バッハが尊敬したMルターの「十字架の神学」の立場を大事にした。たしかに、不慮の事故や思わぬ病気は最良の時とは言えない。
100歳を超えた族長たちは、満ち足りて死んだという。
最良の時を迎えた模範を記している。
しかし、現代も問題を解決したわけではない。
コロナウイルスによる死者が増え続けている。
自死する人が交通事故死を超えている。
戦争や感染症で多くの死者をみた中世末期の時代の中で、
苦難と死についてメッセージを送り続けたバッハの労作は、
今こそ、現代的意義を持ち続けていると思われます。
「神の時は最良の時」BWV106