カンタータ 一覧 BWV

 

 

    JSバッハ
  カンタータ 一覧  
  BWW  曲   名  曲数 教会暦 投稿年月日   AB
  01 輝きいでる明けの星   6 2020 A 
  02 ああ、神よ天からみて  三15  2023  AB 
  03 ああ、神よ多くの思い煩いが  6 参事  2023  AB 
  04 キリストは死の縄目に  8  復 2020 A 
  05 どこにわたしは逃れるべきか  7 三19  2023  AB 
  06 泊りませ  復  2020  A 
 07 われらの主キリストはヨルダン川に来たり ヨハネ  2024   B
 08 愛する神私はいつ死ぬのでしょうか  三16 2021  B
 09 わたしに来た救いは  7 三6  2024  A
 10 わがこころ主をあがめ マリア  2023   AB
 11 神をほめよ                       top 11   昇  2020 A
 12 泣き、嘆き、憂い、恐れ  7 復3  2024 A
 13 ため息も涙も数えきれない 顕2  2024   AB
 14 この時神がいまさずば  5  顕4   A
 15 あなたは私の魂を 10   降3 2020   A
 16 主なる神をたたえ  6 年末  2024  B
 17 感謝をする人みな私をほめたたえ 三14   20241   AB 
 18 天から雪降り、雨下り 復8  2023  AB 
 19 かくて戦いが起こり  ミカエル 2023   B
 20 おお永遠 雷の言葉  11 三1  2023   B
 21 わたしは心に多くの悩みあり             top 11   復前8 2022 A
 22 イエス12弟子を呼び寄せて  4 四前1   2024   AB
 23 まことの神の子ダビデの子 四前1    2024   AB
 24 飾りのない心こそ 三4  2024   AB
 25 あなたの怒りによりわが肉体は  三14 2025   AB
 26 人の命は儚くむなしいもの  8 待   2021  AB
 27 終わりの時を誰が知る  6 三16  2023  B
 28 神をたたえよ  6 降祭  2024   B
 29 われら神に感謝し 8  参   2024 B
 30 喜べ救われ群よ  12 ヨハネの祝日  2025 B
 31 天は笑い地は歓喜する  9 復1   2023  AB 
 32 愛するイエスよ、あなたを慕い仰ぐ :顕現   2025  B
 33 ただイエス・キリストのみ 6   聖13 2025  AB 
 34 おお永遠の炎、愛の泉 聖祭1  2025 B
 35 霊と心はおじ惑う 7 三12  2025 B
 36 喜び 高く舞いあがれ  8  待 2020  A
 36a 喜び空に舞いあがれ  9 結婚  2024   A
 36b 喜びがわきあがり  8 誕生  2024  A
 36c 喜び高く舞いあがれ  9  誕生 2024 A
 37 信じて洗礼を受ける者は  6 昇天  2024 B
 38 深い淵から主を呼ぶ 6 三23  2024  B
 39 パンを飢えた人に  三1  202  B
 40 神の子が生まれたのは  8 降2 2025  B
 41 イエスの名前を賛美                top  6  新年 2025 B
 42 この同じ安息日の夕べに  7  復1 2025 B
 43 神は歓喜のなかを昇り   11 昇  2025 B
 44 あなた方は追放されるべし  7 聖前 2025  B
 45 人よなにが善いことか 三8  2021  A
 47 自分を高くする者は低くされる 三17  2021  AB
 48 惨めな私を死の体から救う者はだれか 7 三10 2025
 49 行ってあなたを慕い求める 三20 2024 A
 50 今やわれらの神の救いと  ミカエル 2021   A
 51 全地で神をほめたたえよ               top  5 三15   2021
 52 私は偽りの世を信じない  6  三23  2021
 53 目覚めよ祝された時よ  1  葬儀  2024
 54 なが罪に立ちむかえ  3 三7   2025
 55 私は哀れな罪の僕  5 三22   2021
 57 試練に耐える者はさいわい  8  降2  2021
 60 おお永遠 雷のことば 三 24  2023
 61                               top  
 62 今こそ来ませ異邦の救い主  6 待1  2023
63キリスト者よこの日を刻め  7  降1  2022 
 64 父がいかに私たちを愛されたか 8 降3  2025
 65 シバの人々はみな来たり  7  顕 2021
 66 喜べ心よ痛みよ去れ 6 復2  2025
 68 神はかくまで世を愛し  5  聖2  202
 69 わが魂よ主をたたえよ  6 参  2021
 71 神はわが王                       top  7  参事会  202
 79 主なる神は太陽また盾  6  宗教改革  202
 80 神は高き櫓(やぐら)  8 宗教改革  2023
 81                               top
 82 われら神に感謝し  5 マリア   2023
 83 喜び満ちる契約の時  5  マリア 2023
 84 私はわが幸に満たされている。  5 マリア  2024 
 86 まことにあなたに言う  6  復5  2021
 88 見よ、わたしは多くの漁師をおくる  7 三5   2021
 89 エフライムをいかにすべきか  6 三21  2024
 91 ほめたたえよイエスキリストを            top  6 三25   202
 92 神のみ心によって  9  復前9 2023
 94 この世がなんなのか 三9   202
 99 神のなされることは  三15  2021  
 101 われらから取り去りたまえ              top 7  三  2023
 104 イスラエルの羊飼いよ  8 三9  2021  
 106 神の時はいと良き時  4 葬儀   2021
 109 われ信ず尊き王  6 三21 2023
 110 われらの口は笑いがあふれ  降1   2021
 111 み心がいつもなされますように           top  6  公3 2023 
 112 主は善き羊飼い 復2   202
 114 ああ、愛するキリスト者よ雄々しくあれ  7 三17  2024 
 119 エルサレムよ主をたたえよ 9  参事会員  2023
 120 神よ、あなたはシオンの静けさの中で 参事会員  2024
 121                              top
 125 平和に喜んで馳せゆく  6 マリア  2023
 130 主なる神をたたえ  6 ミカエル   2023
 131 深い淵から                       top 不明   202
 134 いかに嬉しきかな 主を信じる人は 6   復三  2025  
 137 力の君 主のみ名をほめよう 三12   202
 140 起きよとよぶ声 聖27   2021
 141
 147 心と口と行いと命で 10  マリア訪   2021
 149 勝利の喜びが歌われる  7  ミカエル  2023
 150 主を 仰ぎ望む  6 不明   2021
 151 甘きなぐさめイエス来まし              top  5 降3  2023 
 152 信仰の道を歩め 降1  2023 
 156 わが片足墓穴につき  6 顕3   202
 161 来ませ甘き死の時よ                 top  6 三16  2021
 162 私は婚礼に出る今   6 三20   2024 
 163 人はそれぞれ分に応じて  6 三23  2024 
 165 おお聖霊と洗礼よ  三 2023
 170 満ち足りた安らぎ  5 三6  2023 
 171                              top
 172 響け汝がうたよ 聖  2021
 173 高められた血と肉よ  6 聖  2023 
 180 魂よ自分を飾れ  復前8 2023
 181                              top
 182 天の王よようこそ来ませ  8 受  2021 
 186 魂よ怒ることなかれ  11 三一7  2024
 191 いと高き所では神に栄光あれ            top  3 不明  2021
 193 シオンの門よ、ヤコブの住まいを喜べ  6   2023 
 194 最高の願いを喜び祝い  6  2024
 195 正しい人に光さし出で 結 
 196 主よ、われらを御心にとめ 結   2024
 197 神はわれらのよりどころ 10   結
 198 侯妃よ、なお一条の光を 10  追悼 
 199 わが心 血の海を泳ぐ  8 三一11  2024 
 200 わたしは主の御名を言い表す  不詳 マリア 
 202 しりぞけ物悲しい陰よ  9 結婚  2021
 
 モテット 225-231                       top
 225 新しい歌を主にむかって歌え mottet 2022
 226 聖霊がわれらの弱さをたすけ  mottet 2022
 227イエス私の喜び mottet
 228 恐れるな mottet
 top
教会暦略称
受:受難節 復:復活節 昇:昇天  聖:聖霊降臨節 三:三位一体節  降:降誕節 待:待降節 降:降誕節 顕:顕現
ミ:大天使ミカエルの祝日  宗:宗教改革記念 結:結婚 参:参事会員新任式 葬:葬儀 

備考
バッハ作品番号 BWV=Bach Werke Verzeichnis バッハ作品番号
区分
カンタータ 1〜224  モテツト 225~231    ミサ   232~242
マニフイカート 243   受難曲  244~249    コラール 250~438

アリア他  439~524

BWV86 まことにまことにあなたに言う

5月4日 まことにまことにあなたに言う

「「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。
もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。
その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。
わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。
父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。
あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
わたしは父のもとから出て、世に来たが、
今、世を去って、父のもとに行く。」 弟子たちは言った。
「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。
あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。
これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭16‬:‭23-‭30‬

復活したイエスは、40日の時を経て、天に旅立つ昇天の時を迎えた。
これまで、イエスは多くの人に教えた。
理解されていないとわかれば、譬え話で、説いた。
この福音書記者ヨハネはイエスを愛の人と呼び、その愛を神から受けた
と言っている。
イエス自身を神の「ことば」(「ロゴス」)と言った。
このロゴスから成り立つ万物の世界観を解き明かしたのですが
果たして、弟子たちはどうだったのか。

いま、昇天して、父の元に帰っていく。
この時、果たして、どれだけのことが、後世に受け継がれるのか。
イエスにはその心がかりがあったことでしょう。

JS.Bachは、1724年5月14日、復活節第5主日礼拝で,
カンタータ86 「まことにまことにあなたに言う」を作曲、演奏しました。

カトリック時代から、この日を「嘆願」の日とし、願い事をイエスの名によって祈ることを教えた。
カトリックから分離独立したプロテスタント教会は、教会暦を受け継いできたのです。
こうして、「嘆願」の日曜日にバッハは、
BWV86 「まこと、まことに あなたにいう。」を作曲演奏し、
イエスが「私は言う」と言われたことばを、ヨハネは「まことに言う」と強調し、さらにバッハは「まことに、まことに」と強調しているように、
理解していない弟子たちを浮き上がらせていると思います。

では、本曲全6曲の歌詞を通して、バッハの解釈に学びましょう。

BWV86 まことにあなたに言う

第1曲バスによるアリオーソ。バッハの時代にドイツでは、器楽演奏が主流であった。イタリアで発展した歌曲が入り始め、歌曲を取り入れたアリアをアリオーソと言ったようです。(Spita)

1,まことにまことにあなたに言う アリオーソ バス
まことにまことにあなたに言う。
父に願うすべてをわが名によって祈れば、
父はそれら願うものを与えられる。

2.バラの花を摘もうとして アリア アルト
バラの花を摘もうとして
その刺に刺されようとも
切なる祈りは必ずみ前に届くと信じる。
み言葉は私に約束しているのだから。
※バラはイエスの十字架の苦難を指す。
イエスを信じる人は棘に刺されて血を流すような
苦しみを受ける。それでも切なる祈りは聞かれると信じる。
今日はこの一曲をお聞きください。

ー第2曲 薔薇の花をつもうとして 約6分—–

ーーーーーーーーーーーー
3.慈愛深き永遠の神 コラール ソプラノ
慈愛深き永遠の神
そのみことばもて
御名において語られた
真実こめなされた我らを救いて
み国に送りたまえ アーメン

4.約束を守れないこの世と違って アリア テノール
約束を守れないこの世と違って
神の約束の成就を見ることは
われらの喜びなり

5.神はかならず救いを成したもう アリア
神はかならず救いを成したもう。
多少遅れることがあっても
救いの手を止めることはない。
み言葉は証しているように
神は必ず救いを成したもう。

6 神が約束した時が コラール
神が約束した時が満ちるのを待ち望もう。
その日はいつなのか知ることはできないが、
最善の時は来たると信じて、主に委ねよう。

今日の祈り
恵み深き天の神
今日はイエスの昇天から主の在りし日を、
誕生に遡ろって省み、イエスが神の御心なる
神のことばを語り、その言葉から全てが生まれる
現実に心を向けました。そのように全てを見、
生きていくように助けてください。
世の中の混沌を見るにつけ、お願いいたします。
アーメン

ーーーーーーーーーー
今日のカンタータ 下記より
BWV87 「まことにまことにあなたに言う」全6曲

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

今日の言葉   「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

「【賛歌。ダビデの詩。】 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」 詩編 23:1-6

今日は聖書の中で最も親しまれている言葉、イエスを「羊飼い」に例えている一句です。
とはいえ、イエスの千年昔、少年ダビデが牧童をし羊を放牧し、
襲いくるライオンを倒したという逸話が語り伝えられ、
ダビデが歌って、イエスの口によっても歌い継がれた。
主人の羊を預かって、山野をめぐるような貧しい人たちに目を止め、
心動かされてきた、ダビデ、
その系譜を受け継ぐイエスは、神の憐れみに繋がる美しい本質を描いています。

私たちはどちらかと言うと、農耕民で限られた世界の中で一生を終わるのに対して、
季節によって餌場を求めて移動する遊牧民の羊飼いは、
羊を襲う野獣から、預かった羊を守り
太らせ、増やして、主人を潤わせる。そのことによって、評価される。

少年時代に羊を飼う牧童をしていたダビデは、
王となって、海洋民族ペリシテの攻撃から国民を守り、導いた。
イエスは町々村々を巡り、病める人を訪ねて癒したといられています。
癒す職責に身を賭して生きたと言う意味で、羊飼いだったと言えます。

バッハは1731年4月8日、復活節第2の礼拝、この日は
ミゼリコルディアス・ドミニ(神の憐れみの日曜日)として
礼拝が行われ、
BWV112 「主はよき羊飼い」詩篇23から全6曲を作曲し、演奏しました。

詩篇23の言葉をそのまま歌詞にして歌っています。
第3曲の「死の陰の谷を行く時」は、バスの朗唱です。
圧巻の「ラメント バス(嘆きのバス)」と評されてきました。
死の病の苦しみは、助けのない嘆き、悲しみ、悲哀を、
男声の低音で、それに不協和音の伴奏がついて、
「死に直面している人」がわからないと、
とても変な、不愉快に感じる人も多いでしょう。
しかし、身近に死の影を通った人には、
身に染みることでしょう。
福岡バッハコレギウムで
ドイツ語の歌詞で歌うという主旨に惹かれました。
しかし、実際にはドイツ人神父に
ドイツ語で歌っているようですねと
冷やかされたように、難しいことでした。
と言うことで、日本語にしてバッハを聞く。
このように思って、引退後に和訳歌詞に
挑戦しています。
では、「主はよき羊飼い」に進みましょう。

主は善き羊飼い   BWV112

1 合唱
主はよき羊飼い わたしは守られて、
たりないものはなく、満たされている。
牧場に導かれ、よき言葉に満ちた
緑の牧場に伏させたもう。

2 アリア・アルト
憩いのみぎわに導いて
わが魂を生き返らせる。
この水こそ聖霊であり、
私をうるおす。
主は正しき道を歩ませ、
たえず主の名によりて、
その教えをまもらせる。

3 朗唱・バス
死の陰の谷を行く時も
災いを恐れない。
迫害と災い。患難が取り囲うとも
あなたがそばにいましたもう。
汝が杖と鞭 われをはげます。
みことばにわが身を委ねまつらん。
——————————————–
説教が行われます
説教が終わって、第二部
ここで「死の谷を行く時も」を効いてください。

——————————————–

4 二重唱 ソプラノ、テノール
主はわがためにうたげを備えたもう。
敵どもをまえに宴をもうけ、
おそれを除き、心を強め
わが頭に香油を注ぎたもう。
喜びを満たす聖霊の香油を注ぎたもう。
わが心の器を満たしてくださる。
喜びの聖霊で満たしてください。

5.コラール
あわれみと善き業はわたしにともない来て、
いかなるときも主の家にとどまろう。
地の上でキリスト者と、
死にて主イエスと
共に住まわん。

本曲は、トマス教会に就任する前に、作っていた曲を、
礼拝のカンタータに仕立て直したと推定されています。
「第2曲の自筆総譜になされた多くの訂正が、そう物語っている。
「コラール節をそのまま用いながら、編成、調整など工夫して変化と統一、
調和のとれたカンタータに仕上げるバッハの手腕はみごとなものである。」(井形ちづる)
聴きどころは、第3曲 聖書朗唱・バスの
「死の陰の谷を行く時も災いを恐れない。」
よき羊飼いは災いにあって、死の陰をおもわせる時にも、恐れない、
という詩編の言葉に工夫を凝らして作った「嘆きのバス」(ラメントバス)があげられます。
今日は、この嘆きの時に慰められたことを思い巡らしながら、視聴してください。

今日の祈り

恵み深き天の神 長い連休が終わり、日常を取り戻しています。
世界を見渡せば、物事を一人で決め、これまでの歩みを否定し、
関税操作ですべてがうまくいくという魔法のような手法に綻びがではじめ
一線を超えてナチスの再来と言われるようになって、不安が広まっています。
全ての人が振り回されず、自分の信仰と、思想と、行動を発揮して、
良い未来を作り出せますように、導いてください。
主イエスキリストのみ名によつて祈ります。アーメン

BWV106 神の時は最良の時

BWV106 神の時は最良の時

「神の時は最良の時」
「皆さんのうちのある詩人たちも、
「我らは神の中に生き、動き、存在する』
「我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。」 使徒言行録17,28

バッハは、BWV106 「神の時は最良の時」を作曲、演奏した。
1716年から1718年の間に作った3曲を元に5曲組曲のカンタータを作りました。
歌詞は今日の、我ら神のうちにあって生きる。
その人生の終わりの時は「最良の時」と言います。
——-
第1曲 シンフォニー ソナタ風のソナチネ

第2曲 神の時はいと良き時である  アリオーソ,
使徒言行録17,28 合唱
「神の時はいと良き時である。
神が望めば、我らは神の中で生き、働く。
神の中で、我らは時にかなって死ぬ。
来ませ主よ、来ませイエスよ」

第3曲 ソロ、 アルト
「あなたのみ手に、わが霊をゆだねん。
あなたは私を贖ったまことの神、
あなたのみ手にわが霊を委ねん」

第4曲 詩篇31,6
「父なる神と、御子と聖霊に
栄光と賛美と誉 聖霊の御名において
神の力は勝たしめたもう。
イエス・キリストによりアーメン」

———-

「神の時は最良の時」か

神が人の臨終を定める時。
それは最良の時であるというテーマで
4つの曲がそれぞれ聖書の言葉を歌詞にしてつくられた。
1707〜1708年とされていて、バッハはまだ22才と若い。
トマス教会音楽監督に就任した1723年より
15年も前であり、
礼拝で使われた記録はない。
礼拝では、説教の前後に、25分ばかりの持ち時間で6曲構成、と言うバッハのカンタータの形式が確立していった。
その意味で、教会暦によらない自由な形式がかえって
美しい合唱曲を生み出したとも言えるかもしれません。

「神の時は最良の時」、その意味について私は、
本曲に向き合って、また歌に使われている
聖書の箇所を丁寧に読んで、初めて知りました。
寿命を全うして、定めの時を迎える。
その時が最良の時と言える。
旧約聖書創世記の父祖列伝に100歳を超えたアプラハム、イサク、ヤコブと父祖たちの祝福された死に、
人は自分の理想の姿を描いて、
憧れと畏敬の念さえ覚えてきた。
バッハは苦難また死について、4つの受難曲をはじめ、
カンタータで4,57,94,106,156番など、多く作曲している。
また、バッハが尊敬したMルターの「十字架の神学」の立場を大事にした。たしかに、不慮の事故や思わぬ病気は最良の時とは言えない。
100歳を超えた族長たちは、満ち足りて死んだという。
最良の時を迎えた模範を記している。
しかし、現代も問題を解決したわけではない。
コロナウイルスによる死者が増え続けている。
自死する人が交通事故死を超えている。
戦争や感染症で多くの死者をみた中世末期の時代の中で、
苦難と死についてメッセージを送り続けたバッハの労作は、
今こそ、現代的意義を持ち続けていると思われます。

「神の時は最良の時」BWV106

本の広場

     本のひろば
ようこそ本のひろばへ
必要な時、興味が湧いたとき
目を通したり読んだ本ですが、読んで
書き記したものをほり起こしてリサイクルしています。
最近は読むといえはPCや本を読むiPad
で紙の本はごく少なくなりました。
久しぶりの掲載して、気持ちを新たにしています。
 ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史をイエスの時代にさかのぼり、宗教改革を経て、これを教会の宣教課題となし、内国伝道の一環とし、戦中戦後をどのように担ったかを、敬虔主義の立場から論じた。
目次から、A5版電子書籍として読めるようにPDFにしています。iPadなどのタブレット、またPCでどうぞ。ダウンロードもできると思います。
なぜわたしが?なぜこんな目に合うの?という経験をした人たちの記録から、八つの局面を上り下りするらせん模様にあらわした危機対処理論。目次から、B6版電子書籍として読めるようにPDFにしています。iPadなどのタブレット、またPCでどうぞ。ダウンロードもできると思います。
 クララとお日さま カズオ・イシグロ
主人公AF(人工友達)のクララはもう1人のローザと、AFを販売する店のショーウィンドウで、パートナーとなる買い主を待っている。彼らは太陽光のような光を身に受けて生きている。ちょうど太陽電池で走る車に充電するように、高層ビルの谷間にさしてくる短時間の光でも身に浴びなければ生きていけない。店内のショーウインドウからみえる表通りには、すでにパートナーとなったAFと歩く人の姿が散見される。
母親と店を訪れたジヨジーは主人公クララを気に入ってくれたが、親との話がつくまで待っていてねと言って分かれたきり、現れない。その間、一緒に店に来たローザはパートナーとして引き取られていった
小説「1984」
若者に読まれているベストスセラー小説「1984年」に、真理省につとめ、歴史改ざんを仕事にする主人公が出てくる。気分悪くなるような話だった。1949年にジョージ オウエルが書いた未来が日本で現実となっている。ナチスに倣えといった首脳も最後の時を迎えている。するりと逃げられないように、屈服させられている司法も元気に活躍してほしい。お願いしたい。2018/03/06
子宮の記憶  春秋社編集部  春秋社  19921120
アメリカのある臨床心理学者が心身に問題のある患者に催眠療法を行ううち、自分の生まれたときこのことを語る患者に出会った。心理学者はそれまで人にそうした記憶が残っているとは考えていなかったが、患者たちがあまりたびたび口にするのに興味をもった。記憶を取り戻した患者は、どうやら治癒に向かうらしかった。
胎児は学ぶ  エンゲル  大修館  19931120
26週から40週にかけて胎児が成熟していくのにともない、聴覚の刺激に対して胎児が反応するのは、「胎児の中枢神経系の機能がかんせいすること」を示す。(ガグノン他、1987)。すなわち、人間の近く・感覚は、お腹の中で発育している時期に形成されるのである。・・・新生児を二人の女性の間に顔を見られないようにして置き、同時に二人の女性が話しかけると、その子は母親の方を向く。つまり、新生児は明らかに母親の声を認識している。それは生まれる前から聞きなれた声だからである。
誕生の記憶  春秋社編集部  春秋社  19921120
アメリカのある臨床心理学者が心身に問題のある患者に催眠療法を行ううち、自分の生まれたときこのことを語る患者に出会った。心理学者はそれまで人にそうした記憶が残っているとは考えていなかったが、患者たちがあまりたびたび口にするのに興味をもった。記憶を取り戻した患者は、どうやら治癒に向かうらしかった。催眠下の患者たちは自分の誕生についてじつにこまごまと語った。
 記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記 クレア・シルヴィア著
心臓移植後におこった数々の不思議な体験。生命の奥深い神秘に迫る衝撃のノンフィクション。
原発性肺高血圧症という難病におかされ、心肺同時移植手術を受けたクレアは、
手術後、自分の中に別の誰かが存在していると感じ始めた。
「アドルフに告ぐ」の中に挿入された話、ユダヤ難民が日本にたどり着き、日本から上海を経由してアメリカ・カナダへと通過したという話はフィクションではない。一九四一年七月から翌年5月まで、約11月の間に、四六六四人のユダヤ人難民がシベリア経由で日本にやってきた。横浜、神戸の在日ユダヤ人が中心と救援活動に奔走した。とくに、中田重治を中心とした東洋宣教会ホーリネス教会の関係者はユダヤ難民を親身に世話した。
当時、外交官としてリトアニアで任務に就いていた杉原千畝(すぎはらちうね)は六千枚の通過ビザを書いたという。ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人難民のために、迫り来る危機のなか、領事館が閉鎖される直前まで、力をふりしぼってビザを書き続けた。また、リトアニアを去るときも、駅で汽車に乗ったあとからも懇願するユダヤ人のために書き続け、汽車の窓から手渡したという。そのビザはアメリカの南、メキシコ湾にある小さい島、オランダ領キュラソー島を目的地とする通過ビザであったので、「キュラソー・ビザ」と呼ばれる。キュラソー島は税関がなくビザを必要としない島である。窮余の一策を思いついて、このようなビザを発行した。杉原千畝氏は六千はビザを書いたという。このビザによって、そのなかの4664人が日本に来たということは、驚くべき奇跡である
ジョイ・コガワは、はじめ「OBASAN」(おばさん)という本を出版した。一九八三年、その本は発売されるとたちまちベストセラーになり、「カナダ文学賞」「全米図書賞」を受賞した。カナダ文学賞を受賞したとき、次のように語った。「私はこの本で、私にとって、ひじょうになつかしく、忘れることのできない人びとをとりあげました。日系カナダ人です。
なぜわたしだけが苦しむのか
幼い息子が奇病にかかり十余年の命と宣告される。
理不尽と思える不幸にみまわれたラビ(ユダヤ敦の教師)が
絶望の淵で問う。神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは何か。
自らの悲痛の体験をもとに旧約聖書を読み直し、学びとった
ことを透徹した理論と澄み切った感性で綴る。人生の不幸を
生き抜くための深い叡知と慰めに満ちた書。
宣教師の妻として中国にいたとき、産まれた子供の発育が遅いことから障害があることが分かる。アメリカに帰り、医者をさがし治療の可能性をさぐるが、早期に発見していたら治っていたとも思う。納得行く施設を探すことも大変だった。この話の中で、中国人のお手伝いさんが、施設に預けることをいぶかしく思って反対した話がある。中国では障害を持っていても家族の中で一員として扱う。ここに個人主義的西欧のアメリカと、大家族の中国という、文化の違いがある。パール・バックは子供を施設に預けようと思うが、そういう発想が中国にはないといこともわかる。
荒れ野の40年―ウァイツゼッカー大統領演説全文
1985年、ヒトラー・ドイツ降伏40周年記念に際して、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは「荒れ野の四○年」と題して演説を行い、「救いの秘密は心に刻むことにこそある」といった。心に刻むことであって、「密封することではない」。この演説はドイツが進むべき方向を世界に示したもので、日本でも岩波ブックレットほかいくつかの翻訳出版がなされ、話題となった。荒れ野の40年とは旧約聖書の出エジプトの民がその不信仰と罪のゆえに、約束の地を目前にして、40年の間荒野を放浪した。ドイツの戦後40年を出エジプトの民にたとえたもので、歴史認識の基礎を解き明かしている。
 「人は成熟するにつれて若くなる」 ヘルマン ヘッセ
ナチスに反対して作家活動を攻撃され、スイスで過ごした。ノーベル賞を受けたが、心の病で苦しみ家庭的には幸福だったとは言えないが、今ヘッセが読まれているのは、心の苦しみを持つ人たちが、自分のことを分かってくれていると感じるからだ。人間の弱さと正直に向き合った、その生き方と文章は、今新たな光を浴びている。人はみな老いていく。夕日の暖かみのようなものが正当に評価されている。
「庭仕事の愉しみ」
同じくヘッセの「庭仕事の愉しみ」。心温まるスケッチが10数点はいっている。
庭仕事は瞑想である。草花や樹木が教えてくれる生命の秘密。文豪ヘッセが庭仕事を通して学んだ「自然と人生」の叡知を詩とエッセイに綴る。自筆水彩画を多数挿入。
庭にて/九月/幼年時代の庭/青春時代の庭/外界の内界
弟に/ボーデン湖のほとりで/花のいのち/嵐のあとの花/花々にも〔ほか〕
「「戦争・ナチズム・教会」 河島幸夫著  1993、新教出版社
「人の生活に重大な影響を及ぼす」政治学を専攻する著者は、ドイツにおけるキリスト教、とりわけ戦時下の福音主義教会が歩んだ道を考察する。 特にヒトラーが「生きるに値しない命」として、20万人の障害者の「安楽死」抹殺を進めた時、患者を預かっていた福祉施設の指導者たちはどのように迎合したか、または抵抗したか。患者抹殺に手を貸したか、患者を守り抜いたか。施設「ベーテル」の抵抗の事例を詳細に検証している。
ヒトラーのもとで行われた、ユダヤ人虐殺と、これをひきおこしたすべてを第一の罪とすれば、「第二の罪」とは第一の罪をごまかし否定することである。ラルフ・ジョルダーノは彼の著「第二の罪」の中で右のように言っている。そして第二の罪は、今日にいたる戦後西ドイツの政治文化の本質的特徴だという。(同書9頁)ユダヤ人を母として生まれたジョルダーノは多感な少年時代をナチスの暴虐の中に耐え抜いて生きた。解放の暁にはドイツを離れようと堅く決心していたが、解放されてみると、この地に踏みとどまることになった。
「死の医学」への序章   柳田邦男  新潮社 1986
自らがんによって死んでいった医師の手記を、柳田邦男が編集して生まれた「死の医学」。患者の立場から、病気を見つめ、患者中心の医療を訴える。ちょうど、エリザペス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」が発行された時代でもあり、自分の場合は死に至る人がたどる心の五段階が、順番どおりでなく入り混じるといって批判したりする。 かけがえのない人生の週末の瞬間は、病院の一室に閉じ込められ、「死」は日常化に切り離されようとしている。より深き生の充実のためにもっと「死」を思いたい命の刻む音を聴きながら自らの死をみつめ、記録して逝った精神科医西川喜作の模索のあとを辿りつつ思考する「死の医学」表紙扉より。
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
「脳が死んでも体で話しかけてくる」。
自ら命を絶った25歳の息子の脳死から腎提供に至る最後の11日を克明に綴った感動の手記
冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。
生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。
 精神病院の起源 小俣和一郎  講談社現代新書
ヒトラーに心酔したユング、ナチ党員だったハイデガー現代思想史上に輝かしい足跡を残した「知の寄与人たち」の知られざる暗部かいま明される。「アーリア人」人ユングーーーフロイトはユングのオカルト現象や宗教への興味に危険性を感じ、ユングはフロイトの性欲説一点張りの頑固さに辟易していた。 1913年、二人の対立は決定的となり、ユングはIPV会長を辞任するユングは「一種の心理的危機に落居の、第一世界大戦が終了するまでほとんど引きこもった生活を送っていた」と多くの評伝は伝えている。しかしながらまさにこの時期、永世中立国であるスイス国民のユングは、ドイツの敵国イギリス・フランス人捕虜収容所で衛生士官の軍務についていた。その時の写真には、生き生きとした表情のユングがはっきりと写し出されている。
 自然・人生・宗教」佐藤俊男<br>
「昨年、1997年3月31日、佐藤牧師は半世紀にわたって奉仕された福岡社家町教会を退任された。生死を分ける戦場(中国の山奥・ニューギニャの密林)での極限状態を生きき抜き、人間と宗教の問題を根底から見直してこられた先生によって、私たちはいわゆる教会という枠内での制約から離れた自由な雰囲気の中でキリスト教の本質について学ぶことができた。
また一哲学徒としての立場を固執してこられた滝沢克己教授(主に西田幾多郎、カール・バルトの研究)が、ご夫妻で受洗されたのもこのような雰囲気のもとであった。
 精神の遍歴 竹下夢ニ  関谷定夫著  東洋書林 2000
大正ロマンを代表する放浪の抒情詩人画家・竹久夢二は、徹底した民衆派の美人画家として、今日、多くの人びとを魅了している。その彼が女性遍歴でいろどられた頽廃画家というそしりを受けている反面、若き日に平民社に出入りし、反権力、反戦的社会主義者としてたえず特高からつけねらわれていたという経歴の持ち主だったことも、今ではよく知られている。筆者はつい最近まで夢二についてはほとんど無知に等しかったのであるが、ふとした動機から急に、彼の波瀾にみちた人生の軌跡を追わざるをえなくなった。
グスタフ・ユング (1875-1961)
スイスの心理学者。精神病理学者。コンスタンツ湖畔に牧師の子として生まれた。バーゼル大学で医学を学ぶ。一九〇六年以来フロイトと交流を深め、精神分析学会の初代会長となる。後にフロイトと別れ、分析的心理学派を作る。始めフロイトに共鳴したが、リビドーを性的なものに限定することに反対して広く心的エネルギーとみなし、性格を内向・外向の二型に分けたことは有名である。夢の解釈も過去の経験に限ることなく、未来を予告する働きを持つものとした。彼は無意識を、フロイトの個人的なものに対して元始よりの種族的な経験の集積とみなし、「集合的無意識」と名づけた。彼の深層心理学は神秘的な内容を含んで難解であるが、宗教心理学、牧会心理学にとって多くの有益な示唆を与えるものである。
「人間の大地」  犬養道子   中央公論社 1983年
国連の難民高等弁務官のスタッフとして長年難民問題に取り組んできたレポートである。
「難民」とは、犬養氏によると近代的意味でパスポートを持たない、政治的・経済的理由で、母国を離れた人である。聖書の主要人物も難民であったと指摘し、クリスチャンはとくに難民問題に理解を示してほしいと訴える。確かに、アブラハムもヤコブも、ヨセフもモーセも、そしてイエス・キリストも生まれてすぐエジプト逃避という難民体験をした。
人生の短さについて 他二篇  文庫 セネカ, Lucius Annaeus Seneca, 茂手木 元蔵
出版社からの内容紹介セネカ(前5,4―後60年)はローマ帝政の初期というひどく剣呑な時代に生きた.事実,かつての教え子ネロ帝から謀反に加担したと疑われ,自殺を命じられるのである.良く生きれば人生は十分に長いと説く表題作,『心の平静について』『幸福な人生について』のいずれもが苦境にたちむかうストア哲学の英知に満ちている.
人生の短さについて 心の平静について 幸福な人生について
パット・ムーアは、三年間アメリカの老人を経験し小説「変装」を書いた。メーキャップ・アーティストの手を借りて、二六歳の顔を八五歳の老女に見せる扮装術を身につけた。喉のたるんだ肉、目尻の皺といった特殊メイクを彼女は買いこんだ。頭には白髪のかつらをかぶった。重い矯正靴を履き、白手袋をはめ、杖をつき、特殊なクレヨンで歯を汚した。田舎のストアで買った安物の部屋着とショールをまとった。老女であると実感できるように、関節炎を効果的にみせるために指にテープを巻き、膝の裏に副木を当てて動きを制限した。その変装は完璧だった。変装してアメリカ各地の街中を歩いた彼女は、いつも無視され、粗暴に扱われ、死ぬほどたたかれた。・・・・・
「絶対音感」   最相葉月著
「絶対音感」とは自分の中に基準音をもっていることをさす。それはドレミの「ラ」の音を覚えていて、これを基準にどんな音もいいあてる。救急車の警笛や飛行機の爆音を音階で聞いてしまうという。モーツアルトやベートーヴェンは絶対音感をもっていた。だから、小さいときからして訓練して、絶対音感を身につけるという教育が日本で行われてきた時代がある。ヤマハ音楽教室などで行われた。 ところが、そこから生じる問題は音階が分かるが、意味や情緒がかけていく。 「公文式」の算数の練習が技術的にはすばらしく熟達していくとして、その問題や意味を問わないという、問題と似ている。 絶対音(基準音)が、ドイツやアメリカなど国によって微妙に違う、その違いが気になって吐き気を催すような違和感を持ってしまうという。 絶対音感とはなにか、考えさせる。
 ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史をイエスの時代にさかのぼり、宗教改革を経て、これを教会の宣教課題となし、内国伝道の一環とし、戦中戦後をどのように担ったかを、敬虔主義の立場から論じた。
目次から、A5版電子書籍として読めるようにPDFにしています。iPadなどのタブレット、またPCでどうぞ。ダウンロードもできると思います。
「生きるに値しない命」とは誰のことか ―ナチス安楽死思想の原典を読む
カール ビンディング , アルフレート ホッヘ , 森下 直貴 佐野 誠訳 窓社 (2001)
本書は、ナチス安楽死政策や、優生学運動・優生思想、安楽死問題・安楽死思想の研究と思索を一歩でも前進させるために編まれたものである。封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。
第1編 テキスト(法律家の見解医師による論評)
第2編 批判的評注(それはいかにして生まれ、利用されたか―法思想史的・歴史的観点から「生きている価値」とは何か―倫理学的考察)
子どもたちのホロコースト ローレル ホリディ、Laurel Holliday、 横山 緝子   小学館 1997
本書は、肉親と引き離された12歳から17歳の子どもたちが、ナチ占領下のチェコ、ハンガリー、ポーランド、リトアニアなどの強制収容所やゲットーなどで密かに記した日記を、編者が世界各国の資料館や図書館などから集めて編纂したものです。11人中5人の子どもたちはアウシュビィッツやポーランドの絶滅収容所で犠牲になりました。
子どもたちの日記には、ゲシュタポの絶え間ない嫌がらせに耐える毎日、生活必需品を手に入れる苦労、友だちや肉親が死の収容所に移されるのを目の当たりにする恐怖などが、生々しく率直に描かれています。
アドルフに告ぐ 手塚 治虫 、文藝春秋社、1958年
アドルフと呼ばれた三人の男を描く手塚治虫のまんがである。一人は在日ドイツ領事の息子 アドルフ・カウフマン、その友人でパン屋を父に持つユダヤ人アドルフ・カミル、二人は神戸で幼なじみであった。もう一人はナチスを率いたアドルフ・ヒトラー。この三人である。ヒトラーが政権をとり、ベルリンでオリンピックが開催された頃、数枚の秘密文書が日本に渡った。ユダヤ人を絶滅しようとしているヒトラー自身にユダヤ人の血が混じっていることを証明する文書だという。ヒトラーは1889年4月20日に生まれたが、その出生証明書には税関の検査官であるアロイス・ヒトラーと三度目の夫人であるクララとの間に生まれたことが記されている。また、ヒトラーの父方の祖父はフランケン・ベルガーと名乗る金持ちのユダヤ人であった。その息子は、召し使いとして働きにきた女性との間に子供を作った。マリア・アンナ・シックルグルーバーは四二才の時に私生児アロイス・シックルグルーバーを生んだ。ヒトラーの父親がこの人である。「あなたの血のはいったアドルフに一度あいに来てやって」と書かれた手紙は、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人の孫に当たることを証明する書類として、ナチスが隠密裏に探していたものである。
夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録 (単行本)
V.E.フランクル(著, 霜山 徳爾(著 みすず書房 ,1985
ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。
それでも人生にイエスと言う V.E. フランクル, Viktor Emil Frankl 春秋社 1993
アウシュヴィッツ絶滅強制収容所から奇跡的に生還した著者が、解放直後の翌年に「それでも人生にイエスと言う」と話したことに私は衝撃を受けた。それが38年の年月を経て翻訳されたことも驚きであった。『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第2次大戦中、ナチス強制収容所を体験をした。その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。
ナチスドイツと聴覚障害者―断種と「安楽死」政策を検証する (単行本)
中西 喜久司 (著)文理閣 (2002/10)
ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺 エルンスト クレー著 松下正明訳 批評社 (1999/07)
病人の治療を使命としなければならない医者が、自らの職務として患者を殺害、それも治療の場としての精神病院でそれらが行われたという悲劇を論じる、ナチスによる安楽死問題の原典。ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
死ぬ瞬間」 死にゆく人々との対話
エリザベス・キューブラー・ロス  読売新聞社  1971年
死ぬ前に人間はなにを考えるか
死ぬ直前の心理は、恐怖か、迷いか、悔恨か。
死病にとりつかれた200人の絶望的人々に直接面接した「死に至る」深層心理の衝撃の記録。石、看護婦、宗教家、近親者など必読の書
「人生は廻る輪のように」  エリザベス・キューブラー・ロス  角川書店 1998年
本書は、キューブラー・ロスという たぐいまれな女性が20世紀を生きた稀有な愛とたたかいの記録である。すなわち、臓器移植、遺伝子治療、肉体の再生をもくるむ死体や脳の冷凍保存など、ひたすら「神への挑戦」に邁進する「人間の傲慢と愚劣の極み」とたたかいつづけた闘士の記録であり、侵略戦争、ナチズム、偏見、差別による犠牲者に身を挺して援助の子をミしのべた国際的ボランティアの記録であり、超一流の精神科医の臨床記録であり、科学技術と物質文明の時代から溝性の時代への移行期に生ミた科学者の観察記録であり、神秘家の修行の記録である。
戦争と罪責   野田正彰 岩波書店 (1998/08)
著者からの内容紹介
戦争の時代,そして戦後を通じて,日本人は「悲しむ力」を失い続けてきた.自己の行為に直面し,責任を感じる能力を取り戻すには,どうしたらいいのか.『喪の途上にて』で鋭い社会分析を行った精神医学者が,中国で残虐行為を行った旧兵士への徹底した聞き取りを通じて解明する,われわれの心の中の,欠落と抑圧の問題.
ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」を提起してから、平和学の対象領域は広がり、貧困や開発、ジェンダーといった日常生活に関わるテーマも含むようになった。[35]
わが国で平和学講座を開講している大学は国立26大学、私立58大学を数えている。平和記念館また資料館は全国49カ所に所在している。ノーベル平和賞受賞者は74人を数える。平和学はその取り組む課題と方法において、広く認知されてきている。