パロディ BWV 36 喜び高く舞い上がれ

パロディ BWV 36 喜び高く舞い上がれ

パロディ BWV 36 喜び高く舞い上がれ 

 

   数ある曲の中で、バッハは作った曲を別の曲につくりなおし、

 人は「パロディとよんできた。

 本曲 BWV36「喜び高く舞いあがれ」のように計4曲も作り、 

 この4曲は「パロディ」と記されている。

 辞書のwikipediaによると「パロディ」は、他者の作品を模倣,作り替え、

 盗作,盗用など、著作権侵害という悪い意味で使われることが多い。

 バッハは自分の曲を盗作などしないけどと、きになつてきた。

  そこで、パロディと扱われている「BWV 36」の4曲の一群を検証しようと思った。

 1.BWV 36の原曲は失われてない!。が、

 原曲から再生、再利用,リサイクルした曲は3曲ありa.b.c.で区別されている。

 その再生した BWV 36 a.b.c. の楽譜、構成、歌詞を一覧して、

 共通項と違いを比べると原曲がほぼわかるのではないか。

 (下記にa.b.c.の歌詞の一覧を示している.)

  それでは、初めに近年のライプツィヒ大学管弦楽団と合唱団による

  下記の二曲をご視聴ください

     #BWV 36  ライプツィヒ大学管弦楽団と合唱団による 動画
 BWV36a喜び空に舞いあがれ    全9曲
 1726年11月30日  アンハルト・ケーテン候レオポルトの2番目の妻、
 候女シャーロット・フリーデリケ・アマリアの24歳の誕生祝

 

 
 BWV 36b    喜びがわきあがり
全8曲

 1735年 ライプツィヒ大学学長に就任した
 ヨハン・フロレンス・リヴインス(Rivins)のf就任祝 学生が学長賛歌をささげる
 光景が再現されている。

 

 次にBWV 36 a.b.c.の歌詞情報を一覧表にしています。  

日本語歌詞のBWV 36 a.b.c.の各曲の青色の下線付き太文字列を押して視聴できます。

各曲の歌詞を横に読んで共通部をチェックする。

第1曲、第3曲、第5曲、第7曲は楽譜が同一です。歌詞がかわります。

これらの共通項から、原曲が再生、リサイクルされてことが判ります。

 

 

BWV 36 BWV 36a BWV 36b BWV 36c

    喜び 高く舞いあがれ      全8曲

 

 

 喜び空に舞いあがれ       全9曲

喜びがわきあがり      全8曲

喜び高く舞いあがれ 
   全9曲

  待降節第1    結婚祝    就任祝    誕生祝
 1731年待降節第1
「いざ来ませ異邦人の  救い主」
1726年11月30日
アンハルト・ケーテン候レオポルトの2番目の妻、候女シャーロット・フリーデリケ・アマリア の24歳の誕生祝。
1735年
ライプツィヒ大学学長に就任したヨハン・フロレンス・リヴインス(Rivins)の就任祝
1735年10月
すでに1730年にトーマ学校70代校長に就任していたヨハン・マティウス・ゲスナーの40歳の誕生祝
第1部1.合唱 1.合唱 1.合唱
1.合唱
よろこび高く まいあがれ 夜空の星の高みへ
シオンでよろこぶ声がする。
だがまて よろこびの声がうせても
よろこびの声が 聞こえなくても
主がこられるから。
喜び空に舞い上がれ
あなたの願いが
我らの心に漂う
だが、まて、
あまり遠くに行かないで
侯爵夫人が滞在中だから。
喜びがわきあがり
明るい音色に包まれる。
この美しい日にじっとしておれない。
心を鎮めミューズの子*らよ、
願いをこめて
熱い賛辞を捧げよう。
喜び高く舞いあがれ 夜空の星の高みへ
神と御座でまみえるまで、望みます。
だが待て、そこまで行かなくても
先生に感謝とつとめをささげます
2 コラール  Sp.Al 2.朗唱 2.朗唱   Tn
2. 朗唱 Tn
来ませ異邦の救い主
乙女の子に産まれた、世の人みな驚いた神はこのようにイエスを生まれさせた。
この穏やかな辞儀の感謝の気持ちは
あなたの足元に現れています。
あなたの優雅さや、所有物、名声は、 ためらいや不安から私たちを解放します。
この楽しい時に
リヴィン*の幸せが
新たになるのを見る。
彼の家に栄えあれ
祝福は努力をたたえわれらのフィルリ*を力づけこの祝福は力を得不幸と悲惨を追い出す。
心は多くの願望や欲望にふれて、喜びを失っていく。
かれはもっと多くの希望や献身の喜びを見る。神の働き、まさに、先生のような名声、魅力、願望、あこがれ。
 
 
 
 
 
 
 
 
3 アリア ・Tn 3.アリア 3.アリア  Tn
3.アリア  Tn
愛はやさしく歩みより
愛はやさしく歩みより
愛する人をつれて行く。
花よめは花婿を見ると
われを忘れて喜ぶように
身も心もイエスに従い行く。
太陽は優しく昇る
偉大な王女よ、
私たちの幸福を見るあなたのまなざしは、
私たちを幸せにする。
神はやさしく、
父の手から子らに幸運を授けられた。
神はまことと善を、
願う以上に与えられた。
愛は優しく歩み寄り
心は先生を慕う心を導く。
人が無駄な時を過ごす時
心は自分をかき立てて、
畏敬の念がわきあがる。
4 コラール 4.朗唱 4.朗唱   At
  4. 朗唱 Bs
甘い調べを琴の音にあわせ
甘い調べを琴の音にあわせ
あふれる喜びを奏でよ。
うるわしいわが花婿
イエスと愛の絆に思いをこめて
歌え、踊れ、喜び高く声を上げよ
大いなる栄光の王。
昼も夜も感謝して、候妃に献身する
この日々をうれしく思います。
われらの宝石、地上の光なる、あなたの貴いレオポルド公、
また、忠実な、仕える謙虚、
すべての人たちが、祝宴を楽しみ、
元気づけられますように。
友は喜び、祝いと名誉のこの日を見る
彼らを導く恵みを、
この敬虔な人が 何千回も自分を賞賛した。
この幸せも嬉しいのです。
リヴィン*を侮るな。
我らもまた、
あなたをたたえる歌声を聞かせたい。
おお、あなたは
この栄誉を身に着けることが
できる人。
高価な銀の飾に
感謝、尊敬、栄光、すべて集まり、
我らの光、導きの手となる
あなたは喜びの祝いを拒みません。
  第二部 5.アリア Bs 5.アリア 5.アリア   At
5. アリア Bs
よおこそ尊い宝
よおこそ尊い宝
愛と信仰もて、
私たちの心にやどりませ。
ようこそ、素敵な一日!
舌と口を持つならばできる。
合唱の音色で、
花が咲き、花が咲く
(*シャルロッテ ブルーム)。
神から送られた善、
今日も起こることは、
われらの幸福を美しくする。
かつて、あなたが生まれた日は、
われらに癒しとなった。
あの日 「光あれ!」 と、
神が、私も共に、言われたように。
  6 コラール Tn 6.朗唱 6.朗唱
6.朗唱  Sp
父にひとしく肉に勝利し
永遠の力により
肉体の病をいやしたまえ。
あなたの学識や名声が高まり
あなたの敬虔,忠誠、また服従が
隣人に仕える神の愛となり、
貧しい人が援助をうけるならば
私たちはただ賞賛し、
これ以上を願いません。
あなたの名声が世界に広まり、
努力が実り発展すれば
あなたの敬虔はモデルとなる
神に仕え、人を愛し、
貧しい人が援助を受けるならば
低いわれらは、
これ以上を求めようとは思いません。
ただ 1つだけが心配です。
この犠牲は不完全。
だが先生が受け入れ、
認めていただければ、
それがよい。
そうでなければ悪いことが増え
忠実がもとめられる。
  7 アリア  Sp 7 アリア  Sp 7.合唱と朗唱
7. アリア Sp
力弱い音色であっても
天の神の御霊がとりなして
神の栄光をたたえうる
こんな声でも神は親しく聞いてくださる。
力弱い音色であっても
神の御霊がとりなして
神の栄光をたたえうる
こんな声でも神は
親しく聞いてくださる。
優しく、喜びに満ちた
あなたの善意をたたえます。
たたえよ一つの歌で
霊だけがそのような
計り知れない恵をもたらします。
だが、
死からあなたを引き上げる歌が聞こえたら
私たちも歌う準備ができています。
力弱い音色でも
先生の栄誉をたたえうる
こころに響きわたる
この喜びをどう伝えられるのか。
力弱い音色でも
先生の栄誉をたたえうる。
  8 コラール 8.朗唱 8.合唱と朗唱
8. 朗唱 Tn
父なる神に 栄光あれや、
聖なる神に いまもとわに。

 
偉大なわたしたちの候女、
私たちのこころは、
次の言葉で願いを伝えます。

 
合唱
われらの喜びは十倍になった。
あなたにささげた賞賛は私たちには十倍になった。
テノール
確かにあなたの名声を知る人は、
不義な人が不幸と災いをもたらすことを知る。
合唱
あなたを苦しめる者はなく
幸福に欠けるものもない。
アルト
あなたの家は神殿のよう。
ため息より、賛美
甘い平和は乱されない。
合唱
この喜びは大きく未来を開く。
私たちが想像したように
ソプラノ
ゆえに、偉大な先生に祝いをささげて
感謝します。
だが、われらはこれ以上は望みません。
合唱
われらの喜びは十倍になった。
あなたにささげた賞賛は私たちには十倍になった。
よろこびの時に、
目標は見出される。
であれば、それが人生である。

 
   8.朗唱  
8. 朗唱 Tn
  偉大なわたしたちの候女、
私たちのこころは、
次の言葉で願いを伝えます。
  よろこびの時に、
目標は見出される。
であれば、それが人生である。
  9.アリアと合唱  
9. 合唱 Tn.BS.Sp
  栄え、花咲き、長く生き、
偉大な侯女にさいわいあれ。
テノール
また、あなたのような人は皆、
天を愛し、救いと平安を与えられる。
心が望むものは、
合唱
幸福をもたらすに違いない
バス
善行だけで、光を得るには弱い。
彼はあなたを見つめているので
合唱
この真面目なため息にたどり着く
ソプラノ
胸の半分はやさしいレオポルトに
また民の願い幸せに、あなたの僕にも
合唱
栄え、花咲き、長く生き 偉大な候女に幸あれ 。
  年が新たになるように人の名声も変わる。
年月が変わるように人の名声も新たになる。
あなの功績を正しく言うのは
私たちの力にあまりあります。
あなたの気高い人生は賞賛され喜ばれます。
テノール朗唱
確かにあなたの業績を知る人は
 ヘリコーン*で知られるように
賞賛に値する。
合唱
あなたの功績を正しく言うのは
私たちの力にあまりあります。
バス朗唱
だからこそ沈黙を守り、心で感謝を伝え、
あなたに示します。
合唱
あなたの気高い人生は賞賛され、喜びれます。
ソプラノ朗唱
喜びにあふれ、すべての人が感謝をささげ
目はさえぎるものを抜け、将来の幸福を見る。
合唱
年が新たになるように、人の名声も変わる。
年月が変わるように人の名声も変わる。
       
わたしの本棚 🟡

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 🍅  わたしの本棚

 

 

なぜわたしが?

エリカ・シューハート著 山城 順訳
人生の危機(病、事故)にあった人が、自分の人生をどのように受け止め、克服しようとしたか。 またはできなかったか。 自らの体験を記した6千冊の書からえられた「なぜわたしが?」。翻訳

 

 

 

ディアコニー
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史
エーリッヒ・バイロイター著

ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史を、イエスの教えにさかのぼり、現代までを叙述している。 とくにルターの全信徒祭司の思想を外国伝道に対する、国内の福祉諸課題を教会の任務としてとらえた内国伝道の歴史。 ※1 翻訳

 

心の旅

1984年、1.バート・ボルにブルームハルトの跡を訪ね、
また、2.東ドイツ時代のJSバッハの足跡をたどった。

 

 

 


 

  小説  バッハ    フランク  佐藤牧夫訳

    🔸前 半       少年時代からワイマール、ケーテン宮廷楽士長           

            🔸後 半   トマス教会カントルに就任後

 

九州教区宣教の歩み  データベースによる   山城 順編

 

鎮西学院の人脈 

CSロング

 1881年長崎東山手の地にカブリ―英和学校(後の鎮西学院)を創設

倉場富三郎(くらば とみさぶろう )
 カブリ―英和学校第1期生、卒業後学習院、オハイオ・ウエスレヤン
 大学を経て ペンシルパニア大学医学部生物学科に入学。

 その後、長崎で地域のために貢献した。

遠山参郎(とおやま さぶろう)
 オハイオ・ウエスレヤン大学留学( 1892-1896年)、帰国後、

 夏目漱石の後任として熊本第五高等学校英語教授に赴任、

 その後九州学院を創設。

 

佐野勝也(さの かつや )
 (1888~1946) 1910鎮西学院を卒業後一高、

 東大を経てハーバード大学で宗教学を修め、
 帰国後九州大学宗教学初代教授

千葉胤雄(ちば たねお)

 鎮西学院を卒業後1918年オイオ・ウエスレヤン大学入学、 卒業後ギャレット聖書学院で学び、
 12年の留学生活を終えて帰国。宗教主事。
 1945年の長崎原爆を受けつつ、院長として学院再建に尽くしたが 1950年原爆症で死亡。

 


  教科書など

野の花のように
 入学して初めて聖書に触れる学生のことを考えて
 キリスト教学の教科書を何度もつくりました・その一冊です。

人権の基調
 国連で採択された人権条約に基づいて、
 1.人権の貴重、2.民族の生存、3.子どもの人権。
 4.部落差別の歴史 5.障害者の歴史と差別 資料 子どもの人権条約

 

エッケ 民族と聖書
 キリストが十字架にかけられる場面で、総督ピラトが語ったことば
「この人をみよ(ecce homo)」のラテン語聖書から援用した。


石 叫 Ⅰ いしのさけび
 鎮西学院に転任するにあたり。牧会31年を省みて。

 

石 叫 Ⅱ しのさけび

 父の死を記念して私の自伝的随想を試みた。
 筑豊のこと、大学闘争のこと、教団問題、日韓宣教協約の問題について、
 所信を記してみた

 

     論  文   20本 検索枠に「山城順」と入力する

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なぜわたしが?

エリカ・シューハート著 山城 順訳
人生の危機(病、事故)にあった人が、自分の人生をどのように受け止め、克服しようとしたか。 またはできなかったか。 自らの体験を記した6千冊の書からえられた「なぜわたしが?」。翻訳

 

 

 

ディアコニー
ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史
エーリッヒ・バイロイター著

ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史を、イエスの教えにさかのぼり、現代までを叙述している。 とくにルターの全信徒祭司の思想を外国伝道に対する、国内の福祉諸課題を教会の任務としてとらえた内国伝道の歴史。 ※1 翻訳

 

心の旅

1984年、1.バート・ボルにブルームハルトの跡を訪ね、
また、2.東ドイツ時代のJSバッハの足跡をたどった。

 

 

 


 

  小説  バッハ    フランク  佐藤牧夫訳

    🔸前 半       少年時代からワイマール、ケーテン宮廷楽士長           

            🔸後 半   トマス教会カントルに就任後

 

九州教区宣教の歩み  データベースによる   山城 順編

 

鎮西学院の人脈 

CSロング
      1881年長崎東山手の地にカブリ―英和学校(後の鎮西学院)を創設

倉場富三郎(くらば とみさぶろう )
カブリ―英和学校第1期生、卒業後学習院、オハイオ・ウエスレヤン
大学を経て ペンシルパニア大学医学部生物学科に入学。

その後、長崎で地域のために貢献した。

遠山参郎(とおやま さぶろう)
オハイオ・ウエスレヤン大学留学( 1892-1896年)、帰国後、

夏目漱石の後任として熊本第五高等学校英語教授に赴任、

その後九州学院を創設。

 

佐野勝也(さの かつや )
(1888~1946) 1910鎮西学院を卒業後一高、

東大を経てハーバード大学
で宗教学を修め、帰国後九州大学宗教学初代教授

千葉胤雄(ちば たねお)

西学院を卒業後1918年オイオ・ウエスレヤン大学入学、 卒業後ギャレット聖書学院で学び、
12年の留学生活を終えて帰国。宗教主事。
1945年の長崎原爆を受けつつ、院長として学院再建に尽くしたが 1950年原爆症で死亡。

 


  教科書など

野の花のように
入学して初めて聖書に触れる学生のことを考えて
キリスト教学の教科書を何度もつくりました・その一冊です。

人権の基調
国連で採択された人権条約に基づいて、
1.人権の貴重、2.民族の生存、3.子どもの人権。
4.部落差別の歴史 5.障害者の歴史と差別 資料 子どもの人権条約

 

エッケ 民族と聖書
キリストが十字架にかけられる場面で、総督ピラトが語ったことば
「この人をみよ(ecce homo)」のラテン語聖書から援用した。


石 叫 Ⅰ いしのさけび
鎮西学院に転任するにあたり。牧会31年を省みて。

 

石 叫 Ⅱ しのさけび

父の死を記念して私の自伝的随想を試みた。
筑豊のこと、大学闘争のこと、教団問題、日韓宣教協約の問題について、
所信を記してみた

     論  文   20本 国会図書館所収 

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チャペルアワー

チャペルアワー

チャペルアワー

 

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きょうの言葉 243   終末主日         11月24日

 種まく人  

マルコ福音書四章一~二〇節

  

「ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、
あるものは三十 倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」 8節

 

 

 


   

 

 

 

教会の暦では、今日は「終末主日」、次週からアドベントの4週間となります。
ここで、終末はイエスの到来(アドベント)を迎えて、
新しい時の到来を告げる。と同時に、古い生き方に別れを告げる時でもあります。

 「おびただしい群衆がそばに集まって来たので、
イエスは陸を離れ、船に乗って湖から話された。」

マルコによるとこの時、イエスが話されたのは六つほど
神の国の到来を、種まきに例え、その種は成長し、終末の時の収穫の喜びをむかえる。
こういう一連の話で、
 神の国は種まきが種をまくのに似ている。
 群衆が帰り、一二人の弟子たちだけになった時、
イエスは弟子たちだけに真意を説明しています。

群衆に語るとき、イエスは譬にして教えた。
しかし、弟子たちには「神の国の秘義を直接に教えよう。」
このように、弟子たちには直接に話された。

 

 イエスの譬によると、まかれた場所が四種類あります。
一つは道端です。それは鳥が来て食べてしまった。
二は、石だらけの所です。日が照ると焼けた。
三は、茨の中でした。のびようとしても茨が邪魔して育たなかった。
四番目、ほかの種が、耕された畑にまかれて、
三〇倍、六〇倍、百倍の実を結んだ。
人それぞれ、苦労やわざわいにあって成長が妨げられる。

神の言葉、神のロゴスそれは何時の時も変わらない。
 「草は枯れ花は散る。
しかし、主の御言葉はとこしえに変わらない。」
 預言者エレミヤはこういいました。
この言葉はヤコブ1章11節、また第1ペトロ1章24節でもでてきます。
人は皆草の花のようだ。その華やかさは草の花のようだ。
しかし、神の御言葉はとこしえに変わることがない。
この変わることのない神の御言葉が語られ、まかれた。

二、
□まかれた種の品質は同一です。
ところが、まかれた種が成長するかしないか。
育つか育ちきれないか。
収穫が多いか少ないか。それはまかれた畑で違ってくる。
すなわち、人生という畑がよく耕された畑であるか。
または踏み固められた道のようであるか。
石地であるか、茨はないか。
さらに、畑は私という人間性を含みます。
どのような環境に生い立ったか。
それが一生を左右しているか。その環境が克服されているか。
また魚が水の中を自由に泳ぎ、鳥が空を飛び回るように、
人生という世界を自由に生きているかどうか。
ここに、イエスは容易でない問題があることを、
自分のこととして感じているように思われます。
譬の結論は、はっきりしています。
私たちの人生という畑は、
いつも耕されなければならないということでしよう。
今年はよく耕したから、来年は休もう。
そうすると雑草はあっというまに広がってしまいます。
油断なく耕さなければなりません。
 

この譬に、一つ見逃しそうになる所があります。
それは八節「ほかの」種は良い地に落ちた、という所です。 
ほかの種は良い地に落ちて実を結んだ。
圧倒的多数の「ほかの種」はよい地に落ちた。
九九%はよい地に落ちて実を結んだ。
三〇倍、六〇倍、百倍という違いがありますが、実を結んだ。
収穫の喜びにあずかったのです。その使命を全うしたのです。
ところが、その「ほかの種」、それが気になるのです。

 イエスの話を注意して見ますと、
四節の「ある種」とは単数形ですから、一粒だけです。
それが道端に落ちて鳥に食べられた。
五節の「他の種」も単数形ですから、
一粒だけはみだして石だらけの岩地に落ちた。
7節の「他の種」も単数形、
一粒だけ間違って茨のなかに入ったのです。
イエスの目には、道端の種は一粒。
石地の種は一粒。茨の中の種は一粒。
単数形で語られています。

その一粒を見るということは、
すごい観察眼ではないでしょうか。
羊が百匹いて、そのなかの一匹が迷い出たという話があります。
一匹足りないと気づく感性。観察眼です。
そして、その一匹が失われてはならないと、
探し求める。そういう感性です。
それは柔らかな心ではないでしょうか。

自分が失われた経験をして、
探し出される喜びを知っている人にしか分からない。
そういう感性が働いていると言えないでしょうか。
十字架に棄てられて、なぜわたしをお見捨てになるのですかと叫び、
その孤独と絶望の中から栄光の座に引き上げられた、
そういう救いの喜びを知っている人が、
一匹足りないと気づく。

 この譬から、人生という畑は
日々新たに耕されなければならない。
すぐ雑草が生えると教えられます。
人間性という畑から石を取り除かねばならないと教えられます。
この教えが、きゅっと引き締まるのは、
落ちこぼれた種がそれぞれ一粒であるという点です。
その他大勢ではなく、他ならぬ私であるかもしれない。
いや、以前の私だった。このように聞くならば、どうでしょうか。
 私たちのなすべき事が自ずから、
目の前に開けてくるのではないでしょうか。
良い実りを収穫することを主は喜ばれます。
最後の収穫の喜びのために、
種をまき、まかれた種が良く育つように、
全てを傾けて邁進したいものです。

今日の祈り
恵み深い天の神 木枯らしが吹く寒い季節に入ったようです。
技術やその知識を誇るこの時代に、
極度の貧困や病気をもたらし、
近代兵器によつて、不差別攻撃をして、
悪びれるどころか居直りを続ける。
罪な世界に砕かれる思いをどこにぶつけたら良いのか、
このようにして年を越す不甲斐なさを覚えます。
何とかして、ウクライナに、またパレスチナに
平和と言える日常が生まれますように。
導きの手を示してください。
主イエスキリストのみなによつて祈ります。
アーメン

 


 
 

教会の暦では、今日は「終末主日」、次週からアドベントの4週間となります。
ここで、終末はイエスの到来(アドベント)を迎えて、
新しい時の到来を告げる。と同時に、古い生き方に別れを告げる時でもあります。

 「おびただしい群衆がそばに集まって来たので、
イエスは陸を離れ、船に乗って湖から話された。」

マルコによるとこの時、イエスが話されたのは六つほど
神の国の到来を、種まきに例え、その種は成長し、終末の時の収穫の喜びをむかえる。
こういう一連の話で、
 神の国は種まきが種をまくのに似ている。
 群衆が帰り、一二人の弟子たちだけになった時、
イエスは弟子たちだけに真意を説明しています。

群衆に語るとき、イエスは譬にして教えた。
しかし、弟子たちには「神の国の秘義を直接に教えよう。」
このように、弟子たちには直接に話された。

 

 イエスの譬によると、まかれた場所が四種類あります。
一つは道端です。それは鳥が来て食べてしまった。
二は、石だらけの所です。日が照ると焼けた。
三は、茨の中でした。のびようとしても茨が邪魔して育たなかった。
四番目、ほかの種が、耕された畑にまかれて、
三〇倍、六〇倍、百倍の実を結んだ。
人それぞれ、苦労やわざわいにあって成長が妨げられる。

神の言葉、神のロゴスそれは何時の時も変わらない。
 「草は枯れ花は散る。
しかし、主の御言葉はとこしえに変わらない。」
 預言者エレミヤはこういいました。
この言葉はヤコブ1章11節、また第1ペトロ1章24節でもでてきます。
人は皆草の花のようだ。その華やかさは草の花のようだ。
しかし、神の御言葉はとこしえに変わることがない。
この変わることのない神の御言葉が語られ、まかれた。

二、
□まかれた種の品質は同一です。
ところが、まかれた種が成長するかしないか。
育つか育ちきれないか。
収穫が多いか少ないか。それはまかれた畑で違ってくる。
すなわち、人生という畑がよく耕された畑であるか。
または踏み固められた道のようであるか。
石地であるか、茨はないか。
さらに、畑は私という人間性を含みます。
どのような環境に生い立ったか。
それが一生を左右しているか。その環境が克服されているか。
また魚が水の中を自由に泳ぎ、鳥が空を飛び回るように、
人生という世界を自由に生きているかどうか。
ここに、イエスは容易でない問題があることを、
自分のこととして感じているように思われます。
譬の結論は、はっきりしています。
私たちの人生という畑は、
いつも耕されなければならないということでしよう。
今年はよく耕したから、来年は休もう。
そうすると雑草はあっというまに広がってしまいます。
油断なく耕さなければなりません。
 

この譬に、一つ見逃しそうになる所があります。
それは八節「ほかの」種は良い地に落ちた、という所です。 
ほかの種は良い地に落ちて実を結んだ。
圧倒的多数の「ほかの種」はよい地に落ちた。
九九%はよい地に落ちて実を結んだ。
三〇倍、六〇倍、百倍という違いがありますが、実を結んだ。
収穫の喜びにあずかったのです。その使命を全うしたのです。
ところが、その「ほかの種」、それが気になるのです。

 イエスの話を注意して見ますと、
四節の「ある種」とは単数形ですから、一粒だけです。
それが道端に落ちて鳥に食べられた。
五節の「他の種」も単数形ですから、
一粒だけはみだして石だらけの岩地に落ちた。
7節の「他の種」も単数形、
一粒だけ間違って茨のなかに入ったのです。
イエスの目には、道端の種は一粒。
石地の種は一粒。茨の中の種は一粒。
単数形で語られています。

その一粒を見るということは、
すごい観察眼ではないでしょうか。
羊が百匹いて、そのなかの一匹が迷い出たという話があります。
一匹足りないと気づく感性。観察眼です。
そして、その一匹が失われてはならないと、
探し求める。そういう感性です。
それは柔らかな心ではないでしょうか。

自分が失われた経験をして、
探し出される喜びを知っている人にしか分からない。
そういう感性が働いていると言えないでしょうか。
十字架に棄てられて、なぜわたしをお見捨てになるのですかと叫び、
その孤独と絶望の中から栄光の座に引き上げられた、
そういう救いの喜びを知っている人が、
一匹足りないと気づく。

 この譬から、人生という畑は
日々新たに耕されなければならない。
すぐ雑草が生えると教えられます。
人間性という畑から石を取り除かねばならないと教えられます。
この教えが、きゅっと引き締まるのは、
落ちこぼれた種がそれぞれ一粒であるという点です。
その他大勢ではなく、他ならぬ私であるかもしれない。
いや、以前の私だった。このように聞くならば、どうでしょうか。
 私たちのなすべき事が自ずから、
目の前に開けてくるのではないでしょうか。
良い実りを収穫することを主は喜ばれます。
最後の収穫の喜びのために、
種をまき、まかれた種が良く育つように、
全てを傾けて邁進したいものです。

今日の祈り
恵み深い天の神 木枯らしが吹く寒い季節に入ったようです。
技術やその知識を誇るこの時代に、
極度の貧困や病気をもたらし、
近代兵器によつて、不差別攻撃をして、
悪びれるどころか居直りを続ける。
罪な世界に砕かれる思いをどこにぶつけたら良いのか、
このようにして年を越す不甲斐なさを覚えます。
何とかして、ウクライナに、またパレスチナに
平和と言える日常が生まれますように。
導きの手を示してください。
主イエスキリストのみなによつて祈ります。
アーメン

カンタータ2024🔼

カンタータ2024🔼

 

  🥕カンタータ2024

      🍅 カンタータ 
     2024年
    
     
     
42 22  イエスは弟子たちを集めて言われた
1107
41 147 心と口と行いと命で
1107
40 23  あなたはまことの神、ダビデの子
1105
39 29 われら神に感謝し
1101
38 27  終わりの時を誰が知る
1031
37 20  おお永遠雷のことば
1030
36 08  愛する神 私はいつ死ぬのでしょうか
1108
35 19 かくて戦いがおこり
1104
34 50 今や、我らの神の救いと力と支配は 1102
33 49 行ってあなたを慕い求める 11102
32 80 神は高きやぐら
1028
31 26 人の命はいかに儚くむなしいことか
1026
30 18 天から雪降り、雨下り
1025
29 31 天は笑い地は歓喜する
1025
28 13 ため息も涙も数えきれない
1024
27  7  われらの主キリストはヨルダン川に来たり 1024
26 10.わが心は主をあがめ
1022
25   5 どこにわたしは逃れるべきか
1021
24   3 ああ神よ多くの思い煩い
1104
23   2 ああ神よ天からみて
1027
22 200 わたしは主の御名を言い表す
1009
21 194 最高の願いを喜び祝い
1009
20 198 王妃よ、なお一条の光を  
19 197 神はわれらのよりどころ  
18 162 私は婚礼に出る今  
17 120 神よ、あなたはシオンの静けさの中で  参事会交替式 0514
 16  29 われら神に感謝し 0510
15 036 よろこび高く まいあがれ 0405
14 36a 喜び空に舞いあがれ 05
13 36b 喜びがわきあがり 0503
12 36c 喜び高く舞いあがれ 0422
11 195 ただしい人に光さし出で         結婚式カンタータ  
10 84  わたしはわが幸に満ち足りている  0330
9 007 主キリストヨルダン川に来たり  洗礼者ヨハネ記念日  0326
8 013 ため息も涙も数えきれない 0319
7 049 行ってあなたを慕いあえぐ  0308
6 009 私にきた救いは 0308
5 186  魂よ怒ることなかれ 0224
4 199 わが心 血の海を泳ぐ 0208
3 163 人はそれぞれ分に応じて 0127
2 114  ああ愛するキリスト者よ雄々しくあれ 0121
1 089 いかにすべきかエフライムを 0114

🌸🌺🌼🌝🌿🪴🎋🔥🌈🍎🍇🍅🥕🥯

本のひろば

本のひろば

 

 

 

 
          本のひろば
 

 

ようこそ本のひろばへ
必要な時、興味が湧いたとき
目を通したり読んだ本ですが、よく読んだときに
書き記したものをほり起こしてリサイクルしています。
最近は読むといえはPCや本を読むiPadで
紙の本はごく少なくなりました。
久しぶりの掲載して、気持ちを新たにしています。

 

   クララとお日さま カズオ・イシグロ
主人公AF(人工友達)のクララはもう1人のローザと、AFを販売する店のショーウィンドウで、パートナーとなる買い主を待っている。彼らは太陽光のような光を身に受けて生きている。ちょうど太陽電池で走る車に充電するように、高層ビルの谷間にさしてくる短時間の光でも身に浴びなければ生きていけない。店内のショーウインドウからみえる表通りには、すでにパートナーとなったAFと歩く人の姿が散見される。
母親と店を訪れたジヨジーは主人公クララを気に入ってくれたが、親との話がつくまで待っていてねと言って分かれたきり、現れない。その間、一緒に店に来たローザはパートナーとして引き取られていった
  モ モ」ミヒャエル・エンデ 岩波書店 2005
ある少女が町はずれにある古代遺跡を住まいにし、町の人たちと交流し、様々な不思議なことが起こる。モモは人の心を聞き取る不思議な能力をもって、癒し、安らぎを与えてくれる。会う人は皆、モモのことを好きになっていく。ところでモモは「時間泥棒」と戦いとり戻そうとしている。例えば、私たちは働いて時給1500円に上げろとか、代価によって、心満たされ、癒やされたりはしない。半分は税金に抜かれるから。疲れと空虚感漂う時間泥棒に酷い目にあっている。と言うように読める。どろぼうに抜かれた時間と人生をとりもどす基本は、話して心を明け渡し、明け渡された心を、こころにつつむことではないでしょうか。一日中道路掃除をするペツポ爺さんは、大変でしょう、つまんないでしょうと言わんばかりの人たちに、そんなことはない「一掃き、ひと掃き心を込めてやっているのだよ」と言った。そのひと掃きに自分あけ渡したり、奪われたりはしていないベツポさんと言うように、現代の問題を深く掘り下げた作品です。
     
 

わたしを離さないで カズオ・イシグロ

カズオ イシグロ ノーベル文学賞!
長崎の気象台勤務の父親の転勤でイギリスに渡り、そのまま、日本の記憶をもとに小説を書いてきたという。「わたしを 離さないで」は、人里離れた林の中の施設に集められたクローンの子どもたち。話はしんしんと進んで行く。その先に、臓器提供の順番が待っているという子どもたちのこわーい話でした。もう読みたくないと思うほど、現実の奥深いところを描いていました。2017/10/05

     
  小説「1984」 ジョージ オウエル
若者に読まれているベストスセラー、真理省につとめ、歴史改ざんを仕事にする主人公が出てくる。気分悪くなるような話だった。1949年にジョージ オウエルが書いた未来が日本で現実となっている。ナチスに倣えといった首脳も最後の時を迎えている。するりと逃げられないように、屈服させられている司法も元気に活躍してほしい。お願いしたい。2018/03/06
   1984年に生まれて 
     
     
  子宮の記憶  春秋社編集部  春秋社  19921120
アメリカのある臨床心理学者が心身に問題のある患者に催眠療法を行ううち、自分の生まれたときこのことを語る患者に出会った。心理学者はそれまで人にそうした記憶が残っているとは考えていなかったが、患者たちがあまりたびたび口にするのに興味をもった。記憶を取り戻した患者は、どうやら治癒に向かうらしかった。
     
  胎児は学ぶ  エンゲル  大修館  19931120
26週から40週にかけて胎児が成熟していくのにともない、聴覚の刺激に対して胎児が反応するのは、「胎児の中枢神経系の機能がかんせいすること」を示す。(ガグノン他、1987)。すなわち、人間の近く・感覚は、お腹の中で発育している時期に形成されるのである。・・・新生児を二人の女性の間に顔を見られないようにして置き、同時に二人の女性が話しかけると、その子は母親の方を向く。つまり、新生児は明らかに母親の声を認識している。それは生まれる前から聞きなれた声だからである。
     
  誕生の記憶  春秋社編集部  春秋社  19921120
アメリカのある臨床心理学者が心身に問題のある患者に催眠療法を行ううち、自分の生まれたときこのことを語る患者に出会った。心理学者はそれまで人にそうした記憶が残っているとは考えていなかったが、患者たちがあまりたびたび口にするのに興味をもった。記憶を取り戻した患者は、どうやら治癒に向かうらしかった。催眠下の患者たちは自分の誕生についてじつにこまごまと語った。
     
   記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記 クレア・シルヴィア著
心臓移植後におこった数々の不思議な体験。生命の奥深い神秘に迫る衝撃のノンフィクション。
原発性肺高血圧症という難病におかされ、心肺同時移植手術を受けたクレアは、
手術後、自分の中に別の誰かが存在していると感じ始めた。
     

 

六千人の命を救え 外交官 杉原千畝

「アドルフに告ぐ」の中に挿入された話、ユダヤ難民が日本にたどり着き、日本から上海を経由してアメリカ・カナダへと通過したという話はフィクションではない。一九四一年七月から翌年5月まで、約11月の間に、四六六四人のユダヤ人難民がシベリア経由で日本にやってきた。横浜、神戸の在日ユダヤ人が中心と救援活動に奔走した。とくに、中田重治を中心とした東洋宣教会ホーリネス教会の関係者はユダヤ難民を親身に世話した。

当時、外交官としてリトアニアで任務に就いていた杉原千畝(すぎはらちうね)は六千枚の通過ビザを書いたという。ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人難民のために、迫り来る危機のなか、領事館が閉鎖される直前まで、力をふりしぼってビザを書き続けた。また、リトアニアを去るときも、駅で汽車に乗ったあとからも懇願するユダヤ人のために書き続け、汽車の窓から手渡したという。そのビザはアメリカの南、メキシコ湾にある小さい島、オランダ領キュラソー島を目的地とする通過ビザであったので、「キュラソー・ビザ」と呼ばれる。キュラソー島は税関がなくビザを必要としない島である。窮余の一策を思いついて、このようなビザを発行した。杉原千畝氏は六千はビザを書いたという。このビザによって、そのなかの4664人が日本に来たということは、驚くべき奇跡である

 

     
 

 

失われた祖国 ジョイ・コガワ

はじめ「OBASAN」(おばさん)という本を出版した。一九八三年、その本は発売されるとたちまちベストセラーになり、「カナダ文学賞」「全米図書賞」を受賞した。カナダ文学賞を受賞したとき、次のように語った。「私はこの本で、私にとって、ひじょうになつかしく、忘れることのできない人びとをとりあげました。日系カナダ人です。

     
     
     

 

なぜわたしだけが苦しむのか
幼い息子が奇病にかかり十余年の命と宣告される。

理不尽と思える不幸にみまわれたラビ(ユダヤ敦の教師)が絶望の淵で問う。

神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは何か。自らの悲痛の体験をもとに旧約聖書を読み直し、学びとったことを透徹した理論と澄み切った感性で綴る。

人生の不幸を生き抜くための深い叡知と慰めに満ちた書。

     
     
  荒れ野の40年―ウァイツゼッカー大統領演説全文
1985年、ヒトラー・ドイツ降伏40周年記念に際して、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは「荒れ野の四○年」と題して演説を行い、「救いの秘密は心に刻むことにこそある」といった。心に刻むことであって、「密封することではない」。この演説はドイツが進むべき方向を世界に示したもので、日本でも岩波ブックレットほかいくつかの翻訳出版がなされ、話題となった。荒れ野の40年とは旧約聖書の出エジプトの民がその不信仰と罪のゆえに、約束の地を目前にして、40年の間荒野を放浪した。ドイツの戦後40年を出エジプトの民にたとえたもので、歴史認識の基礎を解き明かしている。
     
   人は成熟するにつれて若くなる」 ヘルマン ヘッセ
ナチスに反対して作家活動を攻撃され、スイスで過ごした。ノーベル賞を受けたが、心の病で苦しみ家庭的には幸福だったとは言えないが、今ヘッセが読まれているのは、心の苦しみを持つ人たちが、自分のことを分かってくれていると感じるからだ。人間の弱さと正直に向き合った、その生き方と文章は、今新たな光を浴びている。人はみな老いていく。夕日の暖かみのようなものが正当に評価されている。
     
  「庭仕事の愉しみ」ヘルマン ヘッセ
同じくヘッセの「庭仕事の愉しみ」。心温まるスケッチが10数点はいっている。
庭仕事は瞑想である。草花や樹木が教えてくれる生命の秘密。文豪ヘッセが庭仕事を通して学んだ「自然と人生」の叡知を詩とエッセイに綴る。自筆水彩画を多数挿入。
庭にて/九月/幼年時代の庭/青春時代の庭/外界の内界
弟に/ボーデン湖のほとりで/花のいのち/嵐のあとの花/花々にも〔ほか〕
     
  「戦争・ナチズム・教会」 河島幸夫著1993、新教出版社
「人の生活に重大な影響を及ぼす」政治学を専攻する著者は、ドイツにおけるキリスト教、とりわけ戦時下の福音主義教会が歩んだ道を考察する。 特にヒトラーが「生きるに値しない命」として、20万人の障害者の「安楽死」抹殺を進めた時、患者を預かっていた福祉施設の指導者たちはどのように迎合したか、または抵抗したか。患者抹殺に手を貸したか、患者を守り抜いたか。施設「ベーテル」の抵抗の事例を詳細に検証している。
     
 

第二の罪 ラルフ・ジョルダーノ

ヒトラーのもとで行われた、ユダヤ人虐殺と、これをひきおこしたすべてを第一の罪とすれば、「第二の罪」とは第一の罪をごまかし否定することである。ラルフ・ジョルダーノは彼の著「第二の罪」の中で右のように言っている。そして第二の罪は、今日にいたる戦後西ドイツの政治文化の本質的特徴だという。(同書9頁)ユダヤ人を母として生まれたジョルダーノは多感な少年時代をナチスの暴虐の中に耐え抜いて生きた。解放の暁にはドイツを離れようと堅く決心していたが、解放されてみると、この地に踏みとどまることになった。

 

  「死の日記」への序章   柳田邦男  新潮社 1986
自らがんによって死んでいった医師の手記を、柳田邦男が編集して生まれた「死の医学」。患者の立場から、病気を見つめ、患者中心の医療を訴える。ちょうど、エリザペス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」が発行された時代でもあり、自分の場合は死に至る人がたどる心の五段階が、順番どおりでなく入り混じるといって批判したりする。 かけがえのない人生の週末の瞬間は、病院の一室に閉じ込められ、「死」は日常化に切り離されようとしている。より深き生の充実のためにもっと「死」を思いたい命の刻む音を聴きながら自らの死をみつめ、記録して逝った精神科医西川喜作の模索のあとを辿りつつ思考する「死の医学」表紙扉より。
     
  犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
「脳が死んでも体で話しかけてくる」。
自ら命を絶った25歳の息子の脳死から腎提供に至る最後の11日を克明に綴った感動の手記。
冷たい夏の日の夕方、25歳の青年が自死を図った。意識が戻らないまま彼は脳死状態に。
生前、心を病みながらも自己犠牲に思いを馳せていた彼のため、父親は悩んだ末に臓器提供を決意する。医療や脳死問題にも造詣の深い著者が最愛の息子を喪って動揺し、苦しみ、生と死について考え抜いた11日間の感動の手記。
     
   精神病院の起源 小俣和一郎  講談社現代新書
ヒトラーに心酔したユング、ナチ党員だったハイデガー現代思想史上に輝かしい足跡を残した「知の寄与人たち」の知られざる暗部かいま明される。「アーリア人」人ユングーーーフロイトはユングのオカルト現象や宗教への興味に危険性を感じ、ユングはフロイトの性欲説一点張りの頑固さに辟易していた。 1913年、二人の対立は決定的となり、ユングはIPV会長を辞任するユングは「一種の心理的危機に落居の、第一世界大戦が終了するまでほとんど引きこもった生活を送っていた」と多くの評伝は伝えている。しかしながらまさにこの時期、永世中立国であるスイス国民のユングは、ドイツの敵国イギリス・フランス人捕虜収容所で衛生士官の軍務についていた。その時の写真には、生き生きとした表情のユングがはっきりと写し出されている。
     
  自然・人生・宗教」佐藤俊男
「昨年、1997年3月31日、佐藤牧師は半世紀にわたって奉仕された福岡社家町教会を退任された。生死を分ける戦場(中国の山奥・ニューギニャの密林)での極限状態を生きき抜き、人間と宗教の問題を根底から見直してこられた先生によって、私たちはいわゆる教会という枠内での制約から離れた自由な雰囲気の中でキリスト教の本質について学ぶことができた。
また一哲学徒としての立場を固執してこられた滝沢克己教授(主に西田幾多郎、カール・バルトの研究)が、ご夫妻で受洗されたのもこのような雰囲気のもとであった。
     
   精神の遍歴 竹下夢ニ  関谷定夫著  東洋書林 2000
大正ロマンを代表する放浪の抒情詩人画家・竹久夢二は、徹底した民衆派の美人画家として、今日、多くの人びとを魅了している。その彼が女性遍歴でいろどられた頽廃画家というそしりを受けている反面、若き日に平民社に出入りし、反権力、反戦的社会主義者としてたえず特高からつけねらわれていたという経歴の持ち主だったことも、今ではよく知られている。筆者はつい最近まで夢二についてはほとんど無知に等しかったのであるが、ふとした動機から急に、彼の波瀾にみちた人生の軌跡を追わざるをえなくなった。
     
     
     
  グスタフ・ユング (1875-1961)
スイスの心理学者。精神病理学者。コンスタンツ湖畔に牧師の子として生まれた。バーゼル大学で医学を学ぶ。一九〇六年以来フロイトと交流を深め、精神分析学会の初代会長となる。後にフロイトと別れ、分析的心理学派を作る。始めフロイトに共鳴したが、リビドーを性的なものに限定することに反対して広く心的エネルギーとみなし、性格を内向・外向の二型に分けたことは有名である。夢の解釈も過去の経験に限ることなく、未来を予告する働きを持つものとした。彼は無意識を、フロイトの個人的なものに対して元始よりの種族的な経験の集積とみなし、「集合的無意識」と名づけた。彼の深層心理学は神秘的な内容を含んで難解であるが、宗教心理学、牧会心理学にとって多くの有益な示唆を与えるものである。
     
  「人間の大地」  犬養道子   中央公論社 1983年
国連の難民高等弁務官のスタッフとして長年難民問題に取り組んできたレポートである。
「難民」とは、犬養氏によると近代的意味でパスポートを持たない、政治的・経済的理由で、母国を離れた人である。聖書の主要人物も難民であったと指摘し、クリスチャンはとくに難民問題に理解を示してほしいと訴える。確かに、アブラハムもヤコブも、ヨセフもモーセも、そしてイエス・キリストも生まれてすぐエジプト逃避という難民体験をした
     
  人生の短さについて 他二篇  文庫 セネカ, Lucius Annaeus Seneca, 茂手木 元蔵
出版社からの内容紹介セネカ(前5,4―後60年)はローマ帝政の初期というひどく剣呑な時代に生きた.事実,かつての教え子ネロ帝から謀反に加担したと疑われ,自殺を命じられるのである.良く生きれば人生は十分に長いと説く表題作,『心の平静について』『幸福な人生について』のいずれもが苦境にたちむかうストア哲学の英知に満ちている.
人生の短さについて 心の平静について 幸福な人生について
     
 

変装」 パット・ムーア

著者は、三年間アメリカの老人を経験し小説「変装」を書いた。メーキャップ・アーティストの手を借りて、二六歳の顔を八五歳の老女に見せる扮装術を身につけた。喉のたるんだ肉、目尻の皺といった特殊メイクを彼女は買いこんだ。頭には白髪のかつらをかぶった。重い矯正靴を履き、白手袋をはめ、杖をつき、特殊なクレヨンで歯を汚した。田舎のストアで買った安物の部屋着とショールをまとった。老女であると実感できるように、関節炎を効果的にみせるために指にテープを巻き、膝の裏に副木を当てて動きを制限した。その変装は完璧だった。変装してアメリカ各地の街中を歩いた彼女は、いつも無視され、粗暴に扱われ、死ぬほどたたかれた。・・・・・

     
  絶対音感」   最相葉月
「絶対音感」とは自分の中に基準音をもっていることをさす。それはドレミの「ラ」の音を覚えていて、これを基準にどんな音もいいあてる。救急車の警笛や飛行機の爆音を音階で聞いてしまうという。モーツアルトやベートーヴェンは絶対音感をもっていた。だから、小さいときからして訓練して、絶対音感を身につけるという教育が日本で行われてきた時代がある。ヤマハ音楽教室などで行われた。 ところが、そこから生じる問題は音階が分かるが、意味や情緒がかけていく。 「公文式」の算数の練習が技術的にはすばらしく熟達していくとして、その問題や意味を問わないという、問題と似ている。 絶対音(基準音)が、ドイツやアメリカなど国によって微妙に違う、その違いが気になって吐き気を催すような違和感を持ってしまうという。 絶対音感とはなにか、考えさせる。

 

なぜわたしが」 エリカ・シューハート 山城順訳

人生の危機(病、事故)にあった人が、自分の人生をどのように受け止め、克服しようとしたか。 またはできなかったか。 自らの体験を記した6千冊の書から、八つの局面を上り下りするらせん模様にあらわした危機対処理論。目次から、B6版電子書籍として読めるようにPDFにしています。iPadなどのタブレット、またPCでどうぞ。ダウンロードもできると思います。

 

 

 

 

 

 「ディアコニー」エーリッヒ・バイロイター 山城順訳

ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史をイエスの時代にさかのぼり、宗教改革を経て、これを教会の宣教課題となし、内国伝道の一環とし、戦中戦後をどのように担ったかを、敬虔主義の立場から論じた。
目次から、A5版電子書籍として読めるようにPDFにしています。iPadなどのタブレット、またPCでどうぞ。ダウンロードもできると思います。

     
  生きるに値しない命」とは誰のことか ―ナチス安楽死思想の原典を読む K.カール ビンディング , A. ホッヘ ,
                                   窓社 (2001)

本書は、ナチス安楽死政策や、優生学運動・優生思想、安楽死問題・安楽死思想の研究と思索を一歩でも前進させるために編まれたものである。封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。
第1編 テキスト(法律家の見解医師による論評)
第2編 批判的評注(それはいかにして生まれ、利用されたか―法思想史的・歴史的観点から「生きている価値」とは何か―倫理学的考察)
     
  子どもたちのホロコースト ローレル・ ホリディ、 小学館 1997
本書は、肉親と引き離された12歳から17歳の子どもたちが、ナチ占領下のチェコ、ハンガリー、ポーランド、リトアニアなどの強制収容所やゲットーなどで密かに記した日記を、編者が世界各国の資料館や図書館などから集めて編纂したものです。11人中5人の子どもたちはアウシュビィッツやポーランドの絶滅収容所で犠牲になりました。 子どもたちの日記には、ゲシュタポの絶え間ない嫌がらせに耐える毎日、生活必需品を手に入れる苦労、友だちや肉親が死の収容所に移されるのを目の当たりにする恐怖などが、生々しく率直に描かれています。
     
  アドルフに告ぐ 手塚 治虫 、文藝春秋社、1958年
アドルフと呼ばれた三人の男を描く手塚治虫のまんがである。一人は在日ドイツ領事の息子 アドルフ・カウフマン、その友人でパン屋を父に持つユダヤ人アドルフ・カミル、二人は神戸で幼なじみであった。もう一人はナチスを率いたアドルフ・ヒトラー。この三人である。ヒトラーが政権をとり、ベルリンでオリンピックが開催された頃、数枚の秘密文書が日本に渡った。ユダヤ人を絶滅しようとしているヒトラー自身にユダヤ人の血が混じっていることを証明する文書だという。ヒトラーは1889年4月20日に生まれたが、その出生証明書には税関の検査官であるアロイス・ヒトラーと三度目の夫人であるクララとの間に生まれたことが記されている。また、ヒトラーの父方の祖父はフランケン・ベルガーと名乗る金持ちのユダヤ人であった。その息子は、召し使いとして働きにきた女性との間に子供を作った。マリア・アンナ・シックルグルーバーは四二才の時に私生児アロイス・シックルグルーバーを生んだ。ヒトラーの父親がこの人である。「あなたの血のはいったアドルフに一度あいに来てやって」と書かれた手紙は、アドルフ・ヒトラーがユダヤ人の孫に当たることを証明する書類として、ナチスが隠密裏に探していたものである。
     
  夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録 (単行本)
V.E.フランクル(著, 霜山 徳爾(著 みすず書房 ,1985
ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所体験をつづった本書は、わが国でも1956年の初版以来、すでに古典として読みつがれている。著者は悪名高いアウシュビッツとその支所に収容されるが、想像も及ばぬ苛酷な環境を生き抜き、ついに解放される。家族は収容所で命を落とし、たった1人残されての生還だったという。
     
  それでも人生にイエスと言う V.E. フランクル, Viktor Emil Frankl 春秋社 1993
アウシュヴィッツ絶滅強制収容所から奇跡的に生還した著者が、解放直後の翌年に「それでも人生にイエスと言う」と話したことに私は衝撃を受けた。それが38年の年月を経て翻訳されたことも驚きであった。『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られるフランクル。第2次大戦中、ナチス強制収容所を体験をした。その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展開した。
     
  ナチスドイツと聴覚障害者断種と「安楽死」政策を検証する (単行本)
中西 喜久司 (著)文理閣 (2002/10)
ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
     
  第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺 エルンスト クレー著 松下正明訳 批評社 (1999/07)
病人の治療を使命としなければならない医者が、自らの職務として患者を殺害、それも治療の場としての精神病院でそれらが行われたという悲劇を論じる、ナチスによる安楽死問題の原典。ナチスドイツがヨーロッパを戦禍に巻きこむとともに、600万人のユダヤ人を抹殺したことは、あまねく知られているが、同時に国内の35万人を超える心身障害者に断種手術や「安楽死」を施したことは、一部の識者以外あまり知られていない。本書は本邦はじめて紹介する資料を駆使し、ナチスの蛮行を検証するとともに、反戦・平和・人権と障害者問題について訴え、ネオ・ナチズムの台頭に警鐘を鳴らす。
     
  「死ぬ瞬間」 死にゆく人々との対話
エリザベス・キューブラー・ロス 読売新聞社  1971年
死ぬ前に人間はなにを考えるか
死ぬ直前の心理は、恐怖か、迷いか、悔恨か。
死病にとりつかれた200人の絶望的人々に直接面接した「死に至る」深層心理の衝撃の記録。石、看護婦、宗教家、近親者など必読の書
     
  「人生は廻る輪のように」 E.・C・ロス 角川書店 1998年
本書は、キューブラー・ロスという たぐいまれな女性が20世紀を生きた稀有な愛とたたかいの記録である。すなわち、臓器移植、遺伝子治療、肉体の再生をもくるむ死体や脳の冷凍保存など、ひたすら「神への挑戦」に邁進する「人間の傲慢と愚劣の極み」とたたかいつづけた闘士の記録であり、侵略戦争、ナチズム、偏見、差別による犠牲者に身を挺して援助の子をミしのべた国際的ボランティアの記録であり、超一流の精神科医の臨床記録であり、科学技術と物質文明の時代から溝性の時代への移行期に生ミた科学者の観察記録であり、神秘家の修行の記録である。
     
  戦争と罪責   野田正彰 岩波書店 (1998/08)
著者からの内容紹介
戦争の時代,そして戦後を通じて,日本人は「悲しむ力」を失い続けてきた.自己の行為に直面し,責任を感じる能力を取り戻すには,どうしたらいいのか.『喪の途上にて』で鋭い社会分析を行った精神医学者が,中国で残虐行為を行った旧兵士への徹底した聞き取りを通じて解明する,われわれの心の中の,欠落と抑圧の問題
     
 

平和学入門 ガルトゥンク

ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」を提起してから、平和学の対象領域は広がり、貧困や開発、ジェンダーといった日常生活に関わるテーマも含むようになった。[35]
わが国で平和学講座を開講している大学は国立26大学、私立58大学を数えている。平和記念館また資料館は全国49カ所に所在している。ノーベル平和賞受賞者は74人を数える。平和学はその取り組む課題と方法において、広く認知されてきている。

     
     

 

ミニチャペルの履歴

ミニチャペルの履歴

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  ミニチャペルの履歴    №  タイトル  日 付  視聴回数

9.PCが古くなってWindos11付中古のHueletpaccardを購入

8.新規ホームページができたので、他の二つを廃棄しようとおもったが、三つのサイトそれぞれに特徴があり、残して相互に活用することにした。
a.新ワードプレスを「minichap.com」(ミニチャップ・コム)として
 チャペルアワーを構成している。

b.ワードプレスお試しβ版を「blog 草の花」として残した。
c.旧FC.com「minichapel」 homopqgebuilderでつくった。        20240300

7.旧β版「ワードプレス」(Cocoon)を入れて再利用、ブログ用に使う。20230725

6.ホームページを新規「ワードプレス」(Twentyseventeen)に取り組み

20220805~20230605完成

5.福岡市南区大橋に転居、翌2019年1月より「わたしたちのミニチャペル」として再生。 スケッチ、カンタータ集、ホームページ更新 横巾750pxに拡大 -27.665

 20220602 

4.スマートフォン対応を考慮してリニューアル       27.665   27.665   

   20220204              

3.新規ドメイン minichapel.jp  1Gから10GにUP 容量を拡大 -20.161

  20211008 

2.アクセス  更新11.000アクセス。ーーーーーーーーーーーーーーー20200420
    大学に勤務した時代、アクセス回数 5554 回で休眠した。—–20200624      

1.春日東教会時代「ミニチャペルパルーシア」開設1980年代9.000回-   20200104

   
おはようバッハ 1-2

おはようバッハ 1-2

 

おはようバッハ 1-2 おはようバッハ 1-2「わたしは今や80歳」 

旧約聖書のダビデの物語に、先代のサウル王の後継争いに巻き込まれたダビデが、

国境周辺を逃げ回っていたことがあります。

追跡する者がいれば、タビデを親身になって助けてくれた人もいました。
 やがて追求していたアブサロムが死に、ダビデはエルサレムに戻って王の地位を確立し、新時代を迎えた。 その時に、お世話になったバルジライに、エルサレムで一緒に暮らそう。こう言います。ところが、彼は「わたしは今や80歳、父と母の墓のあるこの的で死にたいのです。息子を連れて行ってください。」と丁寧に断った。この箇所をひいて、この曲を作りました。ここにもう一つのバッハとミユルハウゼン教会の事情がありました。  この曲は、バッハは1757月5月28日ミユルハウゼン市の聖ブラジス教会への正式な任命を受けた。 ところがその3日後にミユルハウゼン市の大火があり、400軒が火災に遭い、三つある教会の二つが炎上した。市長舎のモルタル塗りの屋根から出火したものだった。
 結婚したばかりのバッハは荷馬車を借りて引っ越してきました。 この混乱の中で、市の参事会議員たちは市の復興に尽くしたのでしょう。ミユルハウゼンは神聖ローマ帝国の直轄市で、6人の市長と高齢者と若者の46人が選ばれて一年任期で交代する。その交替式がバッハの初仕事になった。 大災害からの復興は至難の業でした。それに、若いバッハにとって、参事会議員の支持を受けることは、どこに行っても不可欠なことだったという事情も見えてきます。 本曲は、大きな感動が共有された。 その証に参事会は本曲の楽譜を200冊印刷して、関係者に配布され、現存する一曲です。
https://youtu.be/cADC61Oj_-o?si=DdQCRaEQkcAnSLKF
おはようバツハ-1

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バッハの歌詞について 小島芙美子 東京藝術大学論文

バッハの歌詞について 小島芙美子 東京藝術大学論文

バッハの歌詞作者 論文より  

 

バッハの歌詞作者 

                                 

小島芙美子 東京藝術大学 古楽研究科(バロック声楽)博士論文     J.S.バッハの
カンタータBWV51とBWV199における   技工的・劇的表現を巡って ー当時の女
性ソプラノ歌手の活躍の観点からー抜粋

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ソロ・カンタータ ソプラノ. ソロ5曲 BWV199,52,82,84,51
199は、ワイマール、ケーテン,ライプツィヒで計4回再演された。
BWV82は1727年来6回の再演が行われている。

ソロ・カンタータ・アルト 5曲 BWV35 54 82 169 170

ソロ・カンタータ・テノール 1曲のみ BWV55

ソロ・カンタータ・バス BWV56 82

ワイマール時代(1708-1717) 毎週のカンタータ作成は, 福音書と使徒書簡の聖句
に添った台本を手元に準備することから始めた。
歌詞作者が確認できるのは

BWV199 Gottesfaliges Kirchen-opffer  (1717)

BWV84の歌詞はピカンダー Christian Friedrich HenriciPicander (1700-1764)

「1年分の日曜・祝日のためのカンタータ集」上記BWV199,52,84,51は、

16世紀、17世紀に作られたコラール歌詞が含まれている。 (1728)

レームスの詩 10曲 BWV13,16,32,35,54,110,151,170,199,57 。

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※約200曲のカンタータを理解しようとする時、各日曜日に割り当てられた聖

句が表している、クリスマスの喜び、イエスの十字架によって想起される人の罪

と苦悩、復活の喜びと新生の希望など教会暦による区分が基本になっている。

 さらに、トマス教会での27年間礼拝説教の前・後に割り当てられた20~30分の

時間内で、歌詞の繰り返し、またフーガや、ダ・カーポによる時間の調整法はバ

ッハの音楽上の発展、作曲上の転機となったと言える。

わたしのささやかなカンタータ和訳による再現は、ただ日本語に転記するのでは

なく、教会暦に区分された聖書のことばの再現であり、バッハのカンタータで

は、歌詞作者とのコラボ、事情によってはトマスコアの合唱がなく、

ソプラノ、アルト、テノール、バスが合唱に変わるソロを歌っている.

というように、

ブログではできる限り区分して表現しようと思っています。