音楽との出会い

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音楽との出会い

 

            目次
1.音楽との出会い
     1.鎮西学院コーラス部    2.関西学院グリークラブ  3. 「ドイツミサ」
     4.神戸栄光教会聖歌隊    5.1969年 春日東教会       6.福岡市南区大橋
            2.楽譜支援 musescore

             3.CeVIO (音声創生)

             4.バッハとai と私


 

1.音楽との出会い

1961年の春、鎮西学院の2年B組に転校生としてのスタートを切った。

父が日本キリスト教団の宣教師として沖縄に派遣されることになったので、

兄がお世話になった鎮西に転校ということになった。

飯塚市から布団と着物をチッキで送り、360円の切符を手に汽車に乗った。

兄がコーラス部の後輩に、弟をよろしくと頼んでいたようで、3年になる先輩が色々と声をかけてくれて、自動的にコーラス部に入った。

発声練習のコールユーブンゲンで声慣らしをし、詩篇98「新しき歌もて」と

「進めわが同胞よ」のニ曲を練習して、長崎の平和記念公園にある会館での

コンクールに参加した。大村湾沿いを走る列車の最後尾に乗って、

山側の黄金色のみかんばたけの中を長崎に行った。

私の音楽体験の一歩だった。

 新しき歌もて minichapel  進めわが同胞よ minichapel
   

 

 

2.関西学院グリークラブ

校内にある神学部成全寮に入つた。

入学式の歓迎演奏で、高校で覚えた「進めわが同胞よ(ウボイ)」が歌われて、

感動した。戦時中、チェコの軍艦が神戸で修理をしていたとき、

兵士たちと関学グリーの交歓会が催され、チェコの兵士たちが歌った

その曲は、以来、関学の大事な持ち歌となった。国難から国を救う戦いの

歌でチェコの歌と思われてきたが、後で、クロアチアの愛国歌だとわかった。

YouTubeでクロアチアの人たちが熱烈な思いで歌っているのを見ることができる。

  進めわが同胞よ
 

 

関西学院グリー

 

 

 本場クロアチアの合唱 


3. 「ドイツミサ」

さて、寮の新入生歓迎会は庭に畑をつくり芋を植え付ける作業をした。

その時、窓際のラジオから聞こえるすばらしい少年の合唱に釘づけなった。

「これなんの歌ですか?」と聞くと木田さんがシューベルトの「ドイツミサ」

と答えてくれた。都会には賢い人がいるもんだと思った。ドイツ・ドレスデン

の聖十字架少年合唱団だった。お金を貯めて大阪日本橋の電気店街で小さな

コンポを買い、また神戸三宮で、このレコードを買って何度も聞いた。

 ドイツミサ  
 ドイツミサ スイスブラスアンサンブル

 

 


楽譜は讃美歌二篇にあり田中彰寛訳で載っている。田中先生は文学部教授で、

独書講読で神学生に教えるのが楽しみな、後で知ったのだが、父親が神学部

の一回目の卒業生で牧師となり、先生は東大を出て関学の教師となった人で、

神学部をこよなく愛していた。また、先生はアルバート・シユヴァヴィッアー

の「原生林のはざまで」をテキストにドイツ語講読を教えていただいた。

シユヴァヴィッアー熱烈なファンで、アフリカのランバレネまで行かれたんだ

といううわさも聞いた。その「ドイツミサ」はレコードが擦り切れるほど聞いて

私の好きな歌になった。

 

4.神戸栄光教会聖歌隊

大学院最終年度は、派遣神学生の行き先を神戸栄光教会に志願した。

宮崎明治牧師は戦後鎮西学院宗教主事であった。その後、神戸栄光教会牧師

となられた。先生は忙しそうで一度だけ、神学生を牧師館に招いて食事する時

があった。私の仕事は教会学校の高等科の担当で、土曜日の週報箱に600

ばかりの通信物を入れる仕事で、終わると三宮に繰り出してミンミンの餃子を

食べるのが定番だった。水曜は祈祷会。聖歌隊の練習はいつだったか忘れたが、

バッハの「クリスマスオラトリオ」の第一曲合唱の練習が始まり、

指揮者の清水さんが日本語訳をカタカナで音符の下に書いて、「いざ歌え」

と歌った。まだ楽器の準備はなく、電気オルガンの伴奏だった。

この年は春から大学の建物を封鎖した大学闘争が最高潮の時期だった。

学生自治会が主催したもので、院生は卒業した身であったが、

クラス会で二週間、寮の集会室で対応を議論した。それぞれに任地が決まっていることもあって、クラス会の結論は出さないことにして、解散した。
それから、私は学生会のバリケードの中に入れてもらって、

寮から通い始めた。10時30分にチャペルで詩篇を読んで祈祷会をした。

祭壇でなく、立って集まれる後ろの空間に十字架を移動して。続けた。

自治会室は社会学部など他学部の学生も出入りして、セクトの活動をして

いる学生には、どんな運動理論なのかと尋ねて、勉強になった。

被害者意識に立つよりも、毛沢東のわれらは資本主義に勝利しているという

積極理論の方が、魅力的だった。

春の入試はなく、警察が入って、バリケードが解放された時、

ブレイ宣教師が「暴力学生が、十字架を祭壇から引き摺り下ろしている」

といっていたということを耳にした。わたしにはアルバイトもあって、

あの時の記憶は混乱と不安いっぱいだった。そこをどうして福岡の

春日東教会に赴任したのか、説明することは難しい。

  トマス教会合唱団 マタイ受難曲

 

 

5.1969年 春日東教会

春日市(当時、筑紫郡春日町小倉字地蔵子) 現春日東教会に信徒伝道師として

着任した。
現在、温暖化対策が急がれているが50年前はとても寒かった。

なんだか鼻の具合が悪く、教会の表医師の紹介で春日原の末永耳鼻科に

入院して,イカの骨のような鼻茸(鼻たけ)を鼻の穴からピンセットで引っ掛けて

取り出す手術をした。次々に取り出され、12枚になった。びっくりしたが、

その後空気が通って、ありがたかった。

しかし、鼻の状態はずっと蓄膿状態で、評判を聞いては耳鼻科で診て

もらったがなんでもないと言われた。しかし、依然として蓄膿状態に苦しみ、

とても歌を歌える状態ではなかった。40代の中頃、春日原の女医さんの

ところで、レントゲンをとると白い影があって、次の診察のとき、

九州中央病院の先生を紹介していただいた。MRIで見るとうずらの卵の黄身

の大きさのポリープが見られた。手術をお願いした。上顎洞篩骨洞という

ところ。部分麻酔が切れてとても痛かったが、緩やかに何年もかかって

回復していった。

こういうことがあったあと、福岡バッハコレギウムに入れてもらって10年、歌いながらバッハに触れることができた。年に2回の演奏会のために、カンタータを2曲練習する。ゆったり感が良かった。金曜18時30分からの練習のために、日曜日の礼拝の準備を全て終わらせる習慣を身につけた。
楽譜を見てその音を出せないので、鎌田さんにお願いして、カセットテープにバスパートをピアノで弾いて録音してもらい、車を運転するときに聞きながら覚えた。
その初期に出会った曲がBWW6番「泊まりませ、うちに」。エマオの2弟子に伴い歩く、復活のイエスを歌う曲で、夕日がだんだん沈んでいく、下降音型が印象的な曲です。それから10年間、カンタータ20曲あまりを練習した。一音をながーく歌うメリスマはなんとかできるが、どうしてもできない箇所が1~2箇所はあって、というのがバッハの魅力だと思う。追いかけ合うフーガの流れに入っていく、最初のタイミングなど。そばで上手く歌える人に感心していた。指揮者の武田又彦先生は、自転車で10分くらいの春日原に住んでいて、彼の演奏会の後、たびたびチェンバロ運びを手伝っていた、チェンバロはエレベーターの寸法に合わせて作られていた。風呂に入ってくつろいでいると電話がかかって手伝っていた。こういうふうに音楽に触れていた。

  復活祭カンタータ  BWV6 泊まりませ

 

50才になって、子供の学齢期が終わり、65才の定年まで、わたしの母校鎮西学院の宗教主事になった。その後、定年後のわりかしフリーな年に、一年かぎりの聖歌隊を計画し、教授会で発表した。するとコミュニティサービスという授業にしたらという助言を得て、3月の入学者の面接の時に大学で何がしたいですか?と聞いて、三人ばかりスカウトし、学生3人、中国人留学生3人、フィリピン人1人、社会人学生3人、12人ばかり、コミュニティサービスの単位登録をし、諫早市民2人、教職員数人でスタートした。金曜日4限、4時30分から6時と、水曜の昼休みに練習した。一人くらいピアノ弾ける人がいるかもと思っていたら、いなかったので、あわてて、PCのピアノ音ソフトをさがし、クレッシェンドを使った。四つの声部をmp3 でつくり、メールで送り、自己練習を基本とした。集まって、四つのパートをそれぞれ歌い。ソプラノとアルトを合わせて、というように、最後に全体を合わせる。ここまでで90分たっぷりかかり、ひと月4回練習すると、結構満足な合唱になった。チャペルの時間に一曲歌った。

最後にクリスマスに出演し、わたしの高校時代に出会った「新しき歌もて」詩篇98と「進めわが同胞よ(ウボイ)」を合唱できた。Youtubeにこの時の合唱を載せている。新しき歌もて900回、進めわが同胞よ1322回視聴があり、楽譜はどちらも男声合唱曲集1に収められている。

これで音楽な人たちの中の私について、音楽と私の関わりについて記した。
なお、私の未来についてももう少し展望をのべておきたい。

 

6. 福岡市南区大橋

さて、定年後2年を諫早で過ごしたが、福岡からくる子供たちが忙しい年齢になって、近くに住んで欲しいという事で、大家不動産の指導のもと、引っ越しの段取りと注意点を聞いて、家を売って、そのお金を賃貸の資金にと考え、福岡の家探しをはじめた。なかなか難しく、毎日iPadで家を探し、UR公団の空家も毎日見て、南区の大橋の団地が4階建てを平地にして、そこに14階建ての3棟、600戸ばかりのアーベインルネス(都市再生)に立て替えた、その2号棟を見学した。思ったより、西鉄の駅に近く、車はやめて、那珂川沿いに建つここに引っ越してきた。2DKと極端に狭いので、本や趣味的なものは、廃棄する仕事の人に頼んで、やってきた。ベットが二つ入る部屋の足元の2畳たらずの空間に、アングルを立てPCをおき、机を置いて、仕事場を作り、これまで殆ど活用していなかったデロンギのオイルヒーターを置いて、冬もなんとか快適に、江戸の職人のように、この空間をわが世界としてスタートし、5年になった。
これからさらに進むためには、仕事のプラットホームをしっかり作らなければと思った。webの作業に時間と労力を使いたくたいが、この際、サイトを根本から組み立て直し、いくつかのテキストファイルを流し込めば、きれいに成形されて出来上がる仕組みを作った。3月から3ヶ月もかかった。
これから、さらにバッハのカンタータ残り150曲、歌詞を日本語にする、時間と力を注いで、aiの助けによって、新しいバッハの音楽を表現していこうと胸を膨らませている。

 そして、バッハが教会暦を拠り所に、毎日曜日の礼拝のために骨身を削ったように、私はバッハの作品に共鳴して日曜礼拝webを通して数人の人たちとの交流を励みにしています。

これで音楽な人たちの一人、わたしの新しいスタートを祝したいと思います。皆さん期待と声援のほどをよろしくお願いいたします。
最後に、今一番いい曲はこれです。

150 主を慕い仰ぐ 詩編25
 
 

2.musescore3  

ミューズスコア

 楽譜支援ソフト
ピアノの代わり

 

  聖歌隊を作り練習を始めようとした時、練習ピアノを弾く人がいなかったので、簡単な無料のピアノソフトを探した。「クレッシェンド」を選んだ。音が良かったから。 4声部の各音部の音を録音し携帯電話に送って、各自パート練習をして、練習の90分で合わせていく。その頃、ヤマハかカワイの楽譜作成ソフトが8万円くらいで、とても買えなかった。買っても、バージョンアップで買い替えなければならなくなる日本の事情があった。とにかく、無料を探した。

数年経って、ミューズスコア(musescore )に出会った。

ベルギーに事務局がある。有志がネットワークの世界で集まり作り上げたもので、日進月歩を重ねて、現在第3版。音声フォントにバロックミュージックフォントが出揃った。
 これで、バッハの曲は当時の楽器音で表現できるようになって、流れが変わった。全てaiが力を発揮し、しかも、自己進化をしている。前に聞いた音が後で聞くとより良くなっているように感じている。と言ってもaiが活躍するように下準備をしなければならない。

 

 

3.CeVIO チェビオ

音声創成 Cevio キャラクター

 

さとうささら
ソプラノ
ONE (おね)
アルト
三波春夫
テノール
赤咲 湊
バス
 


世界で初めてかもしれない。最近英語音声版が出た。

人の声をベースに余計なビブラートを取り除いているように感じている。はじめはか細いようにも感じられるが、慣れるといいかもしれない。わたしは合唱の基本4声の声を買って、一年くらいでなれて数年かかったが、合唱は各声に個性があって豊かな一つの音声になるので個性的が良い。ソプラノのさとうささらはアニメソング風で、アルトのオネ(ONE)はちょっと湿気の多い日本に特徴の鼻声っぽい、ハルオロイドは美波春男の声をもとにして、あのビブラートとコブシに特徴の声を、随分お世話になったという専属のテイチク社員が記念に、作り無料配布したものをゲットした。今は、バッハのテノール、またアリアをかなり学習してくれて歌っている。最後にバス声部は赤咲 湊、地味な役ですが、通奏低音のように縁の下の力持ち役を発揮している。
これらの声を総合するプラットフォームがチエビオ(CeViO)です。
名古屋工業大学の特任教授を核にして、いろんな実験をしている仲間たちが寄ってたかって仕上げている。元気と希望に満ちた分野のようです。

 

4.   ai (人工知能)とバッハと私

 

aiとバッハ と私
先に、トマナコア(トマス教会少年合唱団)に新監督ライゼ氏が就任して、

webサイトをうまく活用していると書いたが、トマナコアの800年の歴史のそれぞれの短い文章はよかった。他は主に次の演奏会案内、チケットの取り方、教会近辺の地域の店の物品なども扱っているような、コマーシャル色が前面に出ているように思う。これまで、少年たちの生活がYoutubeで紹介されていたが、どちらかというとウィーン少年合唱団の方向に近いように見える。ウィーンは国際交流的だが、団員をアフリカやアジアからも受け入れているが、トマナコアにもアジア系または女性も?入れているように見えた。間違いかもしれないが。そして、エンターテインメント性も出しているようだ。いずれにしても、webを通じて活動の輪は広がっている。それにコロナ禍はまだ治ってはいないから。https://www.thomanerchor.de/  

さて、バッハの作品を扱うのに、もうai抜きには先に進めないのではないかと思う。歌えない、楽器ができないわたしは、PCでバッハの楽譜を開くともうその段階から終わりまで、全てaiの助けを受けている。1.musescoreで楽譜を開く時、楽譜の点検がなされ、○小節の何番目の段で4分の4拍かが4分の3になっていると、ずらっと出てくることがある。ほかに正確な譜面がないかを探す。こういうチェックを瞬時に出すのはaiの働きである。
また、ソプラノ、アルト、テノール、バスの音声、オーケストラの40以上の楽器音を指定して音量をバランスよく決めると一瞬にして素晴らしい音が出てくる。それを一本のwavファイルにつくる。
2,次に、ソプラノ、アルト、テノール、バスそれぞれのキャラクターを設定し、歌詞を読み込ませて、合唱音声をつくる。これはCeViO aiのものすごい量の計算がクラウド空間で瞬時になされて、返ってくる。CeViOは日本語の歌声を作る。名古屋工業大学特任教授を中心に始まり、今は同大学学内企業テクノスピーチなどが中核となって交流がふくらみ、日進月歩している。https://cevio.jp/  

そして一本のwav歌声ファイルができる。

3.オーケストラ音と合唱音のwavファイルを

audacity(オーダシティ,ドイツ産)で音量、音色、テンポ、を編集する。

こうして目的の合唱が出来上がる。

4,並行して、歌詞を確定し、初演日、その日の教会暦聖書、特筆事項などの解説A4一頁に収まるように書いて、pdfかhtmlで読めるようにつくる。

5,Youtubeの規格で一曲ごとの歌詞カードを準備する。

歌詞カードとmp3 の楽曲ファイルを合わせて出来上がる。

6, 最後にmp4 をYoutubeに設定したわたしのチャンネルに投稿する。その時、複数曲をひとまとめにし、「再生リスト(play list)」を登録し、この再生リストのアドレスを、webとFacebookで見ていただけるように張り付けて紹介する。
バッハの場合、全曲のID番号はBWV(バッハ 作品 番号)であらわされる。ユーチューブに登録された番号をwebやFacebookに記入すると、その記号を通して音楽を視聴できる。登録だけでは視聴してもらえないので、最低限の宣伝も必要となる。