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「福音書記者マルコは、その500年前の預言者イザヤの言葉を引用し、
イエスに実現した、「福音」の始まりを記した。
イエス・キリストが語った福音は、
イザヤが預言した言葉の成就であると。
そして、イエス・キリストの福音は、
過去の「囚われ」からの「解放」の福音である。
こう前置きしてマルコ福音書を始めます。
一、
預言者によつて約束されたイエスの誕生
幼子として生まれたイエスの生涯の中に
予言は成就した。
だから、荒れ野に道を「備えよ」。
神の時、救いの時が来る。待ち望んだ
囚われからの解放の時が来る。
あなたがたは荒れ野に道を備えよ。
預言者は、私たちの心を、
「神が」なさることがらに向けさせます。
ここで、
自分が出来るか出来ないかで測られる価値観は捨てられる。
その人は共に働かれる神を、見ているか、見ていないか
神がなされる御業を見ようとはしない。
その盲目を捨てて、心の目で見よう。
こう言っています。
□ドイツにブルームハルト牧師(1805-1880年)の
足跡を訪ねたことがあります。 ※心の旅
いわゆるブルームハルトが経験した、彼の教会員の1人、
ゴツトリービン・デイトスの心の病と
その癒しをめぐる旅でした。
「評伝 ブルームハルト父・子」井上良雄著を読んで、
私なりの理解を述べたいと思います。
今も人口800人ほどの小さい村メットリンゲンは、1800年代の当時600人ほどでした。
村の中心に、窓が小さなローマ風の石造りの60人くらい座れる教会があります。
11世紀に建てられたものです。
その小さな教会に心の病に苦しむゴットリービン デイトスという女性がいました。
神の憐れみという名前を持っているのに
彼女を責め立てる悪霊としか言いようのない、
住んでる家が地震のように揺れるとか、恐ろしく責め立てる悪魔の声とか、
怪奇現象の渦中で、攻め立てられていると訴える。
若いブルームハルト牧師は役員会で話し、様子見をし、
オカルト現象が起きていると聞くと、役員とともに見聞きしたことを記録していました。
クリスマスが近くなったその日、
ブルームハルトは、デイトスの家で、
苦しみを訴える言葉を聞いて
憤怒に駆られてこういった。
「我々はこれまで悪魔のする事を見てきた。
これからは神様がなさることを見よう。
そしてイエスの御名によって祈っては来なかった。
「イエスの名によって祈ろう」。
そして祈ると、ディトスを苦しめていた悪霊は音を立てて去っていった。
「これまでは、悪魔の言いなりだったが、これからは神がなさることを見よう」。
この一言から、
ゴツトリービンを苦しめた心に、神の慈愛が満ちるようになり。
徐々に回復していった。
イエスに癒されたマグダラのマリアが、その後十字架に死んだイエスを埋葬するまで、
影になってイエスに添っていったように、
ゴツトリービンデイトスはブルームハルトの影となり、牧師の働きを助け、
子どもたちを集めて、当地に初めてとなる教会幼稚園を始めた。
額縁のなかのゴツトリービン・デイトスをじーっと見ていると、
その表情には心の傷跡が深く刻まれて
トラウマというより、深い傷(スティグマ)が消えないまま、
神の憐れみを生きたことがわかりました。
この一件を機に、ブルームハルトに癒しの祈りを求める人たちが集まり始め
大変なことになります。
「主の名によって祈り、神がなさることを見ようではないか」というブルームハルトの信仰は
神学者となったカール.バルトに影響を与え、
ヒトラーに抵抗した弁証法神学の基礎をなしたと言われます。
祈りの中に啓示される神のみわざの中に神の慈愛は溢れる。
クリスマスのイエスの生まれの中に、イエスを通して示され、
語り継がれてきた神のみわざを見るものです。
新年を迎えて、自分の世界に閉じこもるのでなく、
神のみ業に照らして、世界のゆく道を備えて行きたいと思います。
今日の祈り
恵み深い天の神 新年を迎え、ウクライナ戦争の終わりと、
復興のプログラムが漏らされるようになりました。
世界の均衡は大きく変わっていくことでしょう。
新しい皮袋に、古いものは捨てて、新しい精神と愛が満ちるように、
主の御名によって祈をささげます。アーメン
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