43 神は歓喜のなかを天に昇り

 

BWV43 神は歓喜のなかを天に昇り

昇天祭カンタータ

1726年5月30日初演
マルコ16:14-20 伝道と洗礼の命 昇天
使徒1:1-11イエスの昇天
歌詞の形式は旧約から新約聖書の聖句を冒頭に、そののちに自由詩を続けている。前半は詩編47:6-7のあとに朗唱とアリアが続き、
後半でマルコ16:19からの引用の後、6節からなる自由詩がおかれている。
内容的には、伝統的なキリストの昇天の句に、イエスの勝利を祝す自由詩が続き、そののちに神の御業の完成とサタンの克服が賞賛される

第一部——

1.合唱
神は歓喜の中を昇り
主は角笛の音の中を昇られた。
ほめ歌え、神をほめよ。
ほめ歌え、われらの王を。

2.朗唱 テノール
神自ら凱旋行進を率い
捕虜をつれて進み行く。
神に向かい角笛をふく者は
列に加わる者は
神の万軍 御名の誉まれは
救い、賛美、御国、力を
高らかに歌う。
とこしえにハレルヤ

3.アリア テノール
幾千人、幾万人が従い
王の王を賛美し、歌う。
歌ってこう言う。
地も天も足もとにひれ伏し
主が征服したものは服従する。

4.朗唱 ソプラノ
こうして、主は弟子たちに話した後、
天に挙げられ、
神の右に座られた。

5.アリア ソプラノ
わがエスは救い主の務めを果たして、
今にも、遣わした神を目ざして帰路につかれる。
地も天も、ひれ伏せ
地も天よ、門を開けよ
イエスを迎えよ。

第2部

6.朗唱 バス
勇士の中の勇士
サタンが恐れる方
死に打ち勝ち、
罪の汚れを消す
敵を追い散らし
汝が力よ急ぎ来たれ
勝利を高く上げよ。

7.アリア バス
彼はただ一人
酒舟をふまれた。
痛み、苦しみ、悩みを受けたのは
失われた者を救うため
高い代価を払われた
王たちよ主に花輪をささげよ

8.朗唱 アルト
父は御子に永遠の御国を定められた。
数々の困難を経て
御子は王冠を受けた。
私はそのそばで、
その御跡を喜ばしく見守る。

9.アリア アルト
わたしはすでに霊によって見る。
霊によってイエスは神の右に座し、敵を砕く。
私は霊によって見る。
イエスは神の右に座し、敵を砕き
その僕らを助ける。
悲惨と苦難、恥から
彼の僕を助ける。
私はここに立ち、主の御跡を見守る。

10.朗唱 ソプラノ
主は私のそばに住まいを建て、
私は永遠に主と共に住む。
嘆き、悲しみは去る。
主のみ跡を、感謝し、見送る。

11.コラール
命の君、主イエスキリスト
あなたは父がいます天に挙げられた。
そこに信徒の集いあり、
主は厳しい戦いをいかにして勝利したか
主にふさわしい賛美をささげん。
信仰の翼を与えて
(わたしを)あなたの御もとに引き上げ
イスラエルの丘へ我らを逃れさせ
わが神よ
いつの日かわたしも一緒に行って
永遠の喜びを受け御顔を仰がん。

198 侯妃よ、なお一条の光を

5月25日  「侯妃よ、なお一条の光を」BWV198

1727年10月17日,ザクセン選帝侯妃アウグストの妻
クリスティアーネの追悼礼拝が
ライプツィヒ大学教会で行われた。

夫のアウグスト2世は別名、強権王とも言われ、
ポーランドを奪取して、自らはカトリックに改宗した。
そうしないと、カトリックの国と国民を治めることは
政治的立場をより良くしたいという思いでの
宗旨替えあることは明らかだった。

クリスティアーネは離別し、エルベ川沿い
プレッシュ城で孤独な生涯を終わった。
かつて、マルチン・ルターの宗教改革で
大半が福音主義信仰になった領民は、
アウグスト2世の宗旨変えに不安になり、動揺した。
それゆえ、福音主義信仰を貫いたクリスティーネに心底、
心動かされ、愛と勇気をあたえられた。

1727年9月5日に逝去すると、ライプツィヒ大学フォン・キルヒバッハの発案で
大学の聖パウロ教会で追悼式典が行われることになった。
キルヒバッハは追悼演説を自ら担当し、
その前後に演奏されるカンタータの作詞を詩学の教授JCゴットシートに、
作曲をバッハに依頼した。
バッハは作曲を10月15日に完了し、2日後に追悼式典は盛大におこなわれた。
こうして、本曲の歌詞に表されているように、

「侯妃よ、なお一条の光をサレムの星から照らしたまえ」と
四人のソリストの合唱によって始まり、
クリスティアーネの評判が広がった地域に、
「気落ちしたマイセン(第2曲)」とある。
日本の陶磁器がドイツ・マイセンに伝わり、ヨーロッパに広がっていた。
その江戸時代(8代将軍吉宗・享保)といえば、身近に思えるでしょうか。
彼の地の生産と交易は国土を豊かにしていた。
では、歌詞によって導かれましょう

第一部
1.合唱
王妃よ、なお一条の光を
サレムの星から放ちたまえ。
見よ、どんなに涙して
あなたの記念碑を囲んだことか。

2.朗唱 ソプラノ
汝がザクセン、気落ちしたマイセン
汝が葬られた墓石
炉に涙し、口は叫ぶ
わが痛み限りなし
アウグスト公、王子、市民は
悲嘆し、貴族は嘆く
知らせを聞いたその時、
市民は哀悼し、黙す。

3.アリア ソプラノ
静まれ、妙なる琴の音よ
母の死に際して表すことばなく
おお尽くしがたいつらい言葉よ
無言の、国の母を亡くし
悲しみの言葉を無くし
おお悲しみを表しえない。

4.朗唱 アルト
鳴り響く鐘の音は
悩みに沈む心の
恐れを呼び覚まし
血管を通り
おお、響いてやまない
恐れのさけびは
ヨーロッパのひとに
われらの悲惨をつたえる。

5.アリア アルト
なんとわれらのヒロインが
みちたりて死なれたのです。
いかに彼女は勇ましく戦ったか。
かくて死の腕は彼女の胸を負かしえなかった。

6.朗唱 テノール
その生涯は修練の道
時来たり死を前に
恐れず。
動じなかったことが証している。
偉大な、自然を超え
墓穴にもおびえない
偉大な精神は幸いである。

7.合唱
あなたこそ 高貴な女性の鏡
あなたこそ 気高い王妃
あなたこそ、信仰の守護者
寛大な魂の見本と仰がれる。

第二部
8.アリア テノール
永遠のサファイアの家
王妃よ陽気な視線は
われらの低さを離れ
この世の姿を消す。
百の太陽の輝きはわれらの昼を暗くし
百もの太陽の輝きに
あなたの聡明な頭は囲まれる。
百の太陽の輝きはわれらの昼を真夜中のように暗くする。
あなたの聡明な頭は栄光に輝く。

9.朗唱とアリオーソ バス
なんとふさわしいすべての王妃の鏡
あなたが勝ち得た栄光の冠
小羊の御座で身に着けるものは
虚栄の緋色(の衣)でなく
真珠のように清い無垢の衣。
それは生前の王冠をあざ笑う
ヴァイセルの豊かな川の流れ、
ニースターとヴァルデの潤い
エルベとムルデの河口に至るまで
町も村もあなたをたたえる。
汝がトゥルガウは喪服を着、
汝がプレッチュは力失せ、
目も虚ろにたたずむ。
養うかたはいない。

10.合唱
だが、王妃よあなたは死なれたのではない。
あなたに魅かれた人は あなたを忘れない。
この世が崩れ去る日までに、
書き記せ 詩人たちよ、
王妃の美徳 民の喜びと名声
王妃の栄光をわれらたたえん。

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今日は通常の礼拝ではありませんでしたが
カトリック時代の聖人の祝日が受け継がれ
祝われたように、
福音信仰を貫いた一人の女性に光があてられ、
クリスティアーネの信仰はBWV198を通して
300年後の今日に私たちに記憶され、
これからさらに、
何度も、よみがえって人の信仰を呼び覚ましてくれる
ことでしょう。

さて、バッハの楽譜は、彼の死と共に散在した。
長年かけて収集した楽譜に、B-バッハ、Werke作品、Verzeichnis番号、
を表す「BWV」に編集したV.シュミーダーは
本曲を「世俗」カンタータに区分し、
BWV198としたことについて、一言、

バッハは幼き日に、父アンブロジウスの音楽を
「世俗音楽か聖なる音楽か」と大人たちが言い争っていることを、
父に告げたエピソードがある。父はバッハに
「世俗とか聖なる音楽と言ってはならない。」
ではなんと呼べばいいのですか。「vitaビタ・musicaムジカ」
「生命の音楽」と言いなさい。」と言った。
こういう幼き日の経験があって、
バッハには「音楽に世俗とか聖なるという区別はなく、”
命の音楽”があった。(「バッハ」、フランク著、佐藤牧夫訳)

私たちもこれに賛同し、クリスティアーネに信仰の模範を
見出して、共に生きていきたいものです。

今日の祈り
恵み深い天の神
梅雨の季節に入ったようです。
今日は困難な時代に信仰を貫いた女性クリスティアーネの
追悼礼拝を覗き、美しい言葉の数々に触れました、
私たちも、心に一条の光を受けて、日々を守られますように。
シュイエスキリストの御名によって祈ります。アーメン

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画像をタッチして視聴できます。
BWV198 6王妃よ、なお一条の光を
https://youtube.com/playlist?list=PLrPGQEeLV17o4EP83l9I66YNt52cmyFRL&si=dP_pEE2u1sX9eaky
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 86 まことにまことにあなたに言う

5月4日 まことにまことにあなたに言う

「「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。
もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。
その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。
わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。
父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。
あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。
わたしは父のもとから出て、世に来たが、
今、世を去って、父のもとに行く。」 弟子たちは言った。
「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。
あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。
これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭16‬:‭23-‭30‬

復活したイエスは、40日の時を経て、天に旅立つ昇天の時を迎えた。
これまで、イエスは多くの人に教えた。
理解されていないとわかれば、譬え話で、説いた。
この福音書記者ヨハネはイエスを愛の人と呼び、その愛を神から受けた
と言っている。
イエス自身を神の「ことば」(「ロゴス」)と言った。
このロゴスから成り立つ万物の世界観を解き明かしたのですが
果たして、弟子たちはどうだったのか。

いま、昇天して、父の元に帰っていく。
この時、果たして、どれだけのことが、後世に受け継がれるのか。
イエスにはその心がかりがあったことでしょう。

JS.Bachは、1724年5月14日、復活節第5主日礼拝で,
カンタータ86 「まことにまことにあなたに言う」を作曲、演奏しました。

カトリック時代から、この日を「嘆願」の日とし、願い事をイエスの名によって祈ることを教えた。
カトリックから分離独立したプロテスタント教会は、教会暦を受け継いできたのです。
こうして、「嘆願」の日曜日にバッハは、
BWV86 「まこと、まことに あなたにいう。」を作曲演奏し、
イエスが「私は言う」と言われたことばを、ヨハネは「まことに言う」と強調し、さらにバッハは「まことに、まことに」と強調しているように、
理解していない弟子たちを浮き上がらせていると思います。

では、本曲全6曲の歌詞を通して、バッハの解釈に学びましょう。

BWV86 まことにあなたに言う

第1曲バスによるアリオーソ。バッハの時代にドイツでは、器楽演奏が主流であった。イタリアで発展した歌曲が入り始め、歌曲を取り入れたアリアをアリオーソと言ったようです。(Spita)

1,まことにまことにあなたに言う アリオーソ バス
まことにまことにあなたに言う。
父に願うすべてをわが名によって祈れば、
父はそれら願うものを与えられる。

2.バラの花を摘もうとして アリア アルト
バラの花を摘もうとして
その刺に刺されようとも
切なる祈りは必ずみ前に届くと信じる。
み言葉は私に約束しているのだから。
※バラはイエスの十字架の苦難を指す。
イエスを信じる人は棘に刺されて血を流すような
苦しみを受ける。それでも切なる祈りは聞かれると信じる。
今日はこの一曲をお聞きください。

ー第2曲 薔薇の花をつもうとして 約6分—–

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3.慈愛深き永遠の神 コラール ソプラノ
慈愛深き永遠の神
そのみことばもて
御名において語られた
真実こめなされた我らを救いて
み国に送りたまえ アーメン

4.約束を守れないこの世と違って アリア テノール
約束を守れないこの世と違って
神の約束の成就を見ることは
われらの喜びなり

5.神はかならず救いを成したもう アリア
神はかならず救いを成したもう。
多少遅れることがあっても
救いの手を止めることはない。
み言葉は証しているように
神は必ず救いを成したもう。

6 神が約束した時が コラール
神が約束した時が満ちるのを待ち望もう。
その日はいつなのか知ることはできないが、
最善の時は来たると信じて、主に委ねよう。

今日の祈り
恵み深き天の神
今日はイエスの昇天から主の在りし日を、
誕生に遡ろって省み、イエスが神の御心なる
神のことばを語り、その言葉から全てが生まれる
現実に心を向けました。そのように全てを見、
生きていくように助けてください。
世の中の混沌を見るにつけ、お願いいたします。
アーメン

ーーーーーーーーーー
今日のカンタータ 下記より
BWV87 「まことにまことにあなたに言う」全6曲

106 神の時は最良の時

BWV106 神の時は最良の時

「神の時は最良の時」
「皆さんのうちのある詩人たちも、
「我らは神の中に生き、動き、存在する』
「我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。」 使徒言行録17,28

バッハは、BWV106 「神の時は最良の時」を作曲、演奏した。
1716年から1718年の間に作った3曲を元に5曲組曲のカンタータを作りました。
歌詞は今日の、我ら神のうちにあって生きる。
その人生の終わりの時は「最良の時」と言います。
——-
第1曲 シンフォニー ソナタ風のソナチネ

第2曲 神の時はいと良き時である  アリオーソ,
使徒言行録17,28 合唱
「神の時はいと良き時である。
神が望めば、我らは神の中で生き、働く。
神の中で、我らは時にかなって死ぬ。
来ませ主よ、来ませイエスよ」

第3曲 ソロ、 アルト
「あなたのみ手に、わが霊をゆだねん。
あなたは私を贖ったまことの神、
あなたのみ手にわが霊を委ねん」

第4曲 詩篇31,6
「父なる神と、御子と聖霊に
栄光と賛美と誉 聖霊の御名において
神の力は勝たしめたもう。
イエス・キリストによりアーメン」

———-

「神の時は最良の時」か

神が人の臨終を定める時。
それは最良の時であるというテーマで
4つの曲がそれぞれ聖書の言葉を歌詞にしてつくられた。
1707〜1708年とされていて、バッハはまだ22才と若い。
トマス教会音楽監督に就任した1723年より
15年も前であり、
礼拝で使われた記録はない。
礼拝では、説教の前後に、25分ばかりの持ち時間で6曲構成、と言うバッハのカンタータの形式が確立していった。
その意味で、教会暦によらない自由な形式がかえって
美しい合唱曲を生み出したとも言えるかもしれません。

「神の時は最良の時」、その意味について私は、
本曲に向き合って、また歌に使われている
聖書の箇所を丁寧に読んで、初めて知りました。
寿命を全うして、定めの時を迎える。
その時が最良の時と言える。
旧約聖書創世記の父祖列伝に100歳を超えたアプラハム、イサク、ヤコブと父祖たちの祝福された死に、
人は自分の理想の姿を描いて、
憧れと畏敬の念さえ覚えてきた。
バッハは苦難また死について、4つの受難曲をはじめ、
カンタータで4,57,94,106,156番など、多く作曲している。
また、バッハが尊敬したMルターの「十字架の神学」の立場を大事にした。たしかに、不慮の事故や思わぬ病気は最良の時とは言えない。
100歳を超えた族長たちは、満ち足りて死んだという。
最良の時を迎えた模範を記している。
しかし、現代も問題を解決したわけではない。
コロナウイルスによる死者が増え続けている。
自死する人が交通事故死を超えている。
戦争や感染症で多くの死者をみた中世末期の時代の中で、
苦難と死についてメッセージを送り続けたバッハの労作は、
今こそ、現代的意義を持ち続けていると思われます。

「神の時は最良の時」BWV106

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

今日の言葉   「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

「【賛歌。ダビデの詩。】 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」 詩編 23:1-6

 

今日は聖書の中で最も親しまれている言葉、

イエスを「羊飼い」に例えている一句です。
とはいえ、イエスの千年昔、少年ダビデが牧童をし羊を放牧し、
襲いくるライオンを倒したという逸話が語り伝えられ、
ダビデが歌って、イエスの口によっても歌い継がれた。
主人の羊を預かって、山野をめぐるような貧しい人たちに目を止め、
心動かされてきた、ダビデ、
その系譜を受け継ぐイエスは、神の憐れみに繋がる美しい本質を描いています。

 

私たちはどちらかと言うと、農耕民で限られた世界の中で一生を終わるのに対して、
季節によって餌場を求めて移動する遊牧民の羊飼いは、
羊を襲う野獣から、預かった羊を守り
太らせ、増やして、主人を潤わせる。そのことによって、評価される。

少年時代に羊を飼う牧童をしていたダビデは、
王となって、海洋民族ペリシテの攻撃から国民を守り、導いた。
イエスは町々村々を巡り、病める人を訪ねて癒したといられています。
癒す職責に身を賭して生きたと言う意味で、羊飼いだったと言えます。

バッハは1731年4月8日、復活節第2の礼拝、この日は
ミゼリコルディアス・ドミニ(神の憐れみの日曜日)として
礼拝が行われ、
BWV112 「主はよき羊飼い」詩篇23から全6曲を作曲し、演奏しました。

詩篇23の言葉をそのまま歌詞にして歌っています。
第3曲の「死の陰の谷を行く時」は、バスの朗唱です。
圧巻の「ラメント バス(嘆きのバス)」と評されてきました。
死の病の苦しみは、助けのない嘆き、悲しみ、悲哀を、
男声の低音で、それに不協和音の伴奏がついて、
「死に直面している人」がわからないと、
とても変な、不愉快に感じる人も多いでしょう。
しかし、身近に死の影を通った人には、
身に染みることでしょう。
福岡バッハコレギウムで
ドイツ語の歌詞で歌うという主旨に惹かれました。
しかし、実際にはドイツ人神父に
ドイツ語で歌っているようですねと
冷やかされたように、難しいことでした。
と言うことで、日本語にしてバッハを聞く。
このように思って、引退後に和訳歌詞に
挑戦しています。
では、「主はよき羊飼い」に進みましょう。

 

主は善き羊飼い   BWV112

1 合唱
主はよき羊飼い わたしは守られて、
たりないものはなく、満たされている。
牧場に導かれ、よき言葉に満ちた
緑の牧場に伏させたもう。

2 アリア・アルト
憩いのみぎわに導いて
わが魂を生き返らせる。
この水こそ聖霊であり、
私をうるおす。
主は正しき道を歩ませ、
たえず主の名によりて、
その教えをまもらせる。

3 朗唱・バス
死の陰の谷を行く時も
災いを恐れない。
迫害と災い。患難が取り囲うとも
あなたがそばにいましたもう。
汝が杖と鞭 われをはげます。
みことばにわが身を委ねまつらん。
——————————————–
説教が行われます
説教が終わって、第二部
ここで「死の谷を行く時も」を効いてください。

——————————————–

4 二重唱 ソプラノ、テノール
主はわがためにうたげを備えたもう。
敵どもをまえに宴をもうけ、
おそれを除き、心を強め
わが頭に香油を注ぎたもう。
喜びを満たす聖霊の香油を注ぎたもう。
わが心の器を満たしてくださる。
喜びの聖霊で満たしてください。

5.コラール
あわれみと善き業はわたしにともない来て、
いかなるときも主の家にとどまろう。
地の上でキリスト者と、
死にて主イエスと
共に住まわん。

 

本曲は、トマス教会に就任する前に、作っていた曲を、
礼拝のカンタータに仕立て直したと推定されています。
「第2曲の自筆総譜になされた多くの訂正が、そう物語っている。
「コラール節をそのまま用いながら、編成、調整など工夫して変化と統一、
調和のとれたカンタータに仕上げるバッハの手腕はみごとなものである。」(井形ちづる)
聴きどころは、第3曲 聖書朗唱・バスの
「死の陰の谷を行く時も災いを恐れない。」
よき羊飼いは災いにあって、死の陰をおもわせる時にも、恐れない、
という詩編の言葉に工夫を凝らして作った「嘆きのバス」(ラメントバス)があげられます。
今日は、この嘆きの時に慰められたことを思い巡らしながら、視聴してください。

 

今日の祈り

恵み深き天の神 長い連休が終わり、日常を取り戻しています。
世界を見渡せば、物事を一人で決め、これまでの歩みを否定し、
関税操作ですべてがうまくいくという魔法のような手法に綻びがではじめ
一線を超えてナチスの再来と言われるようになって、不安が広まっています。
全ての人が振り回されず、自分の信仰と、思想と、行動を発揮して、
良い未来を作り出せますように、導いてください。
主イエスキリストのみ名によつて祈ります。アーメン