わたしの本棚
|
|
本のひろば | |
ようこそ本のひろばへ
|
|
クララとお日さま カズオ・イシグロ
|
|
「モ モ」ミヒャエル・エンデ 岩波書店 2005
|
|
わたしを離さないで カズオ・イシグロ カズオ イシグロ ノーベル文学賞! |
|
小説「1984」 ジョージ オウエル
|
|
1984年に生まれて 郝 景芳著、2016年
|
|
子宮の記憶 春秋社編集部 春秋社 19921120
|
|
胎児は学ぶ エンゲル 大修館 19931120
|
|
誕生の記憶 春秋社編集部 春秋社 19921120
|
|
記憶する心臓 ある心臓移植患者の手記 クレア・シルヴィア著
|
|
六千人の命を救え 外交官 杉原千畝
「アドルフに告ぐ」の中に挿入された話、ユダヤ難民が日本にたどり着き、日本から上海を経由してアメリカ・カナダへと通過したという話はフィクションではない。一九四一年七月から翌年5月まで、約11月の間に、四六六四人のユダヤ人難民がシベリア経由で日本にやってきた。横浜、神戸の在日ユダヤ人が中心と救援活動に奔走した。とくに、中田重治を中心とした東洋宣教会ホーリネス教会の関係者はユダヤ難民を親身に世話した。 当時、外交官としてリトアニアで任務に就いていた杉原千畝(すぎはらちうね)は六千枚の通過ビザを書いたという。ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人難民のために、迫り来る危機のなか、領事館が閉鎖される直前まで、力をふりしぼってビザを書き続けた。また、リトアニアを去るときも、駅で汽車に乗ったあとからも懇願するユダヤ人のために書き続け、汽車の窓から手渡したという。そのビザはアメリカの南、メキシコ湾にある小さい島、オランダ領キュラソー島を目的地とする通過ビザであったので、「キュラソー・ビザ」と呼ばれる。キュラソー島は税関がなくビザを必要としない島である。窮余の一策を思いついて、このようなビザを発行した。杉原千畝氏は六千はビザを書いたという。このビザによって、そのなかの4664人が日本に来たということは、驚くべき奇跡である
|
|
失われた祖国 ジョイ・コガワ
はじめ「OBASAN」(おばさん)という本を出版した。一九八三年、その本は発売されるとたちまちベストセラーになり、「カナダ文学賞」「全米図書賞」を受賞した。カナダ文学賞を受賞したとき、次のように語った。「私はこの本で、私にとって、ひじょうになつかしく、忘れることのできない人びとをとりあげました。日系カナダ人です。 |
|
なぜわたしだけが苦しむのか
理不尽と思える不幸にみまわれたラビ(ユダヤ敦の教師)が絶望の淵で問う。 神とは、人生とは、苦悩とは、祈りとは何か。自らの悲痛の体験をもとに旧約聖書を読み直し、学びとったことを透徹した理論と澄み切った感性で綴る。 人生の不幸を生き抜くための深い叡知と慰めに満ちた書。 |
|
荒れ野の40年―ウァイツゼッカー大統領演説全文
|
|
「人は成熟するにつれて若くなる」 ヘルマン ヘッセ
|
|
「庭仕事の愉しみ」ヘルマン ヘッセ
|
|
「戦争・ナチズム・教会」 河島幸夫著1993、新教出版社
|
|
第二の罪 ラルフ・ジョルダーノ
ヒトラーのもとで行われた、ユダヤ人虐殺と、これをひきおこしたすべてを第一の罪とすれば、「第二の罪」とは第一の罪をごまかし否定することである。ラルフ・ジョルダーノは彼の著「第二の罪」の中で右のように言っている。そして第二の罪は、今日にいたる戦後西ドイツの政治文化の本質的特徴だという。(同書9頁)ユダヤ人を母として生まれたジョルダーノは多感な少年時代をナチスの暴虐の中に耐え抜いて生きた。解放の暁にはドイツを離れようと堅く決心していたが、解放されてみると、この地に踏みとどまることになった。
|
|
「死の日記」への序章 柳田邦男 新潮社 1986
|
|
犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日
|
|
精神病院の起源 小俣和一郎 講談社現代新書
|
|
「自然・人生・宗教」佐藤俊男
|
|
精神の遍歴 竹下夢ニ 関谷定夫著 東洋書林 2000
|
|
グスタフ・ユング (1875-1961)
|
|
「人間の大地」 犬養道子 中央公論社 1983年
|
|
人生の短さについて 他二篇 文庫 セネカ, Lucius Annaeus Seneca, 茂手木 元蔵
|
|
「変装」 パット・ムーア 著者は、三年間アメリカの老人を経験し小説「変装」を書いた。メーキャップ・アーティストの手を借りて、二六歳の顔を八五歳の老女に見せる扮装術を身につけた。喉のたるんだ肉、目尻の皺といった特殊メイクを彼女は買いこんだ。頭には白髪のかつらをかぶった。重い矯正靴を履き、白手袋をはめ、杖をつき、特殊なクレヨンで歯を汚した。田舎のストアで買った安物の部屋着とショールをまとった。老女であると実感できるように、関節炎を効果的にみせるために指にテープを巻き、膝の裏に副木を当てて動きを制限した。その変装は完璧だった。変装してアメリカ各地の街中を歩いた彼女は、いつも無視され、粗暴に扱われ、死ぬほどたたかれた。・・・・・ |
|
「絶対音感」 最相葉月
|
|
「なぜわたしが」 エリカ・シューハート 山城順訳 人生の危機(病、事故)にあった人が、自分の人生をどのように受け止め、克服しようとしたか。 またはできなかったか。 自らの体験を記した6千冊の書から、八つの局面を上り下りするらせん模様にあらわした危機対処理論。目次から、B6版電子書籍として読めるようにPDFにしています。iPadなどのタブレット、またPCでどうぞ。ダウンロードもできると思います。
|
|
「ディアコニー」エーリッヒ・バイロイター 山城順訳 ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史をイエスの時代にさかのぼり、宗教改革を経て、これを教会の宣教課題となし、内国伝道の一環とし、戦中戦後をどのように担ったかを、敬虔主義の立場から論じた。 |
|
「生きるに値しない命」とは誰のことか ―ナチス安楽死思想の原典を読む K.カール ビンディング , A. ホッヘ , 窓社 (2001) 本書は、ナチス安楽死政策や、優生学運動・優生思想、安楽死問題・安楽死思想の研究と思索を一歩でも前進させるために編まれたものである。封印されてきた禁断の書、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」の完訳。それを巡るナチス安楽死政策との結びつきを立証した論究と、ナチズムだけでなく安楽死一般の価値観に対峙する視点を探った考察を収録。 第1編 テキスト(法律家の見解医師による論評) 第2編 批判的評注(それはいかにして生まれ、利用されたか―法思想史的・歴史的観点から「生きている価値」とは何か―倫理学的考察) |
|
子どもたちのホロコースト ローレル・ ホリディ、 小学館 1997
|
|
アドルフに告ぐ 手塚 治虫 、文藝春秋社、1958年
|
|
夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録 (単行本)
|
|
それでも人生にイエスと言う V.E. フランクル, Viktor Emil Frankl 春秋社 1993
|
|
ナチスドイツと聴覚障害者―断種と「安楽死」政策を検証する (単行本)
|
|
第三帝国と安楽死―生きるに値しない生命の抹殺 エルンスト クレー著 松下正明訳 批評社 (1999/07)
|
|
「死ぬ瞬間」 死にゆく人々との対話
|
|
「人生は廻る輪のように」 E.・C・ロス 角川書店 1998年
|
|
戦争と罪責 野田正彰 岩波書店 (1998/08)
|
|
平和学入門 ガルトゥンク ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥングが「構造的暴力」を提起してから、平和学の対象領域は広がり、貧困や開発、ジェンダーといった日常生活に関わるテーマも含むようになった。[35] |
|
同じテーマで書いた文章を、ボタンひとつであっけなく消してしまった時の残念無念、そろそろ残念な気持ちが薄れてきたようで,勇気を出して、心機一転,もう一度書いてみようと思います。
このテーマは牧師時代の、日曜日の礼拝順序と集会等の案内報告、教会員の消息など「週報」に書いて,
印刷して、玄関のボックスに入れて日曜日を迎えるという、ガリ版印刷の31年間から始まるものです。
一枚の週報を作るために印刷メディアがどんなに変ってきたかを思えば、よくもまあ,と思うほどで、
ガリ版」から,現在のPCとプリンターに至るまでの記憶をたどります。
ロウを塗った紙をヤスリの上に乗せて、鉄筆でロウをはがし、そのうえからローラーにつけたインクで、下に置いた紙に写して印刷します。ロウの紙には一面に線が引いてあり、四つのマス目に一文字書くようになっています。ここで字を書くのが下手な私は苦労するわけです.どうしたら、上手く描けるのか。
人が書いたものを、あんなにかけたらいいのに、と羨ましく思い、KW先生は本当に上手でした。私が見たガリ版文字の中で最高でした。
その四角形四マスを縦,横三分の一を偏に、縦のかんむりを三分の一にすれば、より綺麗に書けるなど、いろいろ考えました.
万国博覧会が終わって、経済は上り坂、高度成長期のスタートラインくらいだったのか、輪転機印刷機が出て,輪転機から印刷物が高速で出来上がり、大いに時間短縮になりました。が,ムラなく仕上がるためには要領が入りました。また,その頃はA4よりも一回り小さいB5でした。B5はとにかく、その半分のB6版と小さくなると,紙が離れなくてトラブルが起こり,対処するのに手間がかかるようになりました.
アメリカ製のデュプロは用紙に鉛筆や活字で叩いてカーボンを塗りつけて、揮発油で溶かして輪転印刷するというもので、カラーでした。
4.アルバイト
教会に来るようになったKBさん。鹿児島出身で、東京に出てデュプロ事務機に勤め、ノーハウを得て福岡で店を持つことになった。私も週に一日手伝いに行くようになり、飛び込みでレターケースを売るようにと言われて、ちょっとどうかなとも思ったけれど、使いそうな店に飛び込みで何軒か尋ねたが、一台も売れなかった。
高度成長期に入って、大型店が建つようになったが,職を失う人も結構いて、長崎県から職探しにきた青年を教会に泊めて話をきいたことがある。
私も思うようにはできなくて店の手伝いは立ち消えになった。
けれども、KBさんは下取りした印刷機類を月賦で譲ってくれることになり,それから色々な事務機を下取り機械で経験することになった。教会には、事務機費を出してもらう余裕はなかったので、月賦代金を支払う関係が、旧印刷機時代が終わるまで続いた。
縦横6ミリくらいの鉛の棒、標準漢字の数はあったと思う,逆さま文字を見て字を選び、うらがわのテコで打ち出して、蝋を敷いた紙や改良された用紙に文字を打ち出して、輪転機印刷をする。印刷会社で作っていた印刷物が個人でできるようになった。裏返し文字でも覚えてしまったが,目が疲れた。
そのうち、文字をプリントした文字板を張り、正面から見える文字はありがたかった.教会の週報も活版文字で見れるようになった。印刷収入を考えたが、中古品なので絶えず修理をしながら、せまりくる時間と戦い、何をしてるんだろうかと自問しながら、軌道には乗れなかったなぁ。
春日東教会
25周年記念誌
1984.4.5
印刷したものは
週報印刷 一年 51 (週) x 50枚、説教(毎年-前期•後期)、誕生カード、クリスマスカード,総会資料
教科書:福岡女学院短大,大学,のちに西南学院大学ー毎年テーマを変えて教科書を作り500円で販売した。
大学闘争でいつまでも古いノートを読んで授業する老教師が槍玉に上げられて,授業管理は私学補助金と引きかに文科省の手に渡った。それで批判側にいた私は教科書は自分の手でという思いを,無理しながら保っていた。
前期・後期 毎年新課題で
九州教区事務所 主事を数年 教会,牧師住所録 教区,教団、県庁宗教法人課、手続き書式等
B4からA4へ
6.ワープロからコンピュータへ 1980年代 ——–
コンピュータは、ワープロも、八つの点(ドット)で文字を作っていた。それでは使い物にならなかった.また20 万円という金額を生まれたてのワープロに使うわけには行かなかった。エプソンやアップルも試してみたが、毎年2回ほど新製品を出すPCには、振り回されたという記憶しかない。
12インチのフロッピーディスクが3000円もしていたなんて、書いておかなければ忘れてしまいます。
7. WWW ネットワーク 1980年代末世界を一回りするネットワークは、情報を パッケージに集めて送る方法がアメリカ軍事情報の関係で開発された、
コンピュータの役割が世界を繋ぎ、隣の家にいるかのような近さに変わっていった.
私は1980年代の末に、アサヒネットに入り、メールとホームページを始めた。時代はどんどん変わっていった。当初から長い間,スマートフォンの普及までーホームページを見てくれる人はいなかった。が、自分の書庫としても絶えず、書き込んでいた。それが今chapblogとなって、再生しています。8. そしてオープンソース
アップル、マイクロソフトは一時代を作りあげ、大きな存在だった.この生き方に意義を持つ人たちがその何倍も多くいるようだ.スエーデンなど北欧の学生たちが始めた、データを公開し,共有してコンピュータを作り上げた.無料の「オープンソース」のシステムやソフトがあっというまにひろがり、毎年更新して法外利益を得てきた巨大な会社が終焉を迎えている。どんな強靭なシステムを作っても穴・バグか見つかり攻撃してくるからである.オーブソースは秘密にするものがないので、攻撃しても利益にはならないようだ.
今回一年半かかったホームページとブログは、オープンソースで、秘密なし,平等,自由、つまり個人のプライバシーを基本的に守る。こういう思想によって、できた。利用者が増加している。
春日東教会
40周年記念誌
1999.3.1
現在
私が使っているオープンソースのシステムは、このwordpresでつくった。
Libera Officeはオープンソフトで、マイクロソフトオフィスのワード,エクセル、パワーポイントと同じシステムを、無料で提供している。
私が職場で使っていたOfficeは2003年でサポート終了となり、買い替えなければ,動かない。
データも全て無効となった.マイクロソフトというシステムソフトは完成度を極め、もう開発するところは無くなってしまった.年間契約とか、月割,日割りとあらゆる手で集金組織に成り果てた。それでも、穴を見つけて攻撃され,対応に苦慮している。
動画制作のOpenshotも助かっている.それゆえに、日々、内容が充実した作品を見て、作りに精進しようという気持ちを強めている.
このオープンななかまたちが世界中で縦横に通じる通信時代を開いてくれる。そのように,期待し,確信している。
わたしもwordpressの恩恵を受けて、世界に翼を広げて交信したいものです。