秘話
秘話というか、本当は猫好きなんだけど、という話
どっちかというと、猫派です。小学生の頃、狭い家なのに猫が二匹になって、
その中の一匹は私専用で、冬の寒い日は、布団に入れて湯たんぽがわりにしていた。
もう一匹は、三毛猫の黒の毛が目の上から下に分かれているような中途半端なデザインの猫で、
時に弟と妹が取り合いをしていた。
そんなある日、父が沖縄に、日本キリスト教団の宣教師として赴任することになり、
遠賀川の川べりに猫を捨ててきなさい、母に言われて、猫を箱に入れ自転車の荷台に乗せて、
妹と弟で捨てに行った。この時の感情は口にあらわしにくく、もう生き物を自分の趣味で買うのはしないと、心に決めた。一件である。
わたしは、一年の夏休みに部落問題研究会に入って、大阪の部落の公民館で子供会活動をした
一年の時、。文学の最初の授業で文学部から神学部に教えにきていた教授が、一時間目の頭から「君たちは牧師になろうとしている。・・・部落の人を配偶者にする覚悟はあるのか?」とか、変なことを言い出し、失礼な!とても嫌ーな感じがした。
ところが、わたしは部落問題のことは一言も知らなかった。ということも、ショックで、部落問題研究会の夏の活動に申し込んで、参加した。泊まりはなく、電車で通ったと思う。
2年生の夏になると、嬉々として、「筑豊の子どもを守る会」の活動の準備をしているksj先輩に、ひどく批判的なことを言って、ショックを与えてしまった。
近くの女子大の聖和と一つのチームを作って、もうすごくのぼせ上がっていたので、偽善とかそんなことを言って、批判した。「そうか、そういうお前のようなやつが必要なんだ」とかおだてられて、アホなわたしは、学部を終わる四年生の冬休みまで、「筑豊の子どもを守る会」の活動に参加した。
というより、わたしは帰る家がなくなり、長い休暇を沖縄まで行って、知らないところで時を過ごすのは、一回はできるが、あと3年もはごめんだった。
ところで、活動の場、田川郡頴田町小峠は、わたしが中学生の頃、救援物資を自転車に積んで、父と訪れていた集落で、炭鉱事故で両眼が見えなくなったABEさんの御宅を訪ねていた。その同じ地区に我らのチームが入っていくのは、不思議な縁を感じていた。
その筑豊に通うようになって、関学-聖和チームの関係教会がなんと飯塚教会だった。
初めと終わりに礼拝に参加して、地区の教会と関係を持っていた。
私たちの後任の牧師のKJ先生と話をするようになって、先生が猫嫌いであると聞いた。
加えて、
(引っ越しの時に遠賀川に捨てに行った)猫が戻ってきたという、話を聞いて、たまげてしまい、何かもうしけない。悪いことをしたと思ってしまった。猫は何も悪くはないのだから。
それから、こんなふうに、迷惑をかけたらいけない。と深く反省した。先生の新婚生活を破壊とまではいかなくても、初任地でのスタートはイヤな一件だったにちがいない。
やがて、牧師を辞めて、鹿児島の高校教師になられたこともなおさらであった。
神学部をでて春日東教会で働くようになっても、何度か筑豊を訪ね、
子どもたちの消息を何人か共有したが、
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