わたしの本棚

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 なぜわたしが?  エリカ・シューハート著 山城 順訳

 人生の危機(病、事故)にあった人が、自分の人生をどのように受け止め、克服しようとしたか。
 またはできなかったか。 自らの体験を記した6千冊の書からえられた「なぜわたしが?」。翻訳

 ディアコニー ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史 

   エーリッヒ・バイロイター著
  ドイツのキリスト教(プロテスタント)社会福祉の歴史を、イエスの教えにさかのぼり、現代
  までを叙述している。 とくにルターの全信徒祭司の思想を外国伝道に対する、国内の
  福祉諸課題を教会の任務としてとらえた内国伝道の歴史。 ※1
 翻訳

  心の旅
1984年念願かなって、1.バート・ボルにブルームハルトの跡を訪ね、 
また、2.東ドイツ時代のJSバッハの足跡をたどった。

 九州教区宣教の歩み データベースによる   山城 順編


 小説  バッハ    フランク  佐藤牧夫訳

 
 前半  後半   わたしの感想をつけています。

 
鎮西学院の人脈  

 CSロング
  1881年長崎東山手の地にカブリ―英和学校(後の鎮西学院)を創設

 倉場富三郎(くらば とみさぶろう )
  カブリ―英和学校第1期生、卒業後学習院、オハイオ・ウエスレヤン大学を経て ペンシルパニア大学
  医学部生物学科に入学。  その後、長崎で地域のために貢献した。

 遠山参郎(とおやま さぶろう)
  オハイオ・ウエスレヤン大学留学( 1892-1896年)、帰国後、夏目漱石の後任として熊本第五高等学校
  英語教授に赴任、  その後九州学院を創設。

 佐野勝也(さの かつや )
 (1888~1946) 1910鎮西学院を卒業後一高、東大を経てハーバード大学で宗教学を修め、
 帰国後九州大学宗教学初代教授

 千葉胤雄(ちば たねお)
  
鎮西学院を卒業後1918年オハイオ・ウエスレヤン大学入学、卒業後ギャレット聖書学院で学び、
  12年の留学生活を終え
て帰国。宗教主事。1945年の長崎原爆を受けつつ、院長として学院再建に
   尽くしたが  1950年原爆症で死亡。

  教科書など
 


 
野の花のように
   入学して初めて聖書に触れる学生のことを考えて
   キリスト教学の教科書を何度もつくりました・その一冊です。
 
 
人権の基調
   国連で採択された人権条約に基づいて、
   1.人権の貴重、2.民族の生存、3.子どもの人権。
   4.部落差別の歴史 5.障害者の歴史と差別 資料 子どもの人権条約

 
 エッケ 民族と聖書
   キリストが十字架にかけられる場面で、
   総督ピラトが語ったことば「この人をみよ(ecce homo)」のラテン語聖書から援用した。

 石 叫 いしのさけび
 父の死を記念して私の自伝的随想を試みた。
  筑豊のこと、大学闘争のこと、教団問題、日韓宣教協約の問題について、
  所信を記してみた。

 石 叫 いしのさけび
  牧会31年を顧みて福岡女学院、鎮西、株式会社ライオン月例集会などて話したものを記した。
  長崎県諫早市鎮西学院宗教主事として新しい地に転じました。