5月25日  「侯妃よ、なお一条の光を」BWV198

1727年10月17日,ザクセン選帝侯妃アウグストの妻
クリスティアーネの追悼礼拝が
ライプツィヒ大学教会で行われた。

夫のアウグスト2世は別名、強権王とも言われ、
ポーランドを奪取して、自らはカトリックに改宗した。
そうしないと、カトリックの国と国民を治めることは
政治的立場をより良くしたいという思いでの
宗旨替えあることは明らかだった。

クリスティアーネは離別し、エルベ川沿い
プレッシュ城で孤独な生涯を終わった。
かつて、マルチン・ルターの宗教改革で
大半が福音主義信仰になった領民は、
アウグスト2世の宗旨変えに不安になり、動揺した。
それゆえ、福音主義信仰を貫いたクリスティーネに心底、
心動かされ、愛と勇気をあたえられた。

1727年9月5日に逝去すると、ライプツィヒ大学フォン・キルヒバッハの発案で
大学の聖パウロ教会で追悼式典が行われることになった。
キルヒバッハは追悼演説を自ら担当し、
その前後に演奏されるカンタータの作詞を詩学の教授JCゴットシートに、
作曲をバッハに依頼した。
バッハは作曲を10月15日に完了し、2日後に追悼式典は盛大におこなわれた。
こうして、本曲の歌詞に表されているように、

「侯妃よ、なお一条の光をサレムの星から照らしたまえ」と
四人のソリストの合唱によって始まり、
クリスティアーネの評判が広がった地域に、
「気落ちしたマイセン(第2曲)」とある。
日本の陶磁器がドイツ・マイセンに伝わり、ヨーロッパに広がっていた。
その江戸時代(8代将軍吉宗・享保)といえば、身近に思えるでしょうか。
彼の地の生産と交易は国土を豊かにしていた。
では、歌詞によって導かれましょう

第一部
1.合唱
王妃よ、なお一条の光を
サレムの星から放ちたまえ。
見よ、どんなに涙して
あなたの記念碑を囲んだことか。

2.朗唱 ソプラノ
汝がザクセン、気落ちしたマイセン
汝が葬られた墓石
炉に涙し、口は叫ぶ
わが痛み限りなし
アウグスト公、王子、市民は
悲嘆し、貴族は嘆く
知らせを聞いたその時、
市民は哀悼し、黙す。

3.アリア ソプラノ
静まれ、妙なる琴の音よ
母の死に際して表すことばなく
おお尽くしがたいつらい言葉よ
無言の、国の母を亡くし
悲しみの言葉を無くし
おお悲しみを表しえない。

4.朗唱 アルト
鳴り響く鐘の音は
悩みに沈む心の
恐れを呼び覚まし
血管を通り
おお、響いてやまない
恐れのさけびは
ヨーロッパのひとに
われらの悲惨をつたえる。

5.アリア アルト
なんとわれらのヒロインが
みちたりて死なれたのです。
いかに彼女は勇ましく戦ったか。
かくて死の腕は彼女の胸を負かしえなかった。

6.朗唱 テノール
その生涯は修練の道
時来たり死を前に
恐れず。
動じなかったことが証している。
偉大な、自然を超え
墓穴にもおびえない
偉大な精神は幸いである。

7.合唱
あなたこそ 高貴な女性の鏡
あなたこそ 気高い王妃
あなたこそ、信仰の守護者
寛大な魂の見本と仰がれる。

第二部
8.アリア テノール
永遠のサファイアの家
王妃よ陽気な視線は
われらの低さを離れ
この世の姿を消す。
百の太陽の輝きはわれらの昼を暗くし
百もの太陽の輝きに
あなたの聡明な頭は囲まれる。
百の太陽の輝きはわれらの昼を真夜中のように暗くする。
あなたの聡明な頭は栄光に輝く。

9.朗唱とアリオーソ バス
なんとふさわしいすべての王妃の鏡
あなたが勝ち得た栄光の冠
小羊の御座で身に着けるものは
虚栄の緋色(の衣)でなく
真珠のように清い無垢の衣。
それは生前の王冠をあざ笑う
ヴァイセルの豊かな川の流れ、
ニースターとヴァルデの潤い
エルベとムルデの河口に至るまで
町も村もあなたをたたえる。
汝がトゥルガウは喪服を着、
汝がプレッチュは力失せ、
目も虚ろにたたずむ。
養うかたはいない。

10.合唱
だが、王妃よあなたは死なれたのではない。
あなたに魅かれた人は あなたを忘れない。
この世が崩れ去る日までに、
書き記せ 詩人たちよ、
王妃の美徳 民の喜びと名声
王妃の栄光をわれらたたえん。

——————————————

今日は通常の礼拝ではありませんでしたが
カトリック時代の聖人の祝日が受け継がれ
祝われたように、
福音信仰を貫いた一人の女性に光があてられ、
クリスティアーネの信仰はBWV198を通して
300年後の今日に私たちに記憶され、
これからさらに、
何度も、よみがえって人の信仰を呼び覚ましてくれる
ことでしょう。

さて、バッハの楽譜は、彼の死と共に散在した。
長年かけて収集した楽譜に、B-バッハ、Werke作品、Verzeichnis番号、
を表す「BWV」に編集したV.シュミーダーは
本曲を「世俗」カンタータに区分し、
BWV198としたことについて、一言、

バッハは幼き日に、父アンブロジウスの音楽を
「世俗音楽か聖なる音楽か」と大人たちが言い争っていることを、
父に告げたエピソードがある。父はバッハに
「世俗とか聖なる音楽と言ってはならない。」
ではなんと呼べばいいのですか。「vitaビタ・musicaムジカ」
「生命の音楽」と言いなさい。」と言った。
こういう幼き日の経験があって、
バッハには「音楽に世俗とか聖なるという区別はなく、”
命の音楽”があった。(「バッハ」、フランク著、佐藤牧夫訳)

私たちもこれに賛同し、クリスティアーネに信仰の模範を
見出して、共に生きていきたいものです。

今日の祈り
恵み深い天の神
梅雨の季節に入ったようです。
今日は困難な時代に信仰を貫いた女性クリスティアーネの
追悼礼拝を覗き、美しい言葉の数々に触れました、
私たちも、心に一条の光を受けて、日々を守られますように。
シュイエスキリストの御名によって祈ります。アーメン

——————————————
画像をタッチして視聴できます。
BWV198 6王妃よ、なお一条の光を
https://youtube.com/playlist?list=PLrPGQEeLV17o4EP83l9I66YNt52cmyFRL&si=dP_pEE2u1sX9eaky
ーーーー