「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

今日の言葉   「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」

「【賛歌。ダビデの詩。】 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう。」 詩編 23:1-6

今日は聖書の中で最も親しまれている言葉、イエスを「羊飼い」に例えている一句です。
とはいえ、イエスの千年昔、少年ダビデが牧童をし羊を放牧し、
襲いくるライオンを倒したという逸話が語り伝えられ、
ダビデが歌って、イエスの口によっても歌い継がれた。
主人の羊を預かって、山野をめぐるような貧しい人たちに目を止め、
心動かされてきた、ダビデ、
その系譜を受け継ぐイエスは、神の憐れみに繋がる美しい本質を描いています。

私たちはどちらかと言うと、農耕民で限られた世界の中で一生を終わるのに対して、
季節によって餌場を求めて移動する遊牧民の羊飼いは、
羊を襲う野獣から、預かった羊を守り
太らせ、増やして、主人を潤わせる。そのことによって、評価される。

少年時代に羊を飼う牧童をしていたダビデは、
王となって、海洋民族ペリシテの攻撃から国民を守り、導いた。
イエスは町々村々を巡り、病める人を訪ねて癒したといられています。
癒す職責に身を賭して生きたと言う意味で、羊飼いだったと言えます。

バッハは1731年4月8日、復活節第2の礼拝、この日は
ミゼリコルディアス・ドミニ(神の憐れみの日曜日)として
礼拝が行われ、
BWV112 「主はよき羊飼い」詩篇23から全6曲を作曲し、演奏しました。

詩篇23の言葉をそのまま歌詞にして歌っています。
第3曲の「死の陰の谷を行く時」は、バスの朗唱です。
圧巻の「ラメント バス(嘆きのバス)」と評されてきました。
死の病の苦しみは、助けのない嘆き、悲しみ、悲哀を、
男声の低音で、それに不協和音の伴奏がついて、
「死に直面している人」がわからないと、
とても変な、不愉快に感じる人も多いでしょう。
しかし、身近に死の影を通った人には、
身に染みることでしょう。
福岡バッハコレギウムで
ドイツ語の歌詞で歌うという主旨に惹かれました。
しかし、実際にはドイツ人神父に
ドイツ語で歌っているようですねと
冷やかされたように、難しいことでした。
と言うことで、日本語にしてバッハを聞く。
このように思って、引退後に和訳歌詞に
挑戦しています。
では、「主はよき羊飼い」に進みましょう。

主は善き羊飼い   BWV112

1 合唱
主はよき羊飼い わたしは守られて、
たりないものはなく、満たされている。
牧場に導かれ、よき言葉に満ちた
緑の牧場に伏させたもう。

2 アリア・アルト
憩いのみぎわに導いて
わが魂を生き返らせる。
この水こそ聖霊であり、
私をうるおす。
主は正しき道を歩ませ、
たえず主の名によりて、
その教えをまもらせる。

3 朗唱・バス
死の陰の谷を行く時も
災いを恐れない。
迫害と災い。患難が取り囲うとも
あなたがそばにいましたもう。
汝が杖と鞭 われをはげます。
みことばにわが身を委ねまつらん。
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説教が行われます
説教が終わって、第二部
ここで「死の谷を行く時も」を効いてください。

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4 二重唱 ソプラノ、テノール
主はわがためにうたげを備えたもう。
敵どもをまえに宴をもうけ、
おそれを除き、心を強め
わが頭に香油を注ぎたもう。
喜びを満たす聖霊の香油を注ぎたもう。
わが心の器を満たしてくださる。
喜びの聖霊で満たしてください。

5.コラール
あわれみと善き業はわたしにともない来て、
いかなるときも主の家にとどまろう。
地の上でキリスト者と、
死にて主イエスと
共に住まわん。

本曲は、トマス教会に就任する前に、作っていた曲を、
礼拝のカンタータに仕立て直したと推定されています。
「第2曲の自筆総譜になされた多くの訂正が、そう物語っている。
「コラール節をそのまま用いながら、編成、調整など工夫して変化と統一、
調和のとれたカンタータに仕上げるバッハの手腕はみごとなものである。」(井形ちづる)
聴きどころは、第3曲 聖書朗唱・バスの
「死の陰の谷を行く時も災いを恐れない。」
よき羊飼いは災いにあって、死の陰をおもわせる時にも、恐れない、
という詩編の言葉に工夫を凝らして作った「嘆きのバス」(ラメントバス)があげられます。
今日は、この嘆きの時に慰められたことを思い巡らしながら、視聴してください。

今日の祈り

恵み深き天の神 長い連休が終わり、日常を取り戻しています。
世界を見渡せば、物事を一人で決め、これまでの歩みを否定し、
関税操作ですべてがうまくいくという魔法のような手法に綻びがではじめ
一線を超えてナチスの再来と言われるようになって、不安が広まっています。
全ての人が振り回されず、自分の信仰と、思想と、行動を発揮して、
良い未来を作り出せますように、導いてください。
主イエスキリストのみ名によつて祈ります。アーメン