シューハート メール

シューハート メール

メール 

エリカ・シューハートさんから

 

 

2025年7月13日 エリカ・シューハートさんからメールを受け取った。

web のURLで送られた150本の動画の中から2本の動画を紹介しようと思います。

1.シューハート氏は2007年に来日した際、長崎ウエスレヤン大学(現鎮西学院大学)で

秋の文化祭のプログラムとして同氏の講演会「危機を生きる」を開催することになり、

わたしが責任者として諫早でのお世話をした。

その際、彼女の著書「なぜわたしが」の翻訳許可を願い、2011月1日1日に昭和堂から

長崎ウエスレヤン大学研究叢書として、出版した。

そのドイツ語の文章はとても難しく、著者の紹介により、ドイツ在の戸川英夫さんに

監修して助けてもらって、この翻訳の2年余りを通して著者と交わりを深めて

「苦しみ」が持つ悲惨と克服するプロセスを丁寧にたどって構築された理論を知ることができた.
※1.

 

 その後、「日独交流150年」(2013年)記念の集会が互いに催された。

ドイツでの集会の動画が、彼女の150本の動画の中にあり、

テロップに日本語訳が出てくるのでわかりやすく編集されている.

一、ドイツでの日独交流集会で、前座をつとめられた樋口隆一氏(当時、明治学院大学教授)は.

「この口づけを世界のすべてに」-ベーヴェンの危機からの創造的飛躍-エリカ・シューハート著の

翻訳者であり、東日本の震災の時の助け合い、思い合う人たちの中に、

ベートーヴェンの時代とは違った苦難の受け止め方を指摘している。※2.

 

二、次に、シューハルト氏の圧巻の講演の録画がある。

彼女は「なぜわたしが」を書いた後、ベートーヴェンが21才の時にしたためた-

ハイリゲンシュタットの遺書-をめぐる議論の中で、56才で亡くなる晩年までに、

内に抑圧されてきた愛を爆発させる第九交響曲の最後の合唱を挙げ、

「この口づけを世界のすべてに」を出版し、「ベーヴェンの危機からの創造的飛躍」を論じた。※3.

ベートーヴェンは21才の時に、オーストリア近郊の保養地ハイリゲンシュタット

に滞在していた時に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いて誰にも見せなかった。

そこにはベートーヴェンの深い苦悩が綴られて、自殺を決意した孤独と苦悩、を書き留めていた。

56才で亡くなるまで、誰にもわかってもらえない苦悩と孤独とは、

ベートーヴェンの作品の中に渦を巻くようなうねりをなして、

彼女が示した八つのらせんの各局面※4を登り下りしながら「この口づけを世界のすべてに」の

「愛」となって現れでる。第九交響曲の最後の「歓喜の歌」の苦悩即愛の二重性を読みとる。

「もう金輪際、誰とも袂を分つ」という孤独と表明、

 それは「世界のすべての人にキスを捧げたい」愛のキーワードである、その鍵を解いていく。

 21才で難聴になり聞こえなくなっていく悲運を遺書に認め、

分かってくれないだれにも、みせない決意を表しできたが、

遺書は死後に発見されたように、「すべての人にわかってもらいたい」、

底知れぬラブコールになっている.

 56才で亡くなるまで、

 ベートーヴェンの難聴ー無理解ー怒りの爆発ー引き込む孤独ー

 それらがダイナミックならせんの各局面をなしていく。

 最後の局面は、「果てしない苦悩」と「すべての人に口づけを」という

偉大な「愛」の相反する二重性の意味、苦しみを背負った人の苦難の意味を解き明かし、

苦悩する自分を受け入れ、世界との連帯を導く。

苦しむ経験はすべての人と共に生きる力になりうることを解明している.

 

話の中で、ベートーヴェンの作品を、講演の要点に触れて、ピアノ奏者が楽譜から例示する、 

各フレーズの分析もわかりやすく 感動的でもあった。

講演は日本語テロップで読めます.時々止めて、ゆっくり聞けます。
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その1 ベートーヴェンの夕べ 動画12本再生リスト

 

 

 

その2 挨拶 訳者:樋口隆一 :

 

 

 

その3 音楽と講演:エリカ・シューハート

 


 

※1,苦しみの意味については

「なぜ わたしが」 エリカ・シューハート著、戸川英夫監修、山城順訳
昭和堂・ゆるり書房、2011
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ベートーヴェンを事例にした研究は
※2.「この口づけを世界のすべてに」
ベーヴェンの危機からの創造的飛躍
エリカ・シューハート著 樋口隆一訳
アカデミア ミュージック刊
2013/3/2

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