虫垂炎

虫垂炎

 

80歳の虫垂炎の手術

2025年3-5月

 

! 1~5日 九州中央病院

熱が数日続いて、コロナではないかと思い、

九州中央病院の救急対応窓口に辿り着いて、

コロナチェックで陰性と出て、では38.7度発熱の原因は?

ポータブルCTで腸炎と診断され、内分泌のGoto先生が主治医となられて、

三日入院となった。

ところが、その間、「虫垂炎の疑いを除去してください」という、

検査技師の評価加が問題となり、
外科のMano先生にバトンタッチとなった。
あの時から2ヶ月と20日、
今日の診察で一連の治療が終了する。
その時、切除した虫垂をみせましようと言われたので、
たのしみにiPadを持っていき写真を2枚とった。

 

私の分身 腹腔鏡下切除した虫垂のモニター画像

先生が約9センチ半ですねと言われた。
写真撮ってもいいですかと聞いて、iPadにおさめた。
3センチくらいと思っていたので、意外と大きかった。
これがお腹の中で膨れ上がって、
38.7度の熱を出していたのかと思うと
大変だったのだとおもいかえした。

また、虫垂炎はお腹の中の緊急事態を告げる役割を果たしていたのだろうから、

取ってしまえば、
その役は別の臓器がするのだろうか、
という問いも生まれる。

 

~2~

以下、Facebookより 重複するところもありますが、

3月1日38.7度の熱が続いて、九州中央病院救急外来にたどり着いた。
コロナでなくCTで腸炎とされ、虫垂が膨らんでいる。

虫垂炎の疑いを消してくださいとの、手術して取り除く方向へと進んでいった。


腹腔鏡下虫垂摘出手術、退院後5月20日再診で、
検査室からの書付に、外科の間野先生に代わって、手術の説明があり、
それから20日後の再診で切除した。虫垂に対面した。
先生が9センチ半ですねと言われた。写真撮ってもいいですかと聞いて、
iPadにおさめた。
3センチくらいと思っていたので、意外と大きかった。


これがお腹の中で膨れ上がっ5て、38.7度の熱を出していたのかと思うと
大変だったのだとおもいかえしている。

ーーー

 3月末に38.7度の熱が続いて、ひょっとしたらコロナでは?と思い、29日九州中央病院の救急外来にたどり着いた。
PC検査でコロナではないと分かり、では、高熱の原因は?となり、CT検査で腸炎と診断、炎症の値が16.7と高かったので入院、

 持病が「副腎ホルモン低下症」なので、内分泌内科の五島先生が担当してくださり、点滴で消炎と滅菌で、値が1.6になった。

 ところが、CTの診断で虫垂のまわりが膨らんでいる、虫垂炎の問題が残り、

外科の間野先生に交替、 

4月16日の診察で手術の説明を受け、

4月29日入院、30日手術、本日5月3日に退院となった。

 80歳になって若者に多い虫垂炎になるとは?と思った。

 また、20%の再発は嫌だとも思った。

 これを機に、心身一新して、バッハのカンタータ残り半分を丁寧に、日本語歌詞で再現しYoutubeに発表してみなさんと分かち合い、日々を過ごそうと思っています。

 

虫垂炎ーその2

虫垂は盲腸から出る私の目にはミミズのような、それが炎症で膨らんで大きくなったもの。
昔は盲腸と混同していたようでー間野先生の手術の説明では、三つの穴を開けてする腹腔鏡手術で、全身麻酔と言われ、

 別の日に麻酔科の女医先生に麻酔の説明を受けた。
 麻酔によって、知らないうちに手術が終わる楽な面と、意識がなくなって、いろんな精神障害状況が起こることがある話。

  私も、先の入院で、目が覚めて、白い壁いっぱいに文字や絵が現れ、ゆっくりと動いて、映画のような、めくるめく絵巻が展開している。ちょっと動揺したが、記録しておかなければ忘れるぞとも思った。

  中世の野原や現在も遺産として保存されている建物の屋根、門、川のほとりの洗濯場、戦争、18世紀のナイチンゲールのような看護婦とか、日本の青山学院の門のような学校の門、その内側で、合唱している女学生。日本の風景も出ていた。書ききれないくらい続く。瞬きをすると、その場面は変わり、次の場面が出て、延々と続くようなので、目を閉じて終わりにする。

 退院して、妻に話すと、それって「レヴィ症候群やないと?」っとなって、わたしも聞いたことがあるその名前を調べると、認知症の一種で三大症状の一つらしい。とうとう認知症、と言わなくても、相応の自覚はしていたつもりだったが、いよいよ来たか。となった。

 そんな話を口にすると、麻酔科の先生は精神障害風の事例をいくつかあげて話してくださった。
その中に、麻酔中に歯が抜けてーと、歯は胃の中に、さらに腸に達する、それを「取りにいかなければなりません」!「怖い」と言ったら、「怖くはありません、麻酔が効いていますから」。

  そうこうして、40分くらいのレクチャーが終わった。
 実際、その通りに進められていった。

目が覚めると、点滴で痛み止めと、菌を除く薬で完全防備みたいな、先端の手当てに感謝した。

    とはいえ、今回も、白壁にめくるめく絵巻が映し出され、

今回はテレビの黒い画面にも白文字でと、ご丁寧に映し出されていたが、

私には、自分の抑圧されたストレスの発現のように思われて、

  このストレスを受け止めて、ゆっくり解放しなければならないと思った、

半年とか一年の間に、新境地を仰ぎ見ようと思っています。

次回は、5月20日の診察で、取り出した私の分身である虫垂に対面できるそうです。

↑ これがそれです。

いつも気にかけて電話してくださる義兄から「子どもがよくかかる虫垂炎に、80歳の老人がなるとは」と言われて「そうなんですよねー」と言葉たらずだったので、書き留めておくことにした。

 

 

 

 

 

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