1.待降・クリスマス・新年・顕現

 

  教会暦による  バッハ カンタータ 

目   次

1.待降節  2 降誕節  3 顕現節 4 受難節 5 復活節 6 昇天祭 7 聖霊降臨節   8  三位一体節

マリアの祝日  大天使ミカエル  参事会   宗教改革   葬 儀  詩編より   

 1.待降節  1〜4
待降節1 

BWV36  
BWV36 喜び高く舞い上がれ 
1731年 待降1   ローマ13:11-14
「いざ来ませ異邦人の救い主を」ルターがドイツ語訳した歌詞、「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。
あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。
今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」
マタイ21:1-9 「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いの
ベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる

 

 

 

BWV61 来ませ、異邦人の救い主 Ⅰ
17231128 待降1
マタイ21:1-9 イエスのエルサレム入城

ローマ21:1-9 夜はふけ日は近づいている
コラール 来たれ異邦人の救い主、(1524.Mルター)
教会暦の新年第1作はノイマイスターによる説教カンタータである。このハンブルクの正統派牧師の詩は、自由に作詩された朗唱とアリアが並立するイタリア室内カンタータの作風で知られている。が、コラールも融合されている。
ノイマイスターの歌詞では、救い主の到来を待望する視点が、第4曲の黙示録の引用を境にして、キリスト教会という共同体から、キリスト者個人の心へと転換している。(バッハCD全集解説)
 

BWV62

 

 

BWV62 今こそ来ませ異邦の救い主 Ⅱ
17241203 待降1   マタイ21:1-9  ローマ13:11-14
基本コラール Mルター
教会暦はキリストの降誕に備えるこの日から開始される。
ろばに乗ってエルサレムに入城するイエスを群衆が「主のみ名によって来るものに祝福あれ」と歓呼して迎えたことを述べ、キリストの降誕は救い主の到来という観点からメシアのエルサレム入城と結びつけられた。
古くからのラテン語の賛歌「いざ来ませ諸人の救い主」を基にしたルター作のコラールがこの日の基本となっている。

待降節4

 

 

BWV132  道を備えよ

 

 

  a2         目次へ       2.降誕節 クリスマス

クリスマス1


BWV63

 

BWV63 キリスト者よこの日を刻め
17231225 降誕祭1 ルカ2:1-14
イエス誕生、羊飼いへの知らせ、
1 合唱 288小節の大合唱はダカーポ形式となっている。歌詞は1.キリスト者よこの日をブロンズや大理石に刻め。
2.わたしとともに馬ぶねに急ぎ 感謝と努めをよろこび伝えよ。3.あふれでる光は輝き、恵みの光をあらわす。♪ 複雑で規模の大きな構成ではあるが、イエス誕生の意義を三つの要点に絞ってくりかえし、強調している

 

BWV91

BWV110

 

 

 

BWV110 われらの口は笑いがあふれ
17251225 降誕1  詩編 126:1-2
1.合唱 アリア バス われらの口は笑いがあふれ われらの舌は賛美がみちる。イエスが死からよみがえった喜びと笑い。190小節7分の大曲は、A前奏テンポ60、B詩編126:2-3よりテンポ100の合唱「主はわれらに大いなることをなさったので」 Cテンポ60で後奏の三部からなる。中でも最大5小節ものメリスマがついた「わら~い(ラーヘン)」が9回繰り返される。詩編126:1-2で「主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて・・・わたしたちの口に笑いが 舌に喜びの歌が満ちるであろう。 そのときには、国々も言うであろう
「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」にイエスの誕生を結びつけている。


BWV191

 

BWV191 いと高きところには神に栄光あれ
初演 1740年代 降誕祭1
テトス2:11-14  ルカ2:1-14 降誕、羊飼い、天使の讃美
礼拝のカンタータでラテン語の歌詞で歌うことはなかったので外部からの依頼で作られたと思われる。
歌詞はカトリック教会の通常の礼拝で用いられるミサ通常文の最初のグロリアの三曲。ロ短調ミサにあるものと同一曲である。

クリスマス2


BWV40

 

BWV40 神のみ子が生まれたのは
17231226  降誕2 ステパノの祝日
マタイ6:8-15神が遣わす預言者たちを蝮の子らはころす。
使徒6:8-15 ステパの殉教
降誕祭三日目は殉教者ステパノの祝日でもある。
本曲はステパノの殉教は扱わず、マタイの イエスを知り 永遠の命をえるというテーマに重きを置いている。
第3、5,6曲にコラールを置て、
歌詞を三つに要約している。
(バッハ カンター地CD全集H.Rilling)

  

BWV57

 

 

 

 BWV57 試練に耐える人は幸いである
17251226  降誕2
マタイ23;34-39 エルサレムの預言者の死
使徒言行録6;8~7;2,51-59 ステパノの殉教
この日はステファノの祝日でもあった。
歌詞作者GCレームスはイエスと魂の対話とした。
1.アリア 試練に耐え、善しとされた人は
2.朗唱 試練の中にいる魂を女声の微妙に不安定な高音で歌う。「ああ、甘きなぐさめ。わたしを生かす。苦痛の痛みは終わりなく続く。
3.魂 アリア ソプラノ もしわたしを愛してくださらなければ、私は死を願う 4.イエス 「私はわが手と心を与えよう」魂「ああ、嬉しい愛よ。」5.イエス 「まことに私は敵を撃つ。」6.イエス 「私の安息と命をあなたに与えよう。」魂

「ああ、イエスよ」7.魂「間もなく私はこの世の生を閉じる。」8.コラール 「愛するものよ。私に向かって信じよ。
※アベルの悲劇

「カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。」創世記4;3 
神が次男アベルの捧げものを善しとし、長男カイン捧げものを善としなかったことからおこった悲劇。なぜ神がカインの捧げものを善としなかったのか、カインは問い、正すべきだった。

降誕2 121

BWV64

 

 

 

 

 

 

BWV64 父がいかに私たちを愛されたか
17231227 降誕3  マタイ23:34-39(私が遣わす預言者たちを、あなた方蝮の子らは殺す。)
この日は福音書記者ヨハネの祝日でもあって、

そのヨハネ1;1-14が朗読された。この記事には
三つのコラールが含まれている。
一つはライプツィヒで最初のクリスマスに演奏された
「子らよ、神よ、我が心のうちにbwv40、その数日後
1724年1月2日のために書かれた「見よ、神よ、我が
心のうちに」bwv153、これらは同じ作詞者とおよわれる。
第1曲はヨハネの手紙一3:1による。第4曲はバルタザール・
キンダーマンの「世界に向かって行くものよ」、
このカンタータはヨハン・フランクの「主よ、わが喜び」の第5節で、Gute nacht O Wesenー(いざさらば生きるものよ」で結ばれている。
  降誕3 133
  降誕後 122

BWV28 

 

 

BWV28 神をたたえよ 
降誕祭1  ガラテヤ4:1-7 ルカ2け33-40
歌詞 E.マイスター 旧年が終わり新年を迎える時 幼子イエスにあったシメオンとアンナの逸話が 読まれた。 1:アリアで顧みのメリスマは長大で華麗である。 2:3トランペットと2オーボエとティンパニが入り 会衆参加のコラール。旋律はソプラノが主導し コルネット、バイオリン、オーボエで支えられる。 3:朗唱A キリストの声が得れ美亜書32:11の言葉を歌う。 4:朗唱A. 神を賛美することばがうたわれる。 5:二重唱 最後の「心gemute」のメリスマは美しい。 6:コラールPエーベル作「神の善きことをたたえる賛美」 を助けて。

BWV152

BWV152 信仰の道を歩め

17141220 降誕後1
ガラテヤ4:1-7 ルカ2:23-40

   目次へ   3.新年・顕現節 新年  -5-
.新年 

BWV16

 

BWV16  主なる神をたたえ
17260101  新年

ルカ2:21 割礼とイエス命名
G.C.レームス 1711年
レームスの歌詞はその日の福音と何ら関係なく、冒頭のルター訳の「テ・デウム」からの4行を引用している。
カンタータの終結にP・エーベル作(1580年)の
新年用コラール「神の善き事を称えるを助けん」の最終節を配したのはバッハ自身によると思われる。

新年

 

 

BWV41イエスの御名を賛美
17250101 新年礼拝
ルカ2:21   ガラテヤ3:23-29
基本コラール ヨーハン・へルマン(1593)
コラールに基づいた新年のカンタータ。
1曲ではコラールの第1節を、6曲ではコラールの3節を用いている。トランペットとティンパニによる壮麗な祝祭曲で新年を称える。

 

143 

 

171 

 

190
 新年後1

 

 

 

 

 BWV58 ああ、いかに多くの胸の痛み
17270105  新年1
マタイ2:13-23 イエスのエジプト非難
1ペトロ4:12-19
1727年の初演に際していくつかの楽譜にオーボエ
とソプラノアリアを加えてつくった。
歌詞の内容は生まれた幼子イエスの現世の苦しみと天上の喜びを、第2曲ベツレヘムの幼児虐殺を逃れるイエス(マタイ4:12-)、第4曲で、解釈を加えて神が我々を他国、つまり天国に導く、とする。1曲と5曲のコラールは作者をことにするコラールが同じ旋律で歌われ、また自由詩による歌詞との結合が張られている。
新年後 BWV153
顕現節


BWV65  

 

 

BWV65  シェバの人々みな来たり
17240106  顕現日 マタイ2:1-12
三博士が、黄金、乳香と没薬を捧げたマタイ福音書の記事を
バツハは旧約聖書のソロモンとシバの女王の物語に結びつけた。
1.合唱 シェバの人々みな来たり(イザヤ6:6) 、
2.コラール シェバの王來たりて黄金と乳香を捧げた。(マタイ2:11)
3.イザヤの預言の朗唱 
4.バスのアリア 金銀財宝むなしき供え物よ、6.美しいテノールアリア、私を受け入れてください。
7.ならばわが神よ、御手にぞまかせん。私を受け入れ、御心をなしたまえ三博士は東の国に、シバの女王は南の国に神の名を広めた。シェバは今のエチオピアにあった。
BWV123
顕現後1


BWV32

BWV32愛するイエスよ、あなたを慕い仰ぐ
17260113  顕現後1
ルカ2:41-52 神殿の少年イエス
ローマ12:1-6キリスト者の資格
第1曲がケーテン時代に作曲した「今ぞ去れ、悲しみの陰よ」
が元になり、いくつかの曲を編曲した
BWV124
 

BWV154

 

顕現2


BWV3

BWV3 ああ神よ多くの思い煩いが
1725年1月14日 顕現2  ヨハネ2:1-11
ローマ12:6-11
バッハはこの祝日のためにほかに13番と155番を作曲した。
本曲は主旋律をバスに歌わせて、間に短い合唱を加えている。

BWV13

 

 

 

BWV13 ため息も涙も数えきれない
17260120  顕現2
ヨハネ2:1-11 カナの婚礼
ローマ 12:6-16 私たちはそれぞれ異なった賜物を持っている。
歌詞作者 G.C.レームス
歌詞作者は当日の聖書からヨハネ2:4「私の時はまだ来ていない」という、イエスが母に語った言葉を選び、カンタータを展開している。「神の恵みがまだ現れなくても、神が私に慰めを与えてくださることをわたしは信じ続ける。」という結論を引き出している。
1.アリア テノール 2 朗唱 アルト
3.コラール アルト
4.朗唱 バス 5.アリア バス 6.コラール
  BWV155
顕現後3 BWV72
BWV73
  BWV111

BVW 156  
BVW 156 わが片足墓穴に着きて
17290123 顕現3 マタイ8:1~13
第1曲はシンフォニー、第2曲「病める体をまもなく沈めん」。
人が背負っている悩み、苦しみを「わが片足墓穴に着きて」 第3曲「わが悩みと苦痛・命も死も神の手の中にある」。
第4曲「主のみ心こそ望みなれ」喜びの日も、苦しみの時も、死の時も、み心のなるように祈らせたまえ」。第5曲「霊とみ言葉の養いあれば、肉と魂の養いはわが受ける分です」。第6曲「生きるも死ぬも、願いは一つ」。 イエスは彼の切実な苦悩を受け止め、患部に手を差し伸べて、手を当てて!「清くなれ」といわれた。すると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。
顕現4

BWV14

 

BWV14 この時神が共にいまさずば
1724-1725年とされるこのコラールカンタータは
1725年の復活祭は4月1日と早かったので顕現祭
第4日曜日は、存在しなかった。
本曲が初演されたのは1735年1月30日で、クリスマス
オラトリオが演奏された数週間後だった。
この曲の元は詩編第124編をルターがコラールにしたもので
その第1節と第3節は、第1曲と第5曲の歌詞になり、第3曲と第4曲
には、ルターのコラールの一般的内容が反映されている程度で、コラールとの特別な関連は認められない。
(カンタータCD全集、Hリリンク、坂崎紀)

 septuagismae BWV84 わたしはわが幸に満ち足りている
初演 17270209
歌詞 クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリチ1728/29を題材にクリストプ・バークマン(?)が脚色。 5. シュヴァルツブルク=ルドルシュタットのエミリー・ジュリアン (1686~88)機会 
  BWV92 神の御心によりて
1725年1月28日 初演 復活前9

マタイ20:1-16 ブドウ園の労働者
1コリント9:24-10:5
基本コラールP.ゲルハルト
前作のBWV111とおなじコラール旋律を使って対をなしている。
  144
Sexagesimae

BWV18

BWV18 天から雪降り雨下り
1724年2月13日 復活前第8主日 初演
ルカ8:4-15 種まく人の譬、2コリント11:1-9~12:9 弱さの中に現れる神
  126
  181
Estomihi

BWV22

 

 

 

 

 

 

BWV22イエスは弟子たちを集めて言われた
初演・機会 BWV23に同じ
基本コラール エリザベートクロイツィガー「主キリスト、唯一の神の子よ(Herr Christ .der einige Gottessohn)1521 第5番 
構成 独唱3(アルト,テノール、バス)合唱 Ob,2v,vL,conti.
トマス教会カントルの試験曲として1723年2月7日に初演された。
五旬節用カンタータ。
歌詞は聖書日課のうちBWV23の歌詞が取り上げなかったルカ福音書のイエスによる受難の予告を題材にする。
バッハに先立ってこの職を志願したクリストフ・グラウプナーが試験の際にカンタータ2曲を演奏していることから、
バッハもBWV22と23を(ともに五旬節用)を同じ日の説教の前と後に演奏したと考えられている。
歌詞はこの2曲で補い合っている。両方とも翌年再演奏された。

BWV23
BWV23 まことの神の子、ダビデの子
1722年ライプツィヒの聖トーマス教会音楽監督ヨハン クーナウが死去し、後任を募集した。6人が応募したが、彼らは退けられ、当時ドイツで第一人者と言われたフィリップ テレマンと交渉した。テレマンはライプツィヒ大学で法律を学んでいたが、音楽への情熱が彼を動かして学生音楽団体コレギウム ムジクムを主催し学生たちに支持されていた。また聖トマス教会のオルガニストや作曲指揮を行なっていた。しかしライプツィヒを知り尽くしたテレマンとの交渉は結果的にならず、これまで候補に挙がっていなかったバッハの名前が出て来たのである。
本曲はその時のいわば就職試験の曲だったと想定されている。
  127
  159
  目次へ 4.受難節

 
BWV182
BWV182  天の王よ ようこそ来ませ
17240325 棕櫚の主日、
マタイ21;1-9 この日から受難節がはじまる。

1 ソナタ 2 天の王よようこそ来ませ 合唱
3 見よ 聖書にあるように、朗唱 バス
4 強き愛、偉大な神の子 アリア・バス
5 救い主のみもとにひれ伏し、 アリア・アルト

6 イエスよ 良い時も悪い時も、 アリア・テノール
7 コラール 主イエスのみ苦しみ わが喜びなれ。
8 合唱 われら喜びあふれるサレムに行き
  ※棕櫚の主日を終えて、受難節はイエスの十字架の苦難を心に刻む時とされ、カンタータの演奏は禁じられた。この期間、マタイ受難曲など大きな規模の曲が作曲され、復活祭に備えられた。
目次へ 5.復活節
復活節


BWV04  

 

 

 

 

BWV4 キリストは死の縄目につき
170804  復活祭
1コリント 5:6~ 8 マルコ 16;1~ 8(キリストの復活)
歌詞 M.ルター
使用コラール・キリストは死の縄目につきたもう(ルター)
1524年にルターが作詞し、この歌詞をラテン語賛美歌(グレゴリ
オ聖歌)「過越の犠牲を讃美せよ」の旋律につけた。キリストの復活を罪の死からの勝利と強調する。
第1曲のシンフォニーは全 8曲のもとにあるコラール旋律を提示する。1.シンフォニー  2.キリストは死の縄目につき 合唱
3.死に勝ったひとはいない 二重唱 ソプラノ、アルト
4.イェス・キリスト 神のみ子  コラール編曲、テノール
5.不思議な闘いだった 三重唱コラール 6.まことの過ぎ越しの小羊 コラール編曲
7.ゆえにわれらは祝う 二重唱 8.われらは復活のパンを食して
コラール
 
BWV6
 BWV6 泊まりませ
17250402   復活祭2

三日前に主イエスを亡くして故郷エマオ村に帰る二人の弟子に、伴い歩く人がイエスであったとわかるのは、夕餉の食卓でパンを切り分けて二人に与えるそのしぐさに心の「目が開かれて」のことであった。ただ一つの言葉「泊りませ うちに。夕暮れになり 日が沈みます。」が23回×4声部92回。それだけが歌われている。「泊まりませんか」とすすめる熱心な思いあって、イエスは歩みを止め、食卓に着いた。
 
BWV15
 BWV15  あなたは私の魂を陰府にわたさず
復活5.  マルコ16:1-8 6.詩編16:1 あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく、驚くことはない。・・『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」
本曲と141.142.160がバッハの作でない偽作とされている。何らかの研究の糧になればと思って記す。
 
 BWV86
 BWV86 まことにまことにあなたに言う 
17240504  復活5
聖書朗唱 第2曲で「バラの花を摘もうとしたら棘に刺される」長いソプラノのアリアがつづく。イエスを信じて弟子になり、バラの花のような美しい理想世界に身を休めるとイメージしたかもれない。が、イエスを待っていた、十字架の棘に刺される。バラの花が持っているとげを繰り返し歌っている。迫害に遭うと、手のひら返しのように、立ち去った弟子たちが再び立ち上がるためには、棘の痛さをとおりぬけなければならない。この復活節の40日をバッハは音楽の捧げ物によって追体験している。
 
 
BWV104
BWV104 イスラエルの羊飼いよ
17240423 復活2
ヨハネ10;12-16  よき羊飼いのたとえより 十字架の死から復活
の主イエスはよき羊飼いとして永遠に語り継がれている。羊を愛し羊のために命をすてるよい羊飼いは悪しき指導者たちを浮き彫りにする。よい羊飼いに養われる羊は幸せである。
1 イスラエルの羊飼いよ 合唱
2 羊飼いは目をとめ 朗唱 テノール
3 羊飼いが去られて アリア テノール
4 み言葉こそわが糧 朗唱 バス
5 恵まれた羊の群れよ アリア バス
6 主はまことの羊飼い コラール
 
 
BWV112
 BWV112 主は善き羊飼い
17310404 復活2

トマス教会就任前に作った曲を書き直したと推定されている。
第2曲目の自筆総譜になされた多くの訂正が物語っている。
「コラール節をそのまま用いながら、編成、調整など工夫して変化と統一、調和のとれたカンタータに仕上げるバッハの手腕はみごとなものである。」(井形ちづる)聴きどころ 3曲
聖書朗唱・バス 「死の陰の谷を行く時も災いを恐れない。」
 
BWV249  
 ※BWV249 はやく走れ 
17250401 復活祭オラトリオ
ヨハネ20:1~4  マグダラのマリアとマリア、ペトロとヨハネがイエスがいないお墓に急ぐ場面。第1曲のシンフォニー「はやく走れ」第2曲 三日前に十字架に死に、遺体を納めたお墓に、イエスがいないと言う知らせを聞いて、メランコリックアダージョ(歩くより遅い、重い気分の速さ)第3曲合唱、「はやく走れ」追いかけるフーガ形式の合唱。トランペット3本、ティンパニを加えて、男声二重唱が「はやく走れ」と歌い始め、それに女声ソプラノとアルトが加わって4声合唱になる。夜明けの明るみのに包まれて、2人の弟子が着き、先に来ていた女たちに合流する。
 昇天祭 目次へ 6.昇天

BWV11  
 BWV11 神をほめよ、すべての国で
1 神をほめよ、すべての国で 合唱・
2 主イェスは手を上げて 聖書朗唱
3 ああイエスよ、もう行くのですか。聖書朗唱
4 ああとどまりたまえ。アリア・
5 イエスは彼らの前で天に昇られた。聖書朗唱
6 今やすべてはあなたの元に コラール
7 イエスが天に昇るのを見送ると 聖書朗唱・二重唱
8 戻ってください 聖書朗唱
9 弟子たちは主を拝み 聖書朗唱
10 イエスの恵みのまなざしを アリア・SP
11 いつの日なのかその時は
目次へ  7.聖霊降臨
聖霊臨降祭


BWV172

BWV172 ひびけ汝がうたよ
17240528 聖霊1 ヨハネ14,23-31

1.ひびけ汝がうたよ  合唱
2.私を愛するものは 朗唱 バス
3.聖なる三位一体 アリア バス
4.来ませ私を 二重唱アリア ソプラノ。アルト
5.深き愛よ 二重唱アリア ソプラノ・アルト
6.歓喜の光 コラール
  
 BWV68

 

 

  BWV68 神は世を愛して
17250521 聖霊2  ヨハネ福音書3章16節

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
1.合唱 2.心のよろこび私の歌よ アリア ソプラノ
3.ペトロのように 朗唱 バス
4.主は私のために生まれ アリア 5.イエスを信じるひとは 合唱
8    目次へ 8.三位一体節
 1〜10       11-20      21-27
三一1

BWV20

BWV20 おお永遠、雷の言葉
172406011 三一1  ルカ16:19-31 1ヨハネ4:17-20
第一部 1.合唱 おお永遠 雷の言葉 おお魂をつらぬく剣 おお始まりなき終わり おお永遠時なき時 われは悲哀に暮れ わが心おののき 舌が顎に張りつく。

BWV39  

 

 

BWV39 パンを飢えた人に 
17260923   三一1
ルカ16:19-31(金持ちとラザロのたとえ話)
1.合唱 パンを飢えた人に、貧しい人をうちに連れてきなさい。2.朗唱 富める神は溢れる恵みをわかつ。人はそれなしにいきられない。
3.アルト アリアこの世にあってはつくり主にその陰でも似てくることは、みくにの幸の、先取りといえよう。4.バスのアリア よきことなして、分かち合え。神はその捧げものをよろこばれる。5.ソプラノ アリア いと高き方が賜ったものだけを持っています。6.コラール 貧しい人を憐れみ、我が身に受け入れ、苦しみなやみを分かち、神にとりなす人は幸いである。

BWV75

 

 

 

 

 

BWV75貧しい人は食べて満ち足りる
17230530 三一1

第1ヨハネ4:16-21 神は愛である
ルカ16:19-31 金持ちとラザロ
基本コラールS・ローディガスト
1723年5月5日バッハはトマス教会音楽監督に選ばれ、
ライプツィヒに移り住み、就任カンタータとして
本曲を5月30日、三位一体後第1主日に演奏した。
これは翌週のBWV76と姉妹作品をなす。
2部からなる堂々とした作品で、バッハの意気込みを示している。
この曲で教会カンタータの第1年巻をはじめ、
翌年の三位一体節で閉じた。
これに第2巻、3巻と続けたため、
待降節にはじまる教会暦と半年のずれを生じた。
(バッハCD全集:栗原浩) 

三一2

BWV 2

 

BWV 2 ああ神よ、天から見て  

 三一2 1274060180
 ルカ14:16-24 晩餐に招かれた人と貧しい人 使用コラール ああ神よ天から見て(M.ルター)
1.コラール合唱 ああ、神よ天からみて 憐れみを施したまえ。 われらいかに少ない聖徒らは 貧しく寄る辺ない みことばを守る者はなく 信仰は人の子らかに失われた

BWV76

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BWV76 天は神の栄光を物語る 
17230606  三一2
ルカ14:16-24 盛大な晩餐会の譬えこのカンタータの第二部は1724年の宗教改革記念日(10月31日)に再演されたことが部分的に残っているパート譜から推定されている。
初めの3曲は晩餐に招かれた富める者は来なかったが、貧しいものたちが応じた。
第4.5.9曲は招きを断った高慢な者たちへの呪い、その他の曲は1ヨハネの聖句によって神の愛への祝福が中心となっている。
1ヨハネ3:13-18 キリスト者の兄弟愛について
基本コラール M.ルター「願わくは神我らを恵みて」1ヨハネ3:13-18 キリスト者の兄弟愛について
基本コラール M.ルター「願わくは神我らを恵みて」
バッハが教会カントルに新任の第2週のカンタータ。
バッハが教会カントルに新任の第2週のカンタータ。
第二部は1724年の宗教改革記念日(10月31日)に再演されたことが部分的に残っているパート譜から推定されている。
初めの3曲は晩餐に招かれた富める者は来なかったが、貧しいものたちが応じた。
第4.5.9曲は招きを断った高慢な者たちへの呪い、その他の曲は1ヨハネの聖句によって神の愛への祝福が中心となっている。
   
三一3


BWV21

BWV21 わたしは心に多くの悩みあり
1723年にトマス教会カントルになって 1年目に演奏された曲。 楽譜は前のワイマール時代に3回は改訂され、もっとも長い40から50分の曲となっている。 教会暦による作曲ではなく、15から20分の礼拝音楽のために抜粋して演奏されたと思われる。 
BWV135
三一4

BWV24

 

 

 BWV24 穢れのない心こそ
1723年6月20日   三一4
ローマ8:18-23  ルカ6:36-42
歌詞 E.ノイマイスター
基本コラール おお神よ汝義なる神よ J.へールマン
  177
 

三一4

4/185
三一5
BWV88  
BWV88 みよわたしは多くの漁師を送る
 17260721   三一5
第1ペトロ3;8~15 ルカ5;1~11
「恐れることはない、今からあなたは人間をとる漁師になる」(ルカ10;10)

かつて、ペトロをはじめアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネがガリラヤ湖で漁師だった時、初めて出会ったイエスの第一声は「人をとる漁師になりなさい」だった。イエスはわたしに従い、人間を相手に魂の配慮をする人になりなさいと言った。彼らが忘れてしまっていた、このことばを復活のイエスは、もう一度「全世界に出て行って福音を宣べ伝えなさい」と繰り返し、初心を示した。バッハは、狩猟民族のドイツ人を相手に、後半で猟師を送るの追加を忘れていない。

 

 

5/93 未

三一6

BWV9 

BWV9私に来た救いは
1732-35   三一6
マタイ5:20-25 山上の教え;パリサイ人の義にまさるキリストの義 ローマ6:33-11 キリストの死より、我ら罪に死んだ 歌詞 不詳 基本コラール パウル・スベラートゥス(1488-1551) 1724年の三位一体6主日、7月16日、 バッハはケーテンに滞在していたので、作曲予定の歌詞を後日のためにとっておいたものと推定される。(バッハCD全集s285) 歌詞は「人は信仰によってのみ、義とされる」P.スベラートゥス(1523)
  6/170

三一7

BWV54

BWV54なが罪に立ち向かえ
2717年7月15日初演、三位一体7
マルコ8:1-9(4千人にパンを与えたイエスの奇跡)
ローマ6:19-23(罪の支払う報酬は死である。
初演17140715?  

三位一体第7主日
ロマ6:19-23
マルコ8:1-9
G.C.レームス「神の御心にかなう教会のささげもの」
7/108
7/186
7/187

三一8

BWV170

 

 

BWV170 満ち足りたやすらぎ、うれしき喜び
1726年7月28日 三一8
マタイ5:20-26山上の教え
ローマ6:3-11キリストの死によって罪に死んだ
アルト独唱 フルート、オーボエ、弦、通奏低音
歌詞 G.C.レームス
1.満ち足りたやすらぎ、うれしき喜び アリア アルト
2.罪を宿したこの世は地獄の歌を歌い 朗唱 アルト
3.わが悲しみのいかばかりか アリア アルト
4.であるならば、 朗唱 アルト
5.この世はもはや生きづらい アリア アルト
※天上の安らぎをアルトが牧歌的なオーボェダモーレと協奏し、第2曲で現世の罪の宿る家、地獄の歌、マムシの毒などを様々な不協和音で演奏する。・・・・。

BWV45]

 

 

 

 

 

BWV45 人よ何が善いことか
17260811 
三一8
マタイ7:15-23偽預言者を警戒せよ

ローマ8:12-17 神の御霊に導かれている人は神の子である。
作詞者 C.ヘルム{ロードル・シュタット詩華撰」(1726) 詩集にはマタイ福音書の「その実によって彼らを知るべし」のイエスの言葉に対応して第1曲に旧約聖書ミカ書の6:8「人よ何が善であり、主が何をお前に求められておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」を挿入した。というように、バッハ自身の相違工夫をおこなっている。
   136
  178
三一9
BWV94
BWV94 この世がなんなのか
17240806 三一9
試練と共に、逃れる道も備えられている。
ルカ 16:1-9 不正な家令の

Ⅰコリント10:6-13 試練と共に、逃れる道も備えられている

基本コラール   バルタザール・キンダーマン(1664)
このカンタータから横型フルート(トラヴェルソ)が使われるようになった。キンダーマンのコラール詩はこの世の富や栄華は時と共にさり行く儚いものでり、イエスへの愛のみが真の命であり宝である、との信仰を歌う。バッハが好んでとりあげたテーマである。真の宝の輝きのように優雅な光につつまれたこのカンタータは、信仰における現世否定が無味乾燥なストイズムとは全く異なり、喜びに満ちたものであることを私たちに教えている。コラール旋律は一般に「おお神よ、汝義なる神 O Gott,du frommer Gott」の歌詞で知られいる。(バッハcd全集)

  105

BWV168

 

168

 

 

 

三一10


BWV46

 

 

BWV46 思い見よわが受けた苦しみの
17230801  三一10
ルカ19:11-48 エルサレム崩壊の預言、神殿の商売人の追放
基本コラール「おお偉大な力ある神よ」マイファールト(1633)

1コリント12:1-11  エルサレム崩壊の預言
歌詞作者は旧約の預言者エレミヤ哀歌1章12節の次の句を冒頭に置いた。
「道行く人よ、心して目をとめよ。よく見よ。
これほどの痛みがあっただろうか。私を責めるこの痛み
。主がついに怒って私を懲らす この痛みほどの。」
バビロン帝国の征服により、
捕虜にひかれていった人たちを悼む哀歌。
  101
  102
11~20                                                                                   z11
三一11 11/113
  179
  199
  173
三一12 35

BWV137
BWV137 力の君 主のみ名をほめよ
17250819 三一12 マルコ7;31~37
1 力の君 主のみ名をほめよう 合唱
2 すべてをおさめる主を アリア・アルト
3 神のみ姿に人を造られた匠の主を アリア・ソプラノ、アルト
4 ほめよ主を アリア・テノール
5 内なる主のみ名を コラール

三一13

 

 

 

BWV33 ただイエス・キリストのみ
17240903
三位一体13
ルカ10:23-37
ガラテヤ3:15-22
本曲からコラール・カンタータのタイプがはっきりしてくる。
また純粋なダカーポ形式が再び登場する。
イエスの憐れみと慰めにより堅い信仰にたつ「われ」を歌う。ふーベルトのコラール詞は善4節と短いため付け加えられた。(りリンク・CD全集より)
  77
  164

 

三一14

 

 

 

 

BWV17感謝をする人は私をほめたたえ
三一14
聖書
ルカ福音書17:11-19
ガラテヤ5:16-24
歌詞:詩編50:23
コラール: Nun lob,mein’Weel’,den Herren.
「ルードルシュタット詩華撰」を用いた7曲の一つである。
「10人の頼病人の治癒」の奇跡は当日の教会暦のテキストで
指定されている。
イエスに癒された10人の内感謝し神を賛美したのは
サマリヤ人一人だった.
神の恵みに対して、人間が感謝をささげるべきことを
強調している。
第一部の冒頭で聖句が引用され、詩編50:26では
神の無限の愛がうたわれる。
第二部キリスト主の神への感謝と勤めをできる限り
なす心がうたわれる。

BWV25

BWV25あなたの怒りによりわが肉体は
17230829   降誕1
ルカ 17:11-19(10人のらい病人の癒し)
ガラテヤ 5:16-24(肉に対する霊の勝利)
基本コラール ヨーハン・へールマン
  78
三一15 15/51

BWV2
BWV2 ああ、神よ天から見て

12740618日初演
三一15
ルカ福音書14:16-24 晩餐に招かれた人と貧しい人
使用コラール ああ神よ天から見て(M.ルター)

 

   99
  138

三一16


BWV8

 

BWV8  愛する神 私はいつ
1724年9月24日 三位一体16 ルカ7:11-17基本コラール カスパル・ノイマン(1690頃)

バッハの53曲のコラールカンタータのなかで本曲のコラール歌詞は旋律とも最も新しいものの一つである。肉体の死とイエスによる魂のよみがえりを主題とする敬虔主義の影響も感じられる「新しい」コラールを選んだのは、個人的にも甘き死ーの憧憬を強く感じているバッハ自身であろうか。(H.リリンク「バッハカンタータ全集」:井形ちづる)第1曲 コラール合唱死をつげる鐘を弦楽器(ピチカート)と12の16分音符が一組になって時を刻むフルートに伴奏され「愛する神私はいつ死ぬのでしょうか?」

BWV27
 BWV27 終わりの時を誰が知る
17261006 三一16
ルカ7:11-17 ナインの若者の復活
エペソ3:13-21
ナインの若者の復活の記事をもとに作曲された。
1,2曲で個々人の死に思いを寄せ、死を生の目的とする。
3,4曲で死は歓迎されるものとなり、
最後の2曲は現世との別れが確認される。
  95
 


BWV161  
  

 

 

 

 BWV 161 来ませ甘き死の時
17350202 三一16 マリアの祝日
ルカ7;11-17

御心ならば、体の重荷が今日にも地の上に満ち、からだの客なる霊がみ国の甘美な喜びのうちに死なぬものとなることを願う。」現世の価値観は、人の命をおし潰し、よってからだは病み、人生は重荷となって、死は決して甘いものではなく、分断であり、絶望、苦であり、受け入れられない。つまり死は苦しみ以外ではないという考えが現世を圧倒している。しかし、人は死ねば、死の力はもはや無力となる。と同時に、からだの客なる霊が、死と引き替えによみがえる。からだの客が、からだの主(体)となる。現世の死に囲い込まれ、無力になると、人は霊の体によみがえる。ここで、「もう泣かなくてよい」という言葉が響いてくる。

三一17


BWV47

BWV47自分を高くする者は低くされる

17261013  三一17 ルカ 14:11、18:14
第1曲の合唱で、「自分を高くする者は低くされる」四つの声部が追いかけ合うフーガ形式で合唱を始める。高くする者は上昇音型で、低くするものは下降音型で歌われてる。「人は糞土、塵、芥なり」アリア、バス。第4曲「イエスよあなたのみ手により」アリア、バス。第4曲「よのほまれはなくても良い。苦き死により受けた永遠のみ国を、このみ国を勝ち取られた主よ、神に乞い願う」。

   114
  148
三一18 18/96
   169
三一19 19/5

BWV48
BWV48 惨めな私を死の体から救う者はだれか

1723年8月1日初演
三位一体10
ルカ19:41-48
(エルサレムの崩壊と、神殿の商売人の追い出し)
1コリント12:1-11(霊の賜物について)
基本コラール
Jhohan マッテウース「おお偉大なる、力ある神よ」(1635)
歌詞作者はエルサレム神殿の崩壊について、旧約エレミヤ哀歌
の聖句(1:12)を参照している
「道行く人よ、心して目を止めよ、よく見よ
これほどの痛みがあっただろうか。私をせめるこの痛みを。
神聖な都の崩壊を目の当たりにする嘆きが語られている。
これに続けて改悛しない罪びとへの恐ろしい裁きの知らせを結び付けている。
主がついに怒って私を懲らす この痛みほどの。」

BWV56

BWV56喜んで十字架を負おう
17261027 三一19
マタイ9:1-8中風を病む者の治癒。
歌詞作者不明のこの人はザロモン・フランクの詩「われは喜んで十字架の道を歩まん」を知っていただう。3週間前のカンタータ第27の第3曲で同じフランクの詩の一節を引用した人物だろう。
「十字架カンタータ」と呼ばれる本曲は内容がダイナミックに展開し、苦悩のあと十字架に導いてくれる十字架を負う決意を第1曲に示し、航海に例えられた、神の国を目指す人生(第2曲)、主を待ち望む者の喜び( 第3曲)」、そして来世へのあこがれ(第4.5曲)へと進行する。自筆譜には、「独唱と弦楽によるカンタータ」と書かれ、バッハ自身が「カンタータ<Cantat a Voce sola e Stroment>」という語を記した数少ない例の一つである。(バッハCD全集 解説) 
三一20 20/49
  162
  180
2 21-26
三一21 21/38
  98
  109
  188

三一22


BWV55

 BWV55 わたしはあわれな罪の僕
17261117 三一22 マタイ18:23-35

テノールカンタータ。
あわれな僕の罪の深(1,2曲)に対して
あわれみたまえ(3,,4曲)と神の憐れみを説く。
本曲はネ2年後の「マタイ受難曲」のペトロの
否認(38)のあとの「あわれみたまえ」(第39曲)のアリア、そして
40曲の同一曲のコラールで再現されている。
  8
  115

三一23


BWV52

 

BWV52 私は偽りの世を信じない
17261125   三一23  マタイ22:15-22

1.シンフォニア 2.私は偽りの世を信じない 朗唱
3.たとえそうだとしても アリア
4.神は真実私をみすてない。 朗唱

5.愛する神と共に アリア BWV52_5
6.主に望みを託します コラール

※1サムエル記下3:27 アブネルがヘブロンに戻ると、ヨアブは静かなところで話したいと言って城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺し、弟アサエルの血に報いた。
  139
  163
三一24

BWV26

BWV26 人の命は いかに儚く儚く
三一24
マタイ96:18-26 ヤイロの娘のよみがえり

1.人の命は いかに儚く むなしいことか。たちのぼり、消え去る霧のように われらの命もかくやあらん。合唱
♪ コラール幻想曲の旋律を区切りながらソプラノが歌い。
アルト、テノール、バスが一群となって合唱する。それは分散し上昇する霧の様子をたとえて、人の命のはかなさを表している。
  60
三一25
BWV91 
BWV91 ほめたたえよイエスキリストを
17241126  三一25 マタイ24:15-28 

1.ほめたたえよイエス・キリストを 合唱
2.至高の輝きは 朗唱とコラール ソプラノ
3.地はあなたには小さい アリア テノール
4.おおキリスト者よ 朗唱 バス
5.神が負われた貧しさは アリア 二重唱 ソプラノ/アルト
6.神がすべてをなされたのは コラールマタイ24:15-28 世の終わりに起こる誘惑
Ⅰテサロニケ4:13-18 死者のことを希望なく悲しむな
  116
三一26 70
140
三一27

BWV140
 BWV140 起きよと呼ぶ声
1731年 三一27 マタイ25:1-13
第1曲合唱 町の塔から花婿到来を告げる見張りの声が聞こえる。一方、灯火を手に花婿を迎えよ。二つの全く違う音楽は天からの知らせを伝え、到来する花婿をイエスを迎える人たちによって、天と地が協奏する。2.聖書朗唱 彼は来ます。花婿きます。(マタイ25:26)3,二重唱 いつ来られる 4.コラール 見張りの声が テノール 第二部 5.朗唱 6.アリア ソプラノとバスの二重唱
7.コラール 12の門は飾られ、街は仲間たちであふれている。
目次へ  マリアの祝日
  マリヤ受胎告知


BWV01

 

 

 BWV1 明けの明星
1725年3月25日 マリヤ受胎告知の祝日
イエス誕生の時伝える明けの明星。第1曲の合唱は、演奏者によって7分から9分台と大いに違いがある。その違いはなんだろうか?と思った。アルプスで迎えるご来光は速く、東京の夜明けはゆったりしているのだろうか?創立15年を迎えたスイスのトローゲンの団体は急成長して、自信に満ちた、こなれた演奏でテンポが速くなっている感がした。逆に鈴木雅明氏の演奏はますます丁寧に豊かな表現になるので、時間がかかっているのかなぁとか思った。
 マリア訪問
 
BWV147
 BWV147 心と口と行いと命で
1725年、マリア訪問の祝日(現在は5月31日に祝われている。)
ルカ1;39_56

第1部  01 合唱 心と口と行いと命で 02 朗唱・テノールおめでとうマリア
03 アリア・アルト  04  朗唱・バス  05 アリア・ソプラノ 06 コラール
第2部
07 アリア・テノール 08 朗唱・アルト 09 アリア・バス 10 コラール
 

BWV191 
 BWV 161 来ませ甘き死
1735年2月2日
マリアの祝日 ルカ7;11-17

中世の絵画や音楽によく使われた「甘き死」。 御心ならば、体の重荷が今日にも地の上に満ち、からだの客なる霊がみ国の甘美な喜びのうちに死なぬものとなることを願う。」 現世の価値観は、人の命をおし潰し、よってからだは病み、人生は重荷となって、死は決して甘いものではなく、分断であり、絶望、苦であり、受け入れられない。つまり死は苦しみ以外ではないという考えが現世を圧倒している。しかし、人は死ねば、死の力はもはや無力となる。と同時に、からだの客なる霊が、死と引き替えによみがえる。からだの客が、からだの主(体)となる。人は霊の体によみがえる。ここで、「もう泣かなくてよい」という言葉が響いてくる。
目次へ  葬  儀
 葬 儀

BWV106
 BWV106 神の時は最良の神の時 

17070810葬儀
神の時とは、人が臨終を迎える時をさしている。
楽器 ブロックフローテ=リコーダー  ビオラガンバ、通奏、4声  全4曲
1 Sinfonia
2 合唱 神の時はいと良き時である。
3 アリア、アリオーソとコラール  4 合唱 父なる神と御子と聖霊に 誉れあれ

目次へ  a11. 参事会議員交替式
 参事会議員交替式 
BWV71
 BWV 71 神はわが王 

17080204 参事会議員交替式
1 神はわが王 合唱 2 わたしは今や80歳、なぜこんなに重荷を テノール
3.四重唱 4.アリア 5.アリア 6.あなたの鳩の魂を敵に与えないでください合唱 7.合唱 新しい治世に祝福の王冠あれ。
1707年 バッハはミュールハウゼン ブラウジス教会のオルガニストの任命を受けた。ところが、
その三日後に大火が起こり、結婚したばかりの妻と引っ越した。ミュールハウゼン市はローマ帝国の直轄自由都市で、6人の市長と46人の参事会員が選ばれ、この中の二人の市長と14人の参事会員が1年任期で交代する時だった。火災の復興は手付かずのままだったが、バッハの初仕事になった参事会交代式は、議員たちに深い感銘を与え、議会は楽譜を200部印刷して謝意をあらわした。

目次へ   宗教改革記念

BWV79
BWV79 主なる神は太陽また盾
17251031  宗教改革記念日
2テサロニケ2:3~8 、ヨハネ黙示録14章6~8

1.主なる神は太陽また盾 合唱
2 神はわれらの太陽また盾 アリア.アルト
3 今こそみな心 コラール合唱
4 まことの道を知ったので 朗唱 バス
5 神よ見捨てないで アリア・二重唱 (ソプラノ、バス)
6 真理にとどまり コラール 合唱
 
BWV80
BWV80 神はわが高き櫓
1724年10月31日推定
ルカ11:14-28 ベルゼブル問答
エペソ5:1-9 光の子として歩め
1715年から1747年の間に諸稿がある。
歌詞S.フランクの「福音主義礼拝の捧げ物」(1715)から
原型は1715年の四旬節第3日曜日のために作曲された。
宗教改革記念日のために、旧作を拡大転用したもの。
目次へ     聖ミカエルの祝日

BWV50

 

 BWV50 今や我らの神の救いと力と
1723年 9月29日 聖ミカエルの祝日
この日は、ヨハネの黙示録12:7~10が読まれる。

キリスト教への大迫害で捕らえられたヨハネがパトモス島に送られ、炭坑で石炭掘りを強いられていた時に、見聞きした幻、予言を書き留めたのがヨハネの黙示録である。7人の天使の上に立つ大天使ミカエルは悪の化身ドラゴンと戦って勝利する。昼も夜も神を信じる兄弟たちを告発してきた者達は投げ落とされた。天上での戦いなので投げ落とされたとなる。迫害の中で信仰の勝利を歌う。
目次へ       詩   篇
 詩編130より


BWV131

 

 BWV131 深い淵から  

1707年 詩編130より
1.合唱 深い淵から 詩編130;1,2
2.主よあなたがすべての罪に目をとめ アリオーソとコラール 詩130:3
3.主を待ち望む 合唱 詩編130,5
4.わが心よ主を待ちのぞめ アリアとコラール 詩編130,6
5.合唱 主を待ち望む 詩編130;7,8

詩編150より


BWV150

BWV150 主を 仰ぎ望む

1708~1710年ごろ ? 詩篇25
全6曲 1 1.シンフォニー 2 主を 仰ぎ望む 合唱 3 だがわれら満ち足りている アリア 4 導きませ私を 合唱 5 杉の木は風にふかれ アリア・アルト、テノール、バス
6 わが目は主を見上げる 合唱  7 苦しみの日々を 合唱

♪ 聖書朗唱がないこの曲はライプツィヒのトマス教会に就任する前につくられていたと考えられている。詩編25に自由詩を加えた曲と考えられる。現実の苦しみから神を見上げ、慕いあえぐ。詩編の作者ダビデ王の実体験と重ね合わせると、意味深く思われる。

   

BWV196

 

 

 

 

 

 

 

BWV198 侯爵よ、なお一条の光を
1727年10月17日

ザクセン選帝侯妃追悼式
歌詞 J.C.ゴットシート
ドイツ・プロテスタントの中心地、ザクセン選帝侯国は「強健王」F.アウグスト1世(在位1694-1733)の時代に最盛期を迎え、ポーランド王も兼ね、いわゆるドレスデン・バロックの最盛期を迎えていた。しかしポーランド王戴冠の際、アウグストはカトリックに改宗、ルター派の敬虔な信仰をもつ候妃C.エーバーハルト・クリスティアーネはこれに同調せずヴィッテンベルク近郊のブレッチュに引きこもり、余生を祈りにささげた。そのため国民の信望はクリスティアーネに集まり、1727年9月5日に逝去すると、ライプツィヒ大学カール・フォン・キルヒバッハの肝入りで大学付属聖パウロ教会で追悼式典が行われることになった。

 キルヒバッハは追悼演説を自ら担当し、その前後に演奏されるカンタータの作詞をJ・C・ゴットシェートに、作曲をバッハに依頼した。バッハは作曲を10月15日に完了し、2日後に追悼式典が盛大におこなわれた。 

解説項目

 1.BWV  2.曲名 3.初演日 4.教会暦 5.聖書 6主旨 7.内容・トピックス

教会暦 略号
待降-待降節 降誕-降誕節 受難-受難節 復活-復活節 昇天-昇天祭 
聖霊-聖霊降臨祭 三一-三位一体節

教会暦