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Month: 2024年7月

マタイ受難曲

マタイ受難曲

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マタイ受難曲     BWV244 マタイ受難曲 全68曲                                                                       
    第一部  1-30
01.合唱  1
02.イエスを殺す計画 2-4b
03.ベタニヤで香油を注がれる 4c-8
04.最期の晩餐 9-13
05.オリブ山にて 14-17
06.ゲッセマネの祈り 18-25
07.捕縛 26-29
08.アリア 合唱 30
  第二部 31-68
09.大祭司の審問 31-37
10. ペトロの否認 38-40
11. ユダの最期 41-43a
12. 訊問 43b-50d
13. 判決 50e-54
14. 十字架 55-60
パロディ

パロディ

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パロディ

バッハは一度作った曲を再利用して別の曲を作っていた。

それはパロディと呼ばれている。

多い時は本BWV36「喜び高く舞いあがれ」のように1曲から計3曲も作った。

  この4曲は「パロディ」と記されている。

wikipediaによると「パロディ」は、他者の作品を模倣,作り替え、盗作,盗用、許可なき引用など、 著作権侵害という悪い意味で使われることが多い。

 バッハは自分の曲を盗作などしないけど,と思った。
そこで、パロディと扱われているBWV 36の4曲の一群を検証しようと思った。

BWV 36の原曲は失われて!ない。

が、a.b.c.で区別されている再利用した3曲を下記のように表にすると

次のようにほぼ原曲が見えてくる。

ーーーーーーーー

[ 36 喜び 高く舞いあがれ 全8曲 ] 不明

36a 喜び空に舞いあがれ   全9曲 結婚祝

36b 喜びがわきあがり    全8曲 就任祝

36c 喜び高く舞いあがれ 全9曲 誕生祝

ーーーーーーーーーー             ーーーーーーーーーー

問題はBWV 36の原曲が「ない」と言うこと。  晩年のバツハは眼の病気で二度手術をしたが、かえって死をはやめ、亡くなると、仕事場を次期カントールに明け渡さなければならず、楽譜,書籍一切が運び去られた。  ある人が肉屋の包み紙に使われていた楽譜を発見し、まとめて買い取った。(小説バッハ、フランク,佐藤牧夫訳,1971、音楽の友社)。

と言うように,散逸した楽譜は長年かかって集められたが、多くが失われた。

1723年にトマス教会カントルに就任したバッハは、最初に、3年間1サイクルとする教会暦により、彼のカンタータ形式(6~8曲、15~20分の持ち時間を説教の前と後に分ける形式)を確立し、3年分を作り,その後の基礎にした。

バッハは年間60曲のカンタータを作曲し,演奏した。すると、在職27年x60曲=1200曲となる。が、現存する220曲はあまりにも少なすぎる。

BWV 36 喜び高く舞い上がれは不明であるが、彼が再利用した曲をよく見比べると原曲の大半はわかる。

パロディとして作られたBWV a.b.c.三曲の共通項を3点ほど上げよう。
1.歌詞を抜いた各曲の楽譜は、ほぼ同一である。

2.構成:アリア 第3曲アリア、第5曲アリア、第7曲アリア

3. 朗唱:第2,4,6。朗唱は、結婚,就任、記念など目的が異なるので、いくつかのパターンで歌われる。

このように元曲を再利用して作られたことが認められる。

次に、失われたBWV 36を再建してみよう。


原曲

 0.BWV36  喜び高く舞い上がれ  (Schwingt freudig euch empor)

本曲BWV36は、原曲の所在は不明となっている。

構成 ————————-

共通の楽器: オーボエまたは,フルート、 1,2バイオリン ビオラ 通奏低音(ビオロンチェロまたはオルガン)
ボーカル:ソプラノ、アルト,テノール,バス

譜面: 共通楽譜 ————-
1、BWVa,b,c,の三曲は歌詞抜きの楽譜はほぼ同じ。

2.曲の構成 第1曲合唱、第2曲朗唱、第3曲アリア、第4曲朗唱、第5曲アリアと合唱、第6曲朗唱、第7曲合唱・コラール、第8曲合唱。は第9曲がある。

第1曲と第8曲は103小節の大きな大きな合唱である。
ここでにBWVa,b,c,の骨格がある。

2、第2曲、4、6曲の朗唱は、10小節、約1分の短いソロで、聖書のことば、誕生、結婚、就任などの内容をうたう。ギリシァ古典演劇に見られる口上や進行なとの伝統の形を継承している。

3、第3曲アリアは200小節、5~6分、「愛は優しく歩み寄り」など、
短い歌詞をフーガで繰り返し,それをさらにダ・カーポで繰り返し2倍にする。他に、第3曲、5曲、7曲、9曲。高音やメリスマなどソリストの技量が求められる。

4、第4曲朗唱、原曲BWV 36のように通常礼拝のカンタータは朗唱は教会暦に定められた聖句の中から歌詞を作る。1分未満、10数節。
————————————–

(以下、BWW36a,b,c,そして原曲の順)

  1.BWV36a   喜び高く空を舞う  (Steigt freudig in die Luft)
1726年11月30日
アンハルト・ケーテン候レオポルトの2番目の妻、候女シャーロット・フリーデリケ・アマリアの24歳の誕生祝。歌詞は、ピカンダーの1727年刊の著書「Ernst-Schertzhaffte und Satysche Gedichte,Teil1」の中の「Steigt freudig in die Luft.」
アンハルト・ケーテン 侯爵、侯女
 2.BWV36b   喜びが湧き上がり  (Die Freude reget sich)
1735年ライプツィヒ大学学長に就任したヨハン・フロレンス・リヴインス(Rivins)の就任祝

1723年に着任し、毎週のカンタータ作成と結婚式や葬儀のための作曲演奏と多忙であった。この仕事の上で、よき理解者と助けは命綱のように大事だったと思われる。このBWV 36の三曲のうちの2曲はそのような人脈の深さを感じることができる。Philuris (フィラリス)-Lyre lover (竪琴
愛好家)?Law lover

BWV36c  喜び高く舞い上がれ

1735年10月
すでに1730年にトーマ学校70代校長に就任していたヨハン・マティウス・ゲスナーの40歳の誕生祝
 3.BWV36  喜び高く舞い上がれ  (Schwingt freudig euch empor)

BWV36 喜び高く舞い上がれ

036_01-300x169.jpg 1736ライプツィヒ
待降節1
ローマ13:11-14
————————-
1725年の原曲を元に
歌詞台本;ピカンダー
1.3.5.7,パロディ)

1725年の待降節に「喜び高く舞い上がれ」はイエスの誕生を待ち望む人たちの舞い上がる喜びを表した曲である。この日,教会暦に指定されたイエスのエルサレム入城は受難節の記事であるが、ホサナの歓喜の声に迎えられるイエスは(マタイ21:1-9)、誕生を準備して待つ待降節第1日曜日の礼拝に用いられた。

これに、今こそきませ,異邦人の救い主(1524年ルター)よりコラール「いざ来ませ異邦人の救い主を」更に、「あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」(ローマ :  )の聖句を朗唱。

「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。」(マタイ21:1-9)のイエスのエルサレム入城を待降節のイエス誕生のテーマに重ねている。

聖トマス教会

バッハの楽譜
トマス教会カントルになる前と後では、楽譜の書き方が違うのではないかと思うようになってきた。
ワイマールやケーテン時代に書いた祝祭曲やカンタータは、トマス教会音楽監督に落ち着いて、礼拝説教前後の合計15~25分の持ち時間で、1・合唱,2,朗唱,3,アリア、4,朗唱,5,アリア,5,コラールという定式では楽譜は新しい形式になっていった。それは、聖書解釈さえわかれば計画的にでき,扱いやすい。
しかし、教会外で演奏する式典,葬儀,追悼、就任式、マリアの祝日、ヨハネの洗礼、聖ミカエルの祝日、宗教改革記念日などは、短すぎたり、長すぎたりまちまちで,その半分は「世俗音楽」と言われている。また、トロンボーンの元祖トロンバや羊の角発祥のホルンの元祖コルノ・ダカッツチャなどが入り賑やかになる。しかし、通常の礼拝では、素朴なアンサンブルが組まれた。
「小説バッハ」によると,小さい頃父バッハの音楽を世俗音楽かどうかと議論する人たちがいて,家に帰って父に言うと、父は怒って、「世俗」とか「聖なる」って、今後言ってはならない、と強く言われた。それではなんと言えば、良いのですかと聞くと、「命の音楽(viva musicaだったか?)」というエピソードを書いていた。(「小説バッハ」フランク,佐藤牧夫訳 、音楽の友社,1971)本曲BWV36c ピカンダーの誕生祝いのカンタータは、は何度も書き直しただろう、 全120小節、約4分くらいの曲だが、4/4小節の流れの中に、「2/2拍子、テンポ110の小節に変則的に一つまた二つと挿入」されて、musescoreという楽譜作成ソフトは問題なく受け入れるが、次の日本語歌詞を歌わせる。段階で使うCeViO(チェビオ)は、4拍の中に2拍という変則的な挿入を拒否する。この原因がわかるのに二日かかり,その対策に1日かかった。3回諦めて、別の曲に変えようと決心して、夜中に、別の種類の楽譜で試してみてはと言う閃きがあり,Mxlミュージックファイルでやってみたり,またべつのcap.ファイルを試したがダメだった。最後に癖が強いMidiファイルに歌詞群をコピーして良かったので,ochestra群を分けてコピーしたら,うまくいったかもしれない。と言うのが昨夜の段階で,今朝どうだったか確かめることにしている。聴いてみると前よりスッキリしていい音になっているので、成功であって欲しいと言うところです。
カンタータ2024

カンタータ2024

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  カンタータ2024

      🍅 カンタータ 2024年
    楽器 ボーカル構成表
    http://piqua-1.la.coocan.jp/Cantata.html
17 120 神よ、あなたはシオンの静けさの中で                  市参事会議員交替式 20240514
 16 29 われら神に感謝し 20240510
15 036 よろこび高く まいあがれ 202405
14 36a 喜び空に舞いあがれ 202405
13 36b 喜びがわきあがり 20240503
12 36c 喜び高く舞いあがれ 20240422
11 195正しい人に光さし出で         結婚式カンタータ  
10 84  わたしはわが幸に満ち足りている  20240330
9 007  主キリストはヨルダン川に来たり  洗礼者ヨハネ記念日  20240326
8 013  ため息も涙も数えきれない 20240319
7 049 行ってあなたを慕いあえぐ  20240308
6 009 私にきた救いは 20240308
5 186  魂よ怒ることなかれ 20240224
4 199  わが心 血の海を泳ぐ 20240208
3 163  人はそれぞれ分に応じて 20240127
2 114  ああ愛するキリスト者よ雄々しくあれ 20240121
1 089  いかにすべきかエフライムを 20240114
  備考 2023年末  
BWV05  どこにわたしは逃れるべきか 20231229
BWV18  魂よ自分を飾れ 20231215
BWV83  喜び満ちる契約の時 20231212
BWV82  わたしは満ち足りている 20231203
     
     
     

🌸🌺🌼🌝🌿🪴🎋🔥🌈🍎🍇🍅🥕🥯

結婚式カンタータ

結婚式カンタータ

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正しい人に光さし出で BWV195

しりぞけ物悲しい影       BWV202

喜び高く舞い上がれ      BWV 36c

尊きレオポルト殿下よ    BWV 173a

クォドリベット

      シャガール

結婚式カンタータ 34a,120a,195,196,197,202,210,216

 

       正しい人に光さし出で BWV19
初期稿は1741年9月11日に挙行された、法律顧問でナウムブルグ市長であったG.H.Bingとトマス教会の牧師の娘エレオノーラ・シュッツ(ハインリッヒ・シュッツの姪)の結婚式で演奏されたと推定される。歌詞は、新郎新婦を暗示する表現を用いているが、本曲は「正義(Gerechtigkeit)」ということばから新郎が法律家であったことがうかがえるとしている。(バッハCD全集、坂崎 紀) 「正しい人」

(Gerechten義しい人たち)について 本曲に4回でてくる。初期稿は1741年9月11日に挙行された、法律顧問でナウムブルグ市長であったG.H.Bingとトマス教会の牧師の娘エレオノーラ・シュッツ(ハインリッヒ・シュッツの姪)の結婚式で演奏されたと推定される。
歌詞は、新郎新婦を暗示する表現を用いているが、本曲は「正義(Gerechtigkeit)」ということばから新郎が法律家であったことがうかがえるとしている。(バッハCD全集、坂崎 紀) 「正しい人」(Gerechten義しい人たち)について 本曲に4回でてくる。「義しい」は神に,道徳的、法律的正しさというより、神に対する誠実、おそれ敬う敬虔からでてくる態度や行為と考えられている。新郎と新婦は、神の前に誓いを立て、結んだ契りを、神は祝福して、結婚生活をスタートして、終わりの完成に導く。歌詞からこういう内容を読み取ることができる。

しりぞけ物悲しい影よ BWV202

成立年代は不明で、親しい知人の結婚式を祝うための作品であったと考えられている。全9曲からなり、ギリシャ神話を題材にした上品な作品で、ソプラノ用の独唱曲であることから、数多くのソプラノ歌手が挑戦してきた作品である。

成立年代は不明で、親しい知人の結婚式を祝うための作品であったと考えられている。全9曲からなり、ギリシャ神話を題材にした上品な作品で、ソプラノ用の独唱曲であることから、数多くのソプラノ歌手が挑戦してきた作品である。 成立はもっと古く、ケーテン時代(1717年 – 1723年)に遡るといわれている。さらに遡ってヴァイマル時代の作品である可能性を示唆する学者もいる。 (wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

参事会議員交替式

参事会議員交替式

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参事会議員交替式

参事会議員の交替式カンタータ

ミュールハウゼン時代 (1707-1708 )1曲

BWV71 神はわが王

 

———————————————-

ライプツィヒ時代  (1723〜1750年) 5曲

BWV29 われら神に感謝
BWV 69 わが魂よ主をたたえよ
BWV119 エルサレムよ主をほめよ
BWV120 見よ、賛美はシオンにて
BWV193 シオンの門よヤコブの住まいを

 

 

 

1.参事会議員 選挙 #ミュールハウゼン #ローマ教皇直轄領 1707-1708 バッハ18才、17070529ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに任命を受けた。その3日後、大火が起こり,400軒が燃え、三つある教会の中のブラウジス教会も延焼した。 この騒動の中、結婚したばかりのマリア・バルバラと引っ越してきた。ミュールハウゼンは神聖ローマ帝国の自由都市であり,6人の市長と46人の参事会員が選ばれ,この中の2人の市長(1人は副市長)と14人の参事会員が一年任期で交代するシステムであった。 大火のあと復興計画も手付かずの時なのに、参事会員交替式が火災に遭わなかったもう一つの教会を会場にして、祝祭カンタータ「神はわが王」BWV71演奏が行われた。一同は満足と勇気をもらった。本楽譜は後日200部印刷され関係者に配布された。

この曲の第2曲アリアーコラールでテノール「わたしは今や80才、なぜこんなに重荷を背負わなければならないのか。わたしは望む、私の町で父と母の墓のそばで死ぬことを」、ついでソプラノが「わたしはこの世でわたしをより高めようとして,患難辛苦を乗り越え、歳月を超えてきたように、罪と恥から身を守るために、忍耐を重ね,誇らしく白髪となった」。と歌っている。 新任の46名と退任の46名ー列席の年老いた人たちを勇気づけたこれらの言葉は、旧約聖書のダビデ王の 故事から取られている。ダビデは王になる前、身内の裏切りに合い、国境地帯を逃げ回っていた時、助けてもらったバルジライの恩を、王になってエルサレムの宮殿ができるから一緒に暮らそうという。パルジライは丁重に断って、わたしはもう80際になる。亡き父と母のそばで暮らしたい、と。(サム下19:36) 若いバッハにとって、交替する48人の参事会議員の労苦を労い、新任の48に希望と勇気を与える音楽となっている。後に、その楽譜は200部印刷された配られたことで、バッハの思いは十分に伝わったことを示している。

1.参事会議員 選挙 #ミュールハウゼン #ローマ教皇直轄領

1707-1708
バッハ18才、17070529ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに任命を受けた。その3日後、大火が起こり,400軒が燃え、三つある教会の中のブラウジス教会も延焼した。
この騒動の中、結婚したばかりのマリア・バルバラと引っ越してきた。

ミュールハウゼンは神聖ローマ帝国の自由都市であり,6人の市長と46人の参事会員が選ばれ,この中の2人の市長(1人は副市長)と14人の参事会員が一年任期で交代するシステムであった。
大火のあと復興計画も手付かずの時なのに、参事会員交替式が火災に遭わなかったもう一つの教会を会場にして行われ,祝祭カンタータ「神はわが王」BWV71演奏が行われた。一同は満足と勇気をもらった。

この曲の第2曲アリア・コラールでテノール「わたしは今や80才、なぜこんなに重荷を背負わなければならないのか。わたしは望む、私の町で父と母の墓のそばで死ぬことを」、ついでソプラノが「わたしはこの世でわたしをより高めようとして,患難辛苦を乗り越え、歳月を超えてきたように、罪と恥から身を守るために、忍耐を重ね,誇らしく白髪となった」。と歌っている。
新任の46名と退任の46名、列席した人たちは感銘を受け,勇気づけた、歌詞の言葉は言葉は、旧約聖書のダビデ王の故事から取られている。ダビデは王になる前、身内の裏切りに合い、国境地帯を逃げ回っていた時、助けてもらったバルジライの恩を、王になってエルサレムの宮殿ができるから一緒に暮らそうという。バルジライは丁重に断って、わたしはもう80歳になります。亡き父と母のそばで暮らしたいのです、と言った。(サム下19:36)
若いバッハにとって、交替する46人の参事会議員の労苦を労い、新任の46人にあとを頼むという、感銘深い音楽となった。後に、その楽譜は200部印刷されて配られたことで、参議会議員交替式の意義を伝えている。
(1723〜1750

 

69 わが魂よ主をたたえよ1725年8月15日 初演
1748年8月26日
マルコ7:31-37 耳の聞こえない者の癒し
2コリント3:4-11
パート譜で残っていた楽譜をバッハは晩年に改作し1748年の参市参事会員新任式の礼拝で演奏した。わが魂よ主をたたえよ BWV69 全6曲
参事会員新任式
1.合唱
2.朗唱 ソプラノ
3.アリア アルト
4.朗唱 テノール
5.アリア バス
6.コラール 合唱1.合唱
わが魂よ主をたたえよ
主があたえたすべての恵みを忘れるな。(詩編103:2)
71 神はわが王ダビデは40才になった息子アブサロムの裏切りにあい、亡命生活をしていた頃、ダビデを匿ってくれた富裕なバルジライに助けられた。やがてアブサロムが戦死し、エルサレムに帰還する時が来た。ダビデは大変世話になったバルジライを連れて帰り一緒に住もうと言った。しかし、「バルシライはわたしはもう80歳になります。父母の墓のそばで暮らしたいのです。自分の代わりに息子をを連れ行ってくださいと言って固辞した。」サムエル記下 19:33-38
このエピソードをバッハは本曲BWV 71「神はわが王」の第2曲に取り入れた。
バッハは、1702年、22才の12月に、ミュールハウゼン市ブラウジス教会オルガニストの任命を受けた。ところが、その三日後に400軒が被災する大火が起こり、しかも市長宅のモルタル塗りの屋根から出火した。三つある教会の二つも被害を受けた。その渦中にバッハは結婚したばかりの妻と引っ越してきた。大変な年明けとなり、2月4日に市の新参事会員の就任式が行われた。このために「神はわが王」BWV 71を作曲、演奏した。初仕事でした。バッハは次のように作曲した。
第1曲テーマ「神はわが王」 神の意を受けた神聖ローマ帝国直轄自由都市 ミュールハウゼンの行政を司る 46人の参事の中の12人と 2人の市長 (1人は副市長)が 一年任期の交替で就任する。その就任式の祝祭カンタータです。大火の後で復興計画もままならぬこの時に、就任式は延期にはせず、被災しなかった3番目の教会で行われました。
第2曲の歌詞を、今日の言葉、ダビデの話の一節から、ダビデの苦境を助けたバルシライの言葉を歌い、そのままミュールハウゼン市の火災に対処した、高齢の参事官の苦労に感謝を表しています。
祝祭は壮大な曲によって活気に満ちた。楽器が、3トランペット ティンパニ 2フルート 3弦 2オーボエ、ファゴット 2フルートとチェロ、オルガン それに4声部の合唱。これほど大規模なバッハの祝祭カンタータはほかにないそうです。
最後の第7曲 合唱
「新しい治世に それぞれの道で祝福の王冠あれ。安心、平和、福祉に常に満たされ、
幸福、救済がなされ、治世が守られるように。新しい治世に 喜び、救い、偉大な勝利がありますように。国中の町や村にも、日々新たにヨゼフ王※が喜ばれんことを。」
119エルサレムよ主をほめよバッハの仕事は毎日曜日の礼拝にカンタータを演奏することだった。トマス教会は朝、昼、夕3回の礼拝があり、50メートルばかり離れた隣のニコライ教会の礼拝に少年の中から指揮者と数人を選んで送り、またライプツィヒ大学教会の式典などの責任があった。
通常の礼拝は年間50回ほどあり、そのほかにクリスマス、受難、復活、聖霊降臨、宗教改革記念日、マリアの祝日、大天使ミカエルの祝日、それに結婚式、葬儀などの祝祭カンタータがあり、祝祭はフルオーケストラがついた。
193シオンの門よヤコブの住まいを
マリアの祝日

マリアの祝日

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マリアの祝日

   マリアの祝日

受胎告知、マリアのエリサベト訪問、

 

わが心は主をあがめ BWV10

601727年2月2日 マリアの潔めの祝日 ルカ2:22-32

バスの独唱、オーボエダカッチャ、バィオリン、ビオラ、通奏低音

2月2日のマリアの祝日、バッハはほかに83,125,158,161,200番の6曲を作っている。
この日の聖書箇所生後八日がすぎて、子を聖別するためにエルサレム神殿に詣でた時、/主に会うまでは死なないといわれていた老人シメオンに会い、シメオンは幼子を抱き、神をたたえた。/
この個所から、/シメオンと共に生きる喜びを知り
彼と共に去りゆかん・・・/という言葉か歌われている。
第3曲/まどろめ、つかれたまなこよ /は最も親しまれたバスのアリア。フェルマータによって何度も中断される<ゆりかご>のリズムが特徴を出している。

満ち足りている BWV 82

 

 

 

1727年2月2日 マリアの潔めの祝日 ルカ2:22-32
バスの独唱、オーボエダカッチャ、バィオリン、ビオラ、通奏低音

2月2日のマリアの祝日にもバッハはほかに83,125,158,161,200番の6曲を作っている。
この日の聖書箇所生後八日がすぎて、子を聖別するためにエルサレム神殿に詣でた時、/主に会うまでは死なないといわれていた老人シメオンに会い、シメオンは幼子を抱き、神をたたえた。/
この個所から、/シメオンと共に生きる喜びを知り
彼と共に去りゆかん・・・/という言葉か歌われている。
第3曲/まどろめ、つかれたまなこよ /は最も親しまれたバスのアリア。フェルマータによって何度も中断される<ゆりかご>のリズムが特徴を出している。

満ち足りている BWV 82

1724年2月2日初演
聖ニコライ教会早朝礼拝、晩課聖トマス教会
マリアの潔めの祝日 ルカ2:22-32、

イエス聖別の日、シメオンとの出会い
マラキ書3:1-4 神の使者は道を備え、主は宮に来る
コラール ルター「平安と喜びもてわれは行く」1524v4

 

平和に喜んで馳せゆく BWV125

1725年2月2日  マリア潔めの祝日
ルカ2:23-32
基本コラール M.ルター1524
 心と口と行いと命で BWV147
初演 1725年、ライプツィヒ、聖トマス教会
マリア訪問の祝日(現在は5月31日に祝われている。)
聖書 イザヤ書11;1_5、ルカ1;39_56本曲の基本は第一部の第6曲と第二部の終曲にでてくるおなじみの(うちの電話の待ち受けメロディにもでてきます)「イエスわがよろこび」(M.ヤーン作詞,1661)。この二曲は同一の楽譜です。このごろ聖書の言葉を歌う朗唱、いくつかのパターンがあるようで、私としては面白くなっています。2019.6.29
カンタータの歌詞の成立について

カンタータの歌詞の成立について

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バッハのカンタータについて

# カンタータの歌詞の成立について

はじめに

バッハの約200曲の「カンタータ」を和訳で視聴しようとして、作業を始めた。
2018年に始めYoutubeに投稿し、半分ばかり済ませて,これから聳え立つこの山をどんな思いで登っていくのか?と思った。わたしは歌詞和訳の難しさに戸惑っていた。

一、通常礼拝のカンタータ

バッハが1723年にトマス教会音楽監督(カントル)の職について、3年かけて,一定の決まりを持つ通常礼拝のカンタータを確立したことが分かった。

作り上げたカンタータの定式は、1,合唱,またはシンフォニー、2,聖句朗唱、3.アリア、(2,3,は繰り返しあり)、終曲,コラール合唱。・説教の前後に分かれて、計15分~20分。トマス教会少年合唱団(変声期前の少年)が歌うので、歌詞は難しくはない。また、歌う主語は会衆に移り「われら」の賛美,祈り,願いとなる。

ニ、特別礼拝のカンタータ 祝祭曲

ところが、その定式に当てはまらない特別礼拝のカンタータがあって、歌詞の翻訳が難しい曲はこちらにあった。宮廷や城教会での祝日や式典など個別のテーマがあって、持ち時間は30分-40分。自ずと歌詞は長い。

1.マリアの祝日、大天使ミカエルの祝日、宗教改革、市参事会会員交代式,結婚式,葬儀、2.ワイマール,ケーテンの宮廷ーまた城教会礼拝のカンタータで,その特徴は歌詞の言葉が一人称の「わたし」、また、常設合唱団はなく、コラールはソロで歌った。このような特徴が見られる。歌詞和訳の難しさがこの辺にあると了解した。

三、カンタータ ブログ

そこで、曲をグループに分けて、ブログにし、同じ特徴,またはバッハが採用した作詞家、作曲家、また、ソプラノ、アルト,テノール,バスのソロカンタータのグループというように分けて,ブログとして視聴すれば、カンタータの別の光景が展望できると想定しています。

上のように整理して、新たなチャレンジに挑みたいと思います。

※PCモニターをアイリス・オオヤマの23インチに変えた。日本製ですっきりして気持ちいいです。気分を一新できるかも。(20240316)

ソロカンタータ:テノール/バス

ソロカンタータ:テノール/バス

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ソロカンタータ:テノール/バス

 

テノール

BWV55 わたしはあわれな罪の僕

1726年11月17日 三位一体22
聖書 フィリピ1:3-11
マタイ 18:23-35(悪い僕の緋勇
テノールのカンタータ

あわれな僕の罪の深さ(1,2曲)に対して
憐れみたまえ(3,4曲)と神の憐れみを説く。
本曲はネ2年後の「マタイ受難曲」のペトロの
否認(38)のあとの「あわれみたまえ」(第39曲)のアリア、
そして、第40曲の同一曲のコラールで再現されている。

 

バ ス

バス 2曲

BWV56

BWV 82 われら満ち足りている

1727年2月2日
マリアの潔めの祝日
ルカ2:22-32

バスの独唱、オーボエダカッチャ、バィオリン、ビオラ、通奏低音
2月2日のマリアの祝日にもバッハはほかに83,125,158,161,200番の6曲を作っている。
この日の聖書箇所生後八日がすぎて、子を聖別するためにエルサレム神殿に詣でた時、/主に会うまでは死なないといわれていた老人シメオンに会い、シメオンは幼子を抱き、神をたたえた。/
この個所から、/シメオンと共に生きる喜びを知り
彼と共に去りゆかん・・・/という言葉か歌われている。
第3曲/まどろめ、つかれたまなこよ /は最も親しまれたバスのアリア。フェルマータによって何度も中断される<ゆりかご>のリズムが特徴を出している。

ソロカンタータ:アルト

ソロカンタータ:アルト

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ソロカンタータ:アルト

アルト 5曲

BWV35 54 82 169 170

BWV35 54 82 169 170

BWV35 54 82 169 170

BWV35 54 82 169 170

BWV82 われら満ち足りている

1727年2月2日
マリアの潔めの祝日
ルカ2:22-32

バッハはほかに83,125,158,161,200番の6曲を作っている。
この日の聖書箇所生後八日がすぎて、子を聖別するためにエルサレム神殿に詣でた時、主に会うまでは死なないといわれていた老人シメオンに会い、シメオンは幼子を抱き、神をたたえた。
この個所から、シメオンと共に生きる喜びを知り、彼と共に去りゆかん・・・という言葉か歌われる。
第3曲 まどろめ、つかれたまなこよ、は最も親しまれたバスのアリア。
フェルマータによって何度も中断される「ゆりかご」のリズムが特徴を出している。

BWV35 54 82 169 170

BWV35 54 82 169 170

BWV170 満ち足りたやすらぎ

1726年7月28日
三位一体後第8主日 初演
マタイ5:20-26山上の教え ローマ6:3-11キリストの死によって罪に死んだ

アルト独唱 フルート、オーボエ、弦、通奏低音
歌詞 G.C.レームス